んで、彼らとのツキアイも期限を迎え、子供たちと合流することに。
なんだか満足げではあったのではないかと思う。子供は新しい体験や物事には、大人にマネできないほど柔軟だ。
たぶん、ここらへんで、子供たちがオリエンテーションの際に教えられた歌を、外国の子供たちのために歌ったはずだ。
ちょっとヤラサレ感はあったが、手作りの、よい歌だったと思う。
対してアチラも、こちらへプレゼントとばかりに、kpopダンスを披露するのだが……あちらは子供たちがやるのではなく、プロっぽいのがガチガチにしてキレッキレのダンスを見せてきた。
え、ウチの子供らの立場は……? これと比べられるん……? とは思ったが、それを叫ぶ場でもないから飲み込んだ。
あとは何だかしらんが、アチラの国の男性が、壇上から、金を握りしめて『これが欲しければ大声を出して見せろ』と言ってきた。子供たちは素直だから、壇上へ向けて、生まれたてのヒナが親鳥にやるような大口で、シャウトをしていた。俺はそれにずっとクエスチョンマークが出ていたが……これが異文化交流なのだろうと、なにも言わずにいた。
結論として、やはり大人のやることはもっぱらつまらん、となった。
この海外交流ののち、俺はこの団体に乱交パーティーに誘われた。
そこで抱く感情は……軽蔑。
乱交も麻薬もパチンコも、夢のないやつ、目標のないやつ、得たいもののないやつ、伝えたいことのない奴……大事なもののない奴、そしてその事に考えもつかぬ人間がやるものだ。
少し自分の未来を思えば、これらに手を出す理由はないのだ。皮肉なことに、自分のカネにしか興味のない人間は、これらをやっても、もともとクズなのが、クズの要因を増やすだけなので、矛盾にならないというのは歯がゆいが。
人間はクズよりも、矛盾するものを攻撃する。クズのほうが矛盾した者よりも弊害が大きいのに、だ。
クズ男が乱交しても、どうせクズだしと許される(諦められる)。1000のゴミエピソードのある男が1001のゴミエピソードを持つ男になっても、ゴミなことに変わりはないが、100の美事に1のスキャンダルがあれば、100の美事はたちまち説得力を失い、不信の目を向けられるのだ。チェ・ゲバラが乱交していれば、彼の信頼は大きく失墜しただろう。
福沢諭吉はかつて、女遊びをする男にたいして、こう語った。女をはべらせて何とする? 自らの企てを、自らの力で達する……これの右に出る快事はない、と。
俺もそれに同説だ。
話がそれた。
最後に、プールで遊ぼうという話になった。もともと話は最初から出ていたらしく、子供たちは水着を着ていた。そういや俺も着てたわ。書いてて思い出した。
で、プールに水を入れる所から始めるから、子供たちがはしゃぐ。それほど待つこともなく、水はプール一杯になり、子供も大人もワイワイと遊んでいた。
誰かが服を着たままプールに放り込まれる。俺もそれを見て、服を着たまま(下は水着だ)プールに入った。
絶対に上半身は見せたくなかった。また、どこかで触れることができればいいが、俺の背中には、大量の穴が開いているのだ。ぶっちゃけ、ちんkを見られるより背中を見られるほうが恥ずかしい。
だから俺はそれを隠しながら、子供や大人の群れに入っていった。
後で同じ団体の人に聞いたが、そのプールは、孵化したあとのボウフラの卵がたくさん浮いていたらしい。
ということも含めて、例の彼女に話したら、なぜだかプールに入ったこと自体を忘れていた。なんでや! 楽しそうだったやんけ!
で。
サア帰ろうというので、空港まで来る。なんか俺のズボンが下がってパンツが見える!とか騒ぐ男の子がいた。そして指摘されて気にしないアタシ。
そこで、韓国のお土産(もうぼかしてないやん)を探すことに。子供たちは、やばい小銭がないとかいうから、もともと多めに小銭やら少額札も持っている俺がそのカバーに。彼らの両替センターとして立ち回る、有能少女みんQちゃん。
俺が買ったのは、日本にもありそうな、漆塗りのオルゴール式宝石箱。300000ウォン。つまり3万円ほど。横25センチ、奥行き20センチ、高さ15センチの、けっこうでかい漆の宝石箱。
それは今も、俺のそばにある。
その中には、彼女からもらったものを入れてある。何十枚もの手紙とハガキ、それから、韓国で撮った写真……。
この宝物は、ときおり俺に思い出されながら、ときに読まれながら、静かに古びていくのだろう。