15年にわたる恋心に終止符を打った。その15年の経緯を、俺の思い出づくりのために書いていく018

彼女が大学のころからだろうか。よく贈り物をしあうようになった。

いつ話したのかは全然覚えていないのだが、彼女は俺が紅茶……それもアールグレイが好きなことを知っていて、たびたび贈ってくれた。もらったものは宝物のように扱った。彼女はほぼ必ず、それには手紙を添えてくれていた。プライベートで、人にプレゼントを送り、しかも手紙までつけるなど、当時の俺にはセンセーショナルなことだった。こんな世界もあり、こんな人もいるのだ、と。そして何よりそれは、俺の心を温めた。

手紙は、すべて、手元に残してある。もらった日付も加えて。

これもまた、今みると心がきしむが、それでも手元にあるのは、すごく心を暖める。やはり宝物は、その相手とどうなろうと、やはり宝物のままのようだ。

誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントは、前に話したとおり、彼女に絶対に送らなかったが……こういう何でもない日のプレゼントは頻繁にやりとりしていた。俺も何かと送った。

プレゼントの面白いところは、その送り手の趣味がよくわかることだ。彼女のプレゼントは紅茶のほかには、和菓子が多かった。今時の若い子は、誰もかれもケーキやビスケットなのかと思っていたが、彼女の物は甘いソースのかかったナッツだったり、かりんとうだったり……シブい子だと思った。

贈り物はこのとおり、たいていは、消費すれば消えるもの。

それはお互いがそうだったが、彼女がくれた紅茶の入った缶は……すべて使い切っても、今も結局捨てられずにいる。

たぶん、何かと理由を付けて、どこにでも持って行きそうな気がする。

俺も、消費したら消えたり、壊れれば捨てなくてはならないものを選んだつもりだったが……ひとつだけ、自分が抑えられずに、アレキサンドライト宝石のペンダントを送ったことがある。

あまり形の良いものではない……角張ったルース(裸石)に穴をあけただけの、かわいいと言うよりはゴツい宝石。

この別れの日を迎えたいま、彼女はあれをどうやって処理するのだろう? と思った。今となっては、もはや闇の中だ。

アレキサンドライトを選んだ理由は、べつに意味はない。俺がいちばん好きな宝石だったからにすぎない。そこはせめて、彼女の誕生石くらいにしとけよって、今なら思う。

アレキサンドライトの宝石言葉をいま調べたら『秘めた思い』らしい。イヤ、やっぱり意味があったことにしとこうか? という冗談も、伝えることはできないのがもどかしく、そして悲しい。

この『15年』を書き続けるのは、かなりつらい。書いている間はボロ泣きだからだ。

だが、この涙は、俺が向き合うべき涙。

ある本に『悲しみは受け止め、みつめあわなければ、いずれ重い障害となって身体に現れる』と書いてあった。

たとえば、親が死んだ後、悲しみを感じなくなるほど忙しくする……という方法をとる人がいるが、あれは心の整理方法としては、下の下だそうだ。

悲しむときに出るときの涙にはまた、(あくびなどで出る涙とは違い)ストレス物質が含まれている。つまり、泣けばストレスが軽減される。

他の人のことは知らないが、俺にとって涙とは、過去を悲嘆するものではなく、未来を見つめるためのものだ。記憶を思い出に変えるためのもので、力強く明日を歩き出すためのものだ。

だから俺は人知れず、泣きじゃくる。

俺は、この悲しみと向き合うことで、一刻も早く、未来を見据えないとならないのだ。だからこそ『15年』はすべて書ききろうと思う。

そもそも俺は、自分で決めたことを途中で投げ出したことなど、一度もないが。





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