それから、次に彼女が姿を現したのは、二年後ぐらいだっただろうか?
もはや遠方に住む彼女だが、親が、ここに用事があるというので、連れ立ってきてもらったそうだ。
彼女とは夜に合流したのだった。それで、かつて何度も遊びに来ていた、みんQの家に少しだけ寄る。
俺の年の離れた母親と話すのだが、それはかつてのマシンガントークではなかった。
ゆっくり、相手の話に耳を傾ける姿勢を残した、余裕のある、大人の……それも思慮のある大人のたたずまい。彼女の成長を感じた。人の話を聞かない子だったのが、ずいぶん成長したものだと思った。
どんな話をしたのかは、あまり覚えていないが、当時(今もだが)俺はマイケル・ジャクソンにはまっていた。
アルバム名を『まいけっけ』にしていたら、それを彼女に見られた。何かウケている様子だった。
それから、その翌日に会ったのだったか……よく覚えないが、会うには会った。昼頃に、彼女が高校時代、毎日、前を通っていたという喫茶店に連れて行ったのだ。
イチゴイベントだったらしく、二種類のイチゴスイーツのうち、どちらにするかで、何分も迷っている姿はかわいらしかった。
かつて、彼女が中学生の時、カレー屋に連れて行ったことがある。
例の、独特な距離感もそこで発揮し、インドの料理人がナンを窯で焼いているところを、ガラス窓に張り付いてガン見しているのを思い出す。(そのあと、インドスープの、マッシュルームかタマネギがムリだというので、代わりに俺が食べた。あの好き嫌いは直ったのだろうか?)
昼頃、彼女と別れるため、彼女と母の起居するホテルへ送迎する。
別れぎわのアクションも、変わっていた。高校までは『ばいばい、みんQちゃん』と言えば、あとはもう振り返ることもなく、ただ一直線に、自分の決めていた帰路か、進路へ向けて進んでいた。
(アァ、この子は振り返ることはない、迷うことなく突き進むタイプなのだ)
そう思っていた俺は、この別れの時も、彼女の高校までの別れかたに合わせ、俺もまた振り返らず、強く進もう、と、さっと身を翻したら……なにか彼女は名残惜しそうに、また会おうね、と言ってくれた。
この子は正しく育ったのだ。
彼女はそれからも成長を続ける。優秀な人だ。いずれ、生きている間に、俺を精神的にも越えるだろう。
最近まで、したり顔でいろいろアドバイスしていた俺だが……いずれ、俺がいかにアホなのか、ということにも気付くことになる。幻滅される前に離れることができたのは、もしかしたら、俺にとっては不幸中の幸いだったのかもしれない。
ただ、人は成長しても、どんなものを経験しても、ゆがむほど悲嘆しても、狂うほど喜んでも──最後の最後にある根本は変わらないのだ。
彼女の素直さは、これからも彼女を支え、人の助けを得るための架け橋となるだろう。人は人とともにいなければ生きられない。素直さは、最強の武器なのだ。
20241005しるす。
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