1.プロローグ

 安政六年五月二十七日。西暦で言えば、1859年6月27日。

 その日は、押し出すような(あらし)と、針のような雨が同時に叩きつけていた(日本全国でこの日、豪雨だったのは伊勢だけだから、おそらく、そのあたりの話だろう)。

 ──そして、そんな天候の中、ぼろぼろの消炭色(けしずみいろ)の長着を腰紐で()めた、ふたりの少年が、肩をくっつけるようにして、川べりに立っていた。

 その川は激しい雨によって土石流と化し、(にご)った水を(たけ)り狂わせていた。

 退路のない少年たちの前には、濡れそぼった袴姿の老人が、ひとひらの刀を握って立ち、道を閉ざしていた。

「やっと追いついたぞ……あまり年寄りを走らせるな。私はホラー映画の殺人鬼のように神出鬼没(しんしゅつきぼつ)でも、無尽蔵(むじんぞう)の体力があるわけでもないのだ」

 老人──寺山士門は枯れた声でつぶやきながら、その少年たちを凝視した。

 二人の少年は、体型から身長まで、二卵性双生児と呼ぶには似すぎていたが……一卵性双生児というほどには、似ていない。

 それは彼らが、この老人のクローンだったからである。

 体細胞核移植。

 1996年に誕生したクローン羊ドリーと同じ、体細胞から取った核を、核の取り除かれた卵子に植え付けることでできるクローニング方法である。

 ゆえにこの方法では、卵子の細胞質にわずかに残るDNAも影響を残すため、そこから産まれる子は『一卵性』ほどに似ていないクローンとなるわけである。

「お前たちの……どちらかの脳をくり抜き、私の脳を移植する。これで身体だけは、私は若い身体を得られるわけだ。今日まで15年、そのためだけに、クローンとして培養したお前たちを地下で飼ってきた。そろそろ人生も堪能し終わったところだろう? 役だってもらうぞ、私が未来へ帰るために」

 老人士門は、まるで落とした筆でも拾いに行くかのような、無遠慮(ぶえんりょ)な足取りで、警戒心をむきだす少年へ近寄る。

「にげ……逃げ、るんだ」

 たどたどしい言葉とともに、少年の一人は老人に背を向け、もう一人の少年を、土石流の中へ突き飛ばそうとした。

 だがその瞬間、突き飛ばそうとした方の少年の額から、銀色の角が生えたかと思ったが──それは、士門の持っていた刀だった。

 そのまま、少年の額は横薙ぎにされ、頭頂部だけが、(さか)さにした皿のようになって飛んでいった。

 脳の上半分を吹き飛ばされた少年は、白目をむいて、泥の路地に倒れ()ちていく。

「ファ……ひぁっ!」

 生き残った少年は、目の前の殺戮劇(さつりくげき)を前にして、弱々しい悲鳴を漏らしながら、自ら河へ身を投げていった。

 少年の姿は、着水してすぐに濁流に押しつぶされ、沈み消えていく。

「バカなことを」

 士門は水に()まれた少年へ向けて、冷たい言葉を吐き捨てると、うしろを振り返った。

 そこには、第三番目の少年が、後ろ手に縛られた有様で立ち尽くしていた。

 この三人目の少年もまた──先ほどまでこの河べりにいた少年と、似たような顔をしていた。

「……二体の『予備』の回収に失敗した──ひとりは私が自ら殺し、もう一人は川に身投げ。移植手術の失敗は許されなくなったな」

 士門は、少年の手を(しば)るヒモをつかむと、あたかも牛でも引くようにして、さっさと来た道をたどっていった……。

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