場所はうつり、『アズマ顔の男』……寺山士門の地下アジト。
「ママ……あの時の私は若く、ママの意志を汲みかねておりました。ですが、今ならわかります……」
例の鉄扉の向こうで、士門は母親の写真と、そのそばに置いた腕時計に話しかけていた。
「先生」
その思索を打ち破るようにして、鉄扉から、西洋流のノック音を鳴らして、亀井の声が聞こえてきた。
「ついに収穫がありました。ずっと探していた、士門先生のクローン体──CCE七十と、出くわしたのです。私と懇意の、おしづの甘味処です。先生もご存知の、あのおしづです」
「CCE七十が?」
そのニュースに、さすがの士門もすぐさま反応し、喜びかげんに立ち上がると、床石をこすれさせながら鉄扉を開けて亀井の前に出た。
「それは朗報だ。おしづとは……お前が養育していた娘だったな。私も何度か、あの娘に会ったのだった……まだ若返る前だから、あの娘が私に気付くことはなかろうが」
おしづは、士門が老人だった頃には、かなり面識の深い間柄である。
だが寺山士門は、若返ってからは一度もおしづとは会っていないから、おしづが士門を見たところで、亀井の父であり師でもあった老人と、今の若い士門とが、同一人物であるとわかるはずもない。
つまり現時点では、おしづは士門に関する情報を、アズマに何一つ渡すことはできないのである。
「他に何かわかったことは?」
「奴は旅籠の『えながや』に住んでいることもわかりました。白い袴姿という、目立つ格好だから、人々の記憶に残りやすいのでしょう、そこらで訪ねてみれば、すぐにその話を得られました」
「2年にして、ようやく手がかりだ。これでも早く見つかったのかもしれんが」
士門は満足そうに、あごに手を添えた。
「亀井、そこまでたどり着いたのだ。次に何をするべきか、わかっているだろう?」
士門がほのめかすのは、ただ一つの意味のみだった。
捕らえて、連れてこい──
それは亀井にも推し量れたが、それでもわずかな抵抗を見せた。
亀井は目と精神が曇ってはいても、やはり善人なのである。
「ここへ連れてくるのは構いませんが……他人の空似、という線もあります。私もそれを見違えるはずはありませんが……もし違えば、どうされますか」
「奴の左上腕に、CCE七十と焼印をしてあるのは知っているだろう、確認はしていないのか?」
「さすがに、そのヒマはなかったものですので……」
「衆目もあるから仕方ないな……そこは捕らえさえすれば、いくらでも見られよう」
「まだ当人と断定できませんので、何とも言えませんが……もしも違えば、どうなさるおつもりで?」
「奴がCCE七十でなかったなら、奴のほうにも我々の居場所が知られることになる。となると、秘密保持のためにも、生かして返すのは無理な話だ。
わかるだろう?
秘密とはふつう、金、手間、労力……あらゆる物をかけて守るものだ。我々だけの秘密なら、なおさらだ。
前にも未来の話をしただろう?
アメリカの秘密軍事研究基地、『エリア51』が生まれるきっかけになったのは、原爆製造のために立ち上げられたマンハッタン計画だが……そのマンハッタン計画の秘密保持のやりかたは徹底していた。
その秘密を守るために200億ドル以上ものカネを投じるのみならず、側近中の側近である副大統領と上院の国防委員長を兼務していたトルーマンさえ、その計画、つまり原爆製造については知らされていなかったのだ。軍の金の使い道を管理する立場だったにもかかわらず、だ。
トルーマンはのちのちアメリカ大統領になる男だな。
マンハッタン計画には20万人が参加し、80もの関連組織が関わっていた。それほど多くの人間が参加していたにもかかわらず、秘密は長いこと守られていた。計画に参加する彼らはみな、電話を盗聴されることを許諾し、憲法に守られる権利を放棄する、と誓約書を書かされたのだ。
国家、組織だけでなく、個人でさえも、秘密とはそういう扱いをすべき物なのだ……日本人はあまりにも、秘密を他人に話しすぎる」
「……は」
亀井は小さくうなずいた。
納得、共感、利害──人間が他人を動かすには、これらのどれかが必要だが、士門はこれにかけては達人と言えた。
洗脳も、言いくるめも、感動も、雇用も信頼も、妥協も、支配や屈服、脅迫も、この3つの内のどれかにすぎないのである。
「亀井よ、急ぐのだ。私の永遠の命は近いぞ」
士門は返事を待たず、亀井を追い出すように鉄扉を閉めると、再び母の写真と向き合った。
「ママ……また一つ、進捗を果たしました」
士門は母の写真を取ると、いつもより長いキスを始めた──