少し後、アズマたちが、おしづの働く甘味処『たけやぶや』を去ってからのこと。
「戻ってきた……」
すらりとした、肌ツヤの良い袴姿の若者が、居並ぶ商店に挟まれながら、往来のど真ん中で感慨の吐息をもらした。
──この一年、全国、津々浦々、あの男を探し回ってきた……。
──江戸はすぐに調べにきたが、一年前は何も見つからなかった。
──だが、一年も経った今ならば……また事情は変わっているかもしれん。
──この江戸ならば、あの男の消息もつかめるはずだ。
「おい、そこの者」
袴姿は、棒手にたらふく魚を重ねた、着物の袖をタスキがけにした男を呼び止めた。
「へ、へい?」
「私は男だが、聞きたいことが。この人物を知らんか? もう一度言うが、私なら男だぞ」
袴姿の若者は、よくわからない念押しをしてから、紋付の左前に隠れた丸紙を取り出すと、バサリと開いた。
そこには、西洋の『ペン』で描かれた、写実画による人相書きが描かれていた。
熟達したものと言って差し支えない水準の人物画だったが……そこに写っていたのは──アズマだった。
「この者は十瀬願十郎。とはいえ、おそらくこの名前は偽名だろうがな。
どこかへ隠れているはずなのだ。何か知っていたら教えてほしい。奴は私の父を殺した男で、仇討ちの旅のさなか。あと、私は男だぞ」
「はあ……男なんてのは、見りゃわかりますよ、そんなの」
「私が男だと!?」
「何で怒るんですかい……ここらには、おかしなサムライ様が多いなぁ」
「おかしなサムライ? 十瀬願十郎でもいたのか?」
「いえ、トーセって人間かは、顔を見ちゃいないんで知りませんが……今日の昼、そこの甘味処で、悪党をやっつけてくれたお方がいるってんで、盛り上がってたんです……たいそうな変人だったそうです。やっつけたサムライをフンドシ姿にして、地面に埋めてたってんですからね」
「悪党を? そんなもの、男らしくて仕方がなさすぎる私には、関わりのないことだ……しかし甘味処か……疲れたことだし、ひとまずそこで休むのもいいかもな。男でも甘い物は好きだし、私も男だからな」
袴姿は棒手振りの男から、さっと身を翻すと、目の前にある甘味処『たけやぶや』の店前に出されている縁台に腰掛けた。
「いらっしゃいませー」
おしづが自然な笑みをたたえて接客にあがる。
「団子を一皿……それから」
袴姿は短く注文を終えると、またも左前から紙を取り出し、それをおしづに見せた。
「すまんが娘……こういう者を探しているのだが、心当たりは?」
「アズマさんにそっくり……」
「!? 知っているのか! こいつの名は十瀬願十郎と言うのだ」
侍はおしづの反応に、すかさず飛びついた。
「!? と、十瀬、願十郎さんですか?」
「そう、十瀬願十郎だ。偽名のはずだが、知る者がいないか、たずねているのだ。もっとも、今はまた新しい偽名を用いているかもしれんがな……知っているのだな? こいつは極悪人だ、万死に値する」
「あっ、いえ、その……人違いのようです。人違いでした」
おしづは慌てて打ち消した。
写実画だから、見間違えるはずもないが、確かにそこにはアズマとそっくりな人物が描かれている。
だが、利発なおしづは、先ほど暴漢から助けてくれた者と、この袴姿の話す人物が同じかどうか、決めあぐねていたのである。
だからまず、おしづは経緯を聞くことにした。
「極悪人とのことですが……この方が、何をされたのですか?」
「水戸藩桑内領の、勝手方としての父の信頼を失墜させ、切腹に追い込んだのだ……去年のことだ」
勝手方。幕府や藩の財政役人のことである。
「そんなことを……」
おしづの脳裏にアズマのことがよぎる。
──人を謀殺する人間が、自分を助けた?
──ありえないことではないけれど、早々に話すのはやめておこう……。
──あのアズマさんがどんな人間なのか、知ってからでも遅くはないだろうし。
まだ、答えを出すには早すぎるような気がして、おしづはこれを黙っておくことに決めた。
「まあいい。思い出したことでもあれば、教えてほしい。十瀬願十郎という名、忘れてくれるなよ。私はしばらく、ここらの宿に起居する。私の名は、池上リン……リン太郎だ。我ながら男らしい名前だ」
「は、はぁ……」
おしづは、押し切られるように返事をした。