あとがき

 本ストーリーは都合上、いっさい時代考証を交えなかった。

 歴史に詳しい専門家に依頼する金がなかったのが、五割がたの理由だが、残りの五割は、当時の現実を突き詰めすぎると、現代では用いないがゆえに難解に見える言い回し、あるいはその時代には存在しないゆえに使えない表現が増えるからである。

 たとえば幕末のころには、現代では普通に使われる「自由」「競争」「経済」「演説」「拍手」などの政治経済用語、および「哲学」「精神」などの心理用語がほとんど存在しない。

 自由という単語は幕末以前にもあるにはあったが、それは「わがまま」という意味とまったく同じだった。それを1866年、福沢諭吉が西洋事情・初編の中において「フリーダムとかリバティの訳語として、この自由の字を当てたが、この語はもともとわがままと同義。のちの勉学者たちは、もっと良い単語を割り当ててほしい」と断っていた。たしかに現在でも、自由勝手、という熟語には、わがまま、という意味が残っているが、そういう理由だろう。

 政治経済の用語は、福沢諭吉が2000語ほど生み出し、心理用語は西周がやはり2000語ほど生み出した。

 そのほか、牛耳(ぎゅうじ)る、野次(やじ)るなどはもともと夏目漱石が「牛耳をとる」「野次をとばす」を省略した言葉として作ったものゆえに、幕末には存在しない語だが、これらのことも本ストーリーは考慮しないものとした。

 つまりこの小説は、当時には存在しない言い回しや単語への制限を無視して、思う存分に、雅俗めちゃめちゃに混ぜている。

 筆者は文章修行にあたって、福沢諭吉・学問のすすめを二年間、毎日、必ず読み、ついでに現代口語訳することで磨いてきた(当HPにあるのは、その修練の残滓であるが、今見ると何ともつたない文章である)。

 福沢諭吉が(その師の緒方洪庵も)文章を書くときの哲学として「読者に辞書を引かせる手間をかけさせない」ことを心がけていたから、それもおのずと吸収することになった。その理念が私に残っているのも事実である。

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