15年にわたる恋心に終止符を打った。その15年の経緯を、俺の思い出づくりのために書いていく019

はっきりわかっている。

みるみる、彼女の記憶がなくなっていく。顔や声も忘れつつあるが、彼女と昔、共にやったことも……どんどん消えているのがわかる。いま、彼女の名前を思い出すのさえ、少し時間が必要になっている。

『15年』の記事を、傷心のうちにしたためて良かった。これは、俺が前に進むために、脳が選択した『意図的な忘却』なのだ。

とはいえ、完全に忘れられるのだろうか。そして、忘れるべきなのだろうか。

今日も、友達のそらなにいろ先生に、犬用お菓子をダンボール箱に詰めていると、『彼女』のことを思い出して、泣きながら荷造りをすることになった。

『彼女』には、たびたび、こうやってプレゼントを送っていたが……それももう永遠にできなくなったのだ、と思ったのだ。

役に立てなくなる。俺が彼女を忘れるように、彼女も俺を忘れる。もしかしたら、あちらはもう忘れているかもしれない。それが、今は、ひどく辛い。

だが思えば、それもおかしな話だ。ほんらい、俺は彼女との別れを、悔やんだり悲しむ資格さえ持ち合わせていないのだ。

俺は、昔から彼女と距離を取るようにしてきた。それは以前の記事にも書いてある通りだ。仲良くなりすぎないように。俺が破滅を迎え、それによって壁を突き抜けるために。

世界と糸の切れた人間は、世界最強になるのを知っているからだ。

それに、人の感情をコントロールしようとした人間には、別れを惜しむ資格などないのだ。

なにが『彼女が俺のことを思い出すきっかけを減らすために誕生日プレゼントを送らなかった』だ。なにが『自分からは電話しなかった』だ。そんなことをしている人間に、そもそも人を愛する資格はないし、人と一緒にいる資格も、ありはしない。

時間が経てば、すぐに自分の目標のために、たいそう大事だと言っている『彼女』を犠牲にするのは、目に見えている。

彼女は被害者ではないが、俺は加害者なのだ。

そこまでわかっているのに、心の傷は、まだ消えない。

いや、『15年』は、自己否定をする場ではない。この話はここまでだ。

結局のところ、世の中にいる人間は二種類だけだ──自分か、それ以外だ。

それなのに俺が俺を否定したら、誰が俺を肯定する?

次のエピソードでは、なるべく、おかしな話をしようと思う。そしておそらく、もうエピソードはほとんど残っていない。

10/26まで、あと少しだ。



20241015しるす

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