15年にわたる恋心に終止符を打った。その15年の経緯を、俺の思い出づくりのために書いていく008

それで、日本に戻り、この海外交流イベントはおしまい。

空港を経てバスへ乗り換え、ボーリング場の前にて、俺は子供たちと別れた。

そこで彼女に『来年もまたここで会おうね、みんQちゃん!』と言われ、『もちろんだ』と嘘をついたのは前の通り。

それからも、ちょくちょく彼女と仲間たちは遊びに来た。

一緒にゲーセンに行ったり、カラオケに行ったり、ファミレスで飯を食わせたり、なんか地元の、そこそこの標高の山に車で(9合目まで)行ったり。このことを彼女は覚えているだろうか?

うちの実家はドレスショップだったので、定休日には、男の子にタキシードを、彼女含め女の子にはドレスを着せたこともある。『相手いないと婚期遅れる』とか、別の女の子が言いながらも、きっちりドレスを着ていた。というか、全員、自分で着れていた(ひとりで着れるものではないから、友達同士、手伝いながら着せるのだが、教えればわかるのだと知った)。

あの時の写真は、俺のパソコンのどこかにあるはずだ。探しとかないとな。

ほかには、夏祭りに、彼女やその仲間たちと、浴衣を着てラノベみたいに夜の町をぶらついたことも。彼女は、東南アジアっぽい、脂でてかった顔の男に絡まれ、腕を肩に回されて一緒に写真を撮っていた。そこまでは異文化の範疇か? と疑念を持ちながら見ていたが……彼女を親から預かっているのだ、それ以上のことをすれば殺すつもりでいた(責任のある立場なのだ、そうせざるを得ない)。

そんなことを時折、繰り返しているうちに、いきなり彼女は来なくなった。何か月ぐらいだっただろうか。とにかく、何も、お互いがコンタクトを取らない日が続いた。
連絡もないし、こちらからもしない。この時には、さすがに未成年の子に何かを期待することは1ミリもなかった。

だが、その気持ちを初めて変えるできごとが起こった。

俺たちの住む場所に、大豪雨が起こったのだ。川は濁流が暴れ、道には大量の水が走っていた。俺の店も浸水するかしないかの瀬戸際で、テレビの取材が入った。

えらいこっちゃ、と思っていたところ、完全に忘れていた、彼女からメールが入った。『みんQちゃんのところがテレビに映ってた! だいじょうぶなの!?』と。

俺は無事だと返したが、こんなことで連絡を寄越した人間は、彼女が初めてだった。取引先でさえ、こんな反応をした者はいなかった。

純粋だとか誠意だとか……うまい単語では言い表せないが、彼女のまっすぐな気持ちを見た気がした。
(この子、ぜったいモテる子だな)
そう冷静に評価したつもりだったが……なんのことはない。俺こそが、彼女のそんな率直さに、ホレてしまったのだ。

だがそれはまだ、ほんのりとした、淡い気持ち。

会わねば消えるし、話さねば忘れる。そのくらいの、ささやかな、小さな思いだった。俺はホレっぽいんだ、と彼女にも何回か話したが、俺は忘れるのも早い。

だが、その日から、彼女はちょくちょく、また遊びに来た。忘れっぽい俺でも、忘れられないぐらいに。

ほのかな思いは、少し、大きくなった。

ちなみに、大豪雨のときまで疎遠だったことを、彼女はまったく覚えていなかった。アレがなかったら、少なくとももっと疎遠な時期が続いていたか、あるいは関わりは途切れていたはずだ。てゆか覚えてないこと多すぎだろアイツwwwwwwwwwwwwどこまで本能に忠実なんだよwwwwwwwwwwww




2024/9/27記す





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