15年にわたる恋心に終止符を打った。その15年の経緯を、俺の思い出づくりのために書いていく013

高校卒業の少し前から、大学入学してしばらくの間まで、彼女とコンタクトを取ることはなかった……というのはすでに書いた。

それはその通りなので、とくに語ることはないが、その時期をすぎると、とつぜん、彼女がメールを寄越してきた。成人式が終わった、すぐ後だった。

この頃には彼女は、俺の住む地元ではなく、遠くに引っ越していた。

そのメール内容はやはり天真爛漫だった。このころはもうLINEもあったから、それで連絡を取ることに。

あの頃のチャットでやりとりしたことで覚えているのは、成人式で友人のたぬぽと、髪飾りが被った、奇跡だ、と、例によってマシンガントークぎみに言っていたこと。地元にはもう戻らない! とも言っていたな。振袖は何色だったかは忘れたが、お母さんか誰かのものを着ていたはずだ。たぶん赤だったような……。

成人式も終わった後だった。中学や高校のころによくやっていたように、彼女はとつぜん、俺の店に飛び込んできた。「ひさしぶりーーー」と言って。

彼女に俺は、その頃みていたYouTuberの影響で、ミッキーマウスやグーフィーの物真似をしてみせたら、似てんのがむかつく、と苦笑いしながら話した。

その頃には、なにか神妙になるようなエピソードも、めぼしい事件もない。だが、彼女がその日に顔を見せてくれたからこそ、あどけなく、他愛のない会話を繰り返す、あの宝物のような日々が、それから10年も続いたのだ。

今になって思うが、あのとき、彼女が俺の元に姿を見せず、おたがい忘れていたら、俺のほうはどうなっていただろうか? 彼女はおそらく、一人でも何とかしただろう。彼女はいろいろ危なっかしいが、人を惹きつけるオーラは尋常ではない。

そのオーラに惹きつけられた人々が、かつて俺がやったように、彼女を喜んで助けることだろう。

カリスマという、人を酔わせるようなものとは違う。やはりあれは、天性の才能なのだ。

もし彼女がたびたび、俺の相手をしてくれなければ、少なくとも俺の書く小説は、いまよりも冷たく、人を遠ざけた、共感のできない作品ばかりになっていたのは間違いない。今も、どことなく冷たい文章だというのは自覚しているが。

子供の頃からの付き合いというのは、大人を無防備にする、と思う。

実は俺は、彼女に、自分が小説を書いていると言ったことがある。たしか二回ほどあったが……どちらも彼女は明らかに聞いていなかった。つい口を滑らせたと反省した俺は、それから彼女にそれを語るのをやめた。

人が俺に、スポーツをやっているのだと自慢しても、俺はその人物の評価を上げはしないのと同じように、俺もまた人に小説を書いていると言ったところで、やはり評価はあがらない……と気付いたからだ。聞かれてなくて本当に良かった。

ただ、彼女が高校2年生のころだっただろうか。

つい『理想の世界』の導入の話をしたことがある。南極に100発の核ミサイルをぶちこむと、でっかい津波が起きるだろうと話したら、彼女の反応は面白かった。「どこまで人間キライやねん」だそうだ。

いちども人間が嫌いだなどと公言はしなかったはずだが、彼女には俺の心の内が見えていたのだろうか? たんに、人間が嫌いでないと出てこない発想だ、と思っただけなのかもしれないが。

いちおう付言すると、いまは、それほど嫌いではない。大好きでもないが。

ウソしか言わない俺は、彼女に本音を(つい)もらすことが多かった。自分の中に、永遠に閉じこめておきたいトラウマも話してしまったのは、彼女の才能のなせる業だろう。あれを知るのは、彼女が最初で最後だ。

彼女から、俺は自分の描いた未来に、いちばん大きな力をもらったのだ。

どうかこれからも、彼女の周りの人々に、これからやってくる子供へ、それをやってあげてほしいと、心から願う。

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