15年にわたる恋心に終止符を打った。その15年の経緯を、俺の思い出づくりのために書いていく016

この『15年』は、2024年10月26日に終わらせると決めている。それ以降は、できるだけ彼女のことに触れないつもりだ。

まだ吹っ切れていないからだ。10年後も吹っ切れていないかもしれない。

俺は、彼女との別れ際に『20年後にまた会おう』と伝えた。彼女が幸せにしているか、純粋に気になるからだが……それより前に会うと、俺がどんな行動に走るかわからないからだ。

俺は彼女を傷つけるつもりはない。だから、幸せな家庭があるのなら、それに干渉することは許されない。

そのあたりの気持ちがつくのが、おそらく20年と思ったから、彼女にそう伝えたのだ。

そのころには、俺も彼女も、今とは違いトシをとり、シワもあり、腹も出て……俺などはそれに加えてハゲているかもしれない。かつての名残さえなくなったお互いを見れば、少しは冷静になれるだろうと思った。それでも俺は、彼女に再会した瞬間には、大泣きをしそうな予感がしている。




不思議なことも起こっている。

彼女の顔も声も、かつて共に遊んだ記憶なども、うすれていること。

だが、完全に忘れることもない、という状態。

脳科学的な理由なのだろう。人は脳や身体に不可をかける精神状態を、いつまでも引きずることはできないようにできている。死んだ人やペット……時間がたてば、彼らが思い出になるのと同じだ。

恋もそうだ。
恋をしている時の脳波と、コカインを使ってハイになっている脳波は、同じらしい。眠らずとも平気だし、ひたすら相手のことを思い、焦がれる……。

だがそのハイな状態は、脳にとっては異常な状態。いずれ、そのハイな状態が失われれば、目の前にいるのは、現実の相手だけ。

そのハイな有様が継続するのは、2年から長くて、4年と言われている。

俺は彼女に、半年で結婚するのはまずい、と最後のほうの日に、ギリギリ伝えたが、そういう意味で言ったのだ。

あらゆる男女は、愛と恋の区別が説明できない時には結婚する資格はないと思っている。

恋は説明できるし、すでに上記の通りに伝えた。では愛は?

俺は知っているよ。だが、それをここで語るつもりはない。その答えは、自分で見つけなければ、なにひとつ意味はない。




ただひとつ伝えるとすれば……『15年』には、恋心というキーワードをわざと、わかりやすくなるように入れている。すぐ上にも、さも俺の恋心は終わった、と書いてある。俺は彼女を、およそ10年前から好きになったとも。だが、10年も恋心など、続くはずはないのだ。

すまないが、上のところでもまた、嘘をついた。









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