15年にわたる恋心に終止符を打った。その15年の経緯を、俺の思い出づくりのために書いていく002

話は15年前にもどり、オリエンテーションは続く。

外国の子達に捧げる歌を、けっこうガチめに叩き込まれる子供たち。横で見ていたが、スパルタだった。

そこらへんの事を終えると、今度は合宿に行こうという話になった。早朝に集まり、みんなでバスにのり、どっかの山奥へ(どこだったのか、まじで覚えてない)。

そこでやったことは、先にも伝えた、江戸しぐさ。ここで、上の者の礼する話だけを、たんたんと子供たちに伝えていく。覚えているのは、『雨の降っている細い路地で、向かいから人が歩いてきた。君たちはそのまま傘を差したままでは、相手に当たってしまう。どうする?』という質問を飛ばしたこと。当たり前ながら、傘を傾けて横を通りすぎる、と全員が答えるのだが……これ、小学1年生向きやん……こいつら死ぬほど賢いんだぞ? 見積もり甘いぞって思いながら話していた。

そういう授業やら何やらも終わり、晩飯を、子供たち、大人で手分けして作ろうということになった。俺は何をやったのか、ぜんぜん覚えていない。息とか吸ってた。

彼らが作ったのは(そこには最近までツキアイのあった彼女もいた)、カレー。肉を炒め野菜を炒め、水を入れて牛乳をいれ……たかどうかはわからないが、俺もそれを食べさせてもらった。

死ぬほどうまかった。カレールウを使った、ふつうの味だったはずなのに。今でもあの味と、その時の感動のことは覚えている。

そのエピソードの前だったか後だったかは覚えないが、こういうこともあった。

俺と彼女たちのグループ(4人)で一緒にいるとき、何かの折に、その子供たちが喉が乾いたと言うから、ならジュースをおごると伝えると、四人が四人とも、信じられないほどのテンションで喜んだ。ジュース一本でこの喜びよう。これが20代であれば『あざーす』で終わるはずなのに、10代始めとは、なんでも嬉しく、なんでも悲しい年頃なのだろうと思いながら眺めていた。

これから一年後くらいに、彼女には『みんQちゃんって表情ないよね』と言われたことがある。俺は彼女たちを感情の権化と思っていたところ、彼女たちは俺を無感情の長物と思っていたようだ。

そんな俺にも、チョイとは感情を現していた時期はあった。小学生の頃、九九を覚えるのが遅かった俺は、居残りで先生と勉強していた。ソンナ折りに、先生が『疲れたろう』といって、飴玉をくれた。

あの時の感動は忘れられない。絶対に甘いものなど取れない環境のなかで、まさか普段は飲食禁止を発しているはずの教師が、飴玉をくれたこと。その認識の裏切りが、あれほどの感動を呼ぶとは。

俺は一杯のジュースで喜ぶ彼女らを見ていて、自分自身の忘れていた過去を思い出したのだ。

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