10.遠路よりの復讐者

 少し後、アズマたちが、おしづの働く甘味処(かんみどころ)『たけやぶや』を去ってからのこと。

「戻ってきた……」

 すらりとした、肌ツヤの良い袴姿(はかますがた)の若者が、居並(いなら)ぶ商店に(はさ)まれながら、往来(おうらい)のど真ん中で感慨(かんがい)の吐息をもらした。

 ──この一年、全国、津々浦々(つつうらうら)、あの男を探し回ってきた……。

 ──江戸はすぐに調べにきたが、一年前は何も見つからなかった。

 ──だが、一年も経った今ならば……また事情は変わっているかもしれん。

 ──この江戸ならば、あの男の消息もつかめるはずだ。

「おい、そこの者」

 袴姿は、棒手(ぼて)にたらふく魚を重ねた、着物の(そで)をタスキがけにした男を呼び止めた。

「へ、へい?」

「私は男だが、聞きたいことが。この人物を知らんか? もう一度言うが、私なら男だぞ」

 袴姿の若者は、よくわからない念押しをしてから、紋付(もんつき)左前(ひだりまえ)(かく)れた丸紙を取り出すと、バサリと開いた。

 そこには、西洋の『ペン』で描かれた、写実画(しゃじつが)による人相書(にんそうが)きが描かれていた。

 熟達(じゅくたつ)したものと言って差し(つか)えない水準の人物画だったが……そこに写っていたのは──アズマだった。

「この者は十瀬(とおせ)願十郎(がんじゅうろう)。とはいえ、おそらくこの名前は偽名(ぎめい)だろうがな。

 どこかへ(かく)れているはずなのだ。何か知っていたら教えてほしい。奴は私の父を殺した男で、仇討(かたきう)ちの旅のさなか。あと、私は男だぞ」

「はあ……男なんてのは、見りゃわかりますよ、そんなの」

「私が男だと!?」

「何で(おこ)るんですかい……ここらには、おかしなサムライ様が多いなぁ」

「おかしなサムライ? 十瀬願十郎でもいたのか?」

「いえ、トーセって人間かは、顔を見ちゃいないんで知りませんが……今日の昼、そこの甘味処(かんみどころ)で、悪党をやっつけてくれたお方がいるってんで、盛り上がってたんです……たいそうな変人だったそうです。やっつけたサムライをフンドシ姿にして、地面に()めてたってんですからね」

「悪党を? そんなもの、男らしくて仕方がなさすぎる私には、関わりのないことだ……しかし甘味処か……疲れたことだし、ひとまずそこで休むのもいいかもな。男でも甘い物は好きだし、私も男だからな」

 袴姿は棒手振(ぼてふ)りの男から、さっと身を(ひるがえ)すと、目の前にある甘味処『たけやぶや』の店前に出されている縁台(えんだい)腰掛(こしか)けた。

「いらっしゃいませー」

 おしづが自然な()みをたたえて接客にあがる。

団子(だんご)を一皿……それから」

 袴姿は短く注文を終えると、またも左前から紙を取り出し、それをおしづに見せた。

「すまんが娘……こういう者を探しているのだが、心当たりは?」

「アズマさんにそっくり……」

「!? 知っているのか! こいつの名は十瀬(とおせ)願十郎(がんじゅうろう)と言うのだ」

 (さむらい)はおしづの反応に、すかさず飛びついた。

「!? と、十瀬、願十郎さんですか?」

「そう、十瀬願十郎だ。偽名(ぎめい)のはずだが、知る者がいないか、たずねているのだ。もっとも、今はまた新しい偽名を(もち)いているかもしれんがな……知っているのだな? こいつは極悪人(ごくあくにん)だ、万死(ばんし)(あたい)する」

「あっ、いえ、その……人違(ひとちが)いのようです。人違いでした」

 おしづは(あわ)てて打ち消した。

 写実画だから、見間違(みまちが)えるはずもないが、確かにそこにはアズマとそっくりな人物が描かれている。

 だが、利発(りはつ)なおしづは、先ほど暴漢(ぼうかん)から助けてくれた者と、この袴姿の話す人物が同じかどうか、決めあぐねていたのである。

 だからまず、おしづは経緯(けいい)を聞くことにした。

「極悪人とのことですが……この方が、何をされたのですか?」

水戸藩(みとはん)桑内領(くわうちりょう)の、勝手方(かってがた)としての父の信頼(しんらい)失墜(しっつい)させ、切腹(せっぷく)に追い込んだのだ……去年のことだ」

 勝手方。幕府(ばくふ)や藩の財政役人のことである。

「そんなことを……」

 おしづの脳裏(のうり)にアズマのことがよぎる。

 ──人を謀殺(ぼうさつ)する人間が、自分を助けた?

 ──ありえないことではないけれど、早々に話すのはやめておこう……。

 ──あのアズマさんがどんな人間なのか、知ってからでも遅くはないだろうし。

 まだ、答えを出すには早すぎるような気がして、おしづはこれを(だま)っておくことに決めた。

「まあいい。思い出したことでもあれば、教えてほしい。十瀬願十郎という名、忘れてくれるなよ。私はしばらく、ここらの宿に起居(ききょ)する。私の名は、池上リン……リン太郎だ。我ながら男らしい名前だ」

「は、はぁ……」

 おしづは、押し切られるように返事をした。

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