完全にふけきった夜の、料亭。
そこでは、やたらと意気込んだ
それは昼間にタクトに
「
みなを前に大声で語っていたのは、いかついヒゲ面の……それ以上に
朝田英一と名乗る男は、いつものように、
「次も異人狙いですね」
「ああ、調べはついたか? ヒュースケン以上に、斬れば名の上がる奴がいい」
「はい、それなんですが……」
取り巻きの男がそこまで
突然、そこで
「!!」
だが、そこにいたのは、幕府の
その男は、泣きそうな顔で
「何者だ!」
浪士の一人が叫ぶが、刀を向けられる男のほうは、ただおびえながら朝田たちを見ているのみだった。
──どこかの
朝田が鼻毛をたなびかせながら、
「あ、あ、あ、あなたがたを見込んで、お願いに上がりました」
男は
──俺たちに、用がある?
朝田は
それに応える形で、国重が町民の動きに注視する。
「幕府の者ではないのか」
国重がたずねる。
「ちちちち違います……あなたがたに、
「捕らえる、だと? 誰をだ」
「きょ、きょ、今日の昼、みなさまが『話しかけていた』二人組がいたでしょう? あああのうちの、白い
町民は弱々しくおののいた印象とは
「いったい、お前は何を言っているのだ」
「われわれを
相手が低姿勢なので、浪士たちはつけあがり、さらに声を荒げる。
「ひ、ヒィィィィっ!」
町民は身を守るように両手を頭にやって、背を丸めるが……それでも、この場から立ち去る
いつ斬られても文句は言えない有様なのに、だ。
朝田と、隣の国重はため息のような
──帰れない、あるいは帰るわけにはいかない理由があるのだ。
──考えられる理由といえば……。
「おい、お前。ちょうどいい。お前ごときの話なんぞに付き合う気はないが、
朝田が考え事をしている間に、浪士のひとりが、したり顔で提案した。
「そりゃあいい。命もかけられず、日の本のことも考えられないこいつらには、裸踊りがお似合いだ」
ほかの浪士たちも刀を向けたまま、町民に
だがやはり、それでも町民はそこから逃げ出そうとしなかった。
「おい、お前ら」
朝田がやっと声をはさんだ。
「俺はそいつの話を聞いてみたい。裸踊りはその後でも構うまい」
朝田が周囲をぎろりと
「で、なんだ。続きを言え」
「は、は、ははい……や奴は、し白袴のアズマと言いますがが、いいい生きてさえいれば良いので、手か足か、切り落としても
「われわれ
浪士の取り巻きが吠えた。
「俺達が
「消えろ!」
次々に、他の浪士たちも続く。
ここまで言われても町民は、ぶるぶるとおぼつかない手で、自らの
「我々を
浪士の一人が自尊心を守り通そうとするように
「あ、あ、あ、あなた様方は
町民はしどろもどろながらも、浪人たちに要求を伝える。
「む……」
一同は黙り込んで、朝田のほうを見やった。
朝田はめんどくさそうに左手で顔をかいた。
「たった五両で、われわれに悪事を働けと? 少なすぎやしないか。お前は巨億の金と人間をかかえる幕府を倒すのに、たった五両で足りると思っているのか?」
「せ、成功
町民がそう主張すると、周りの浪士たちはいっせいにどよめいた。
(一両を、コメ相場から現代の金額に計算すると¥42.000~¥84.000となる。
それでもなお、朝田の顔色は変わらなかった。
「お前に聞きたい。誰かに
「いいいい、いえ、命令などは受けておりまままません……私はその白袴のアズマというのに、
「ふうん……妻と娘を
「ちちちちがいます、私は誰にも命じられてなどなどなどど……助けて下さい。妻と娘が……」
町民の男は、いちばん話のわかりそうな朝田に、目線で
「花は
それがお前らの死ぬべき時なのさ、あきらめるんだな。
お前らのように、サムライの作った世界にあぐらをかいている
朝田は冷たく言い放つ。
「そそそそんな……私の妻と娘が……たすけ、たすけて……二人が殺される……」
「朝田さん……」
となりの国重が、朝田の顔をうかがう。
その視線には『
刀を持ちながら待つ朝田の手下もまた、同じような、同情のこもった目を、朝田に向けていた。
「……誰が、やらんと言った。
周りのただよわせる空気に飲まれ、独裁者になりきれなかった朝田が、肩をすくめてから、抜いている刀を
「お
町民の男は顔を真っ赤に泣きはらして、
その様を横目に見ながら、朝田はあごに手を置いて思案を始めた。
「しかし、お前の飼い主……
で、お前を
「か、か、か顔を布で隠していたのでわかりませんでしたが……
「黒幕を
「良いんですか、朝田さん。その黒幕とやらの言うことを聞くのは危険すぎやしませんか。人質まで取る
話を受けるとまでは思っていなかった国重が、朝田に
「それは俺も思った……しかし、考えてみれば
朝田は、
かなり甘い見通しの決断で、本当に政府の悪事だったら朝田たちにかなう道理はなかったのだが……幸いにして、今回の相手は、寺山士門という個人。
だがこの甘い目算は、黒幕『寺山士門』にとっても、朝田にとっても、幸運な取り合わせとなった──
「話は決まった。おい町人、さっさとここを去れ」
同じく夜、人のいない寺の
「良かろう」
士門はもともと値上げ
「ただし、これ以上の
「わかりました……私の妻は、今どこへ?」
「お前が
「わ、わかりました……すぐ戻ります」
「先生……もう、お手を回されていたのですね」
横で話を聞いていた亀井が、士門に向き直った。
その亀井の表情は、
「CCE七十を
士門はこの一晩で、20人もの人々を同時に
これを士門と亀井だけでできるわけはないから、この江戸に
弟子たちは亀井同様、いずれも士門の命令とあれば、どんな悪事にも手を
「しかし、奴のために二十人も
亀井が意見を述べたが、その二十人が、計画の完遂のおりにはどうなるかを悟ってもいた。
亀井はそれに対する同情心は持っているが、それ以上に、士門への忠誠心が高すぎるために、その同情心は発揮されることも、表出することもない。
「
士門は、
「……四人の仲介者たちは、それぞれの大切な人質を取ってある。子供だったり妻だったり、母親だったりな。
だから万が一、朝田とかいう幕末テロリストどもがCCE七十に敗北して、生き残った誰かが私の居場所について尋問、あるいは拷問されて情報を吐いたとしても、そうそう私の居場所まで辿られることはない。
仲介者たちは、大事な家族と私の情報……それもせいぜい別の仲介者との面会法を
四人も仲介者がいれば、一人くらいは口の固い者もいるだろう」
士門はそんな楽観論をもらしたが、それは士門が楽観をできるほどに、非道を突き詰めた結果でもあった。
士門の自画自賛にひとしい語りは、続く。
「──奴らはいずれも妻帯者で、子供もいる。
実のところ私の弟子たちには、結婚をしている連中ばかりを狙って集めさせたのだ。この時代、社会的に動きやすいのは女より男だから、既婚の男をな。
1846年、カリフォルニア開拓を目指したドナー隊の話をしよう。
その開拓団は、その無計画さと運の悪さのために、目的地のカリフォルニアへ到着する前に、氷雪に襲われ、身動きが取れないまま食糧が尽き、隊に参加した87人のうち、約半数が飢えて死んだのだ。
生き残りのほとんどが、人肉を食うことで生き延びたのだが……私が気になったのはそこではない。私も腹が減れば人間だろうと何だろうと煮て食うからな。亀井、飢えたことのあるお前も、そうするだろう?
生き残った人間のほうを分析してみたら、面白い結果が出た。
──女は男より生存率が高かった、という部分は、それほど驚くに値しない。女のほうが体内の栄養素を消化しにくく、そもそも皮下脂肪も多い上に、ドナー隊での肉体労働は腕力のある男にやらせがちだったから体力を温存できた、というのもある。
──私が気になったのは、これから話す男たちのことだ。
19歳以上の独身男は、シエラネヴァダ山脈を越えられずに11人全員が死んだが、家族連れの既婚男は8人中4人が生き延びた。
男の中で、既婚者は、未婚の男よりはるかに生存していたというわけだ。それはなぜか。
その確たる答えは出ていないが、既婚男はストレスに強くなるから、という可能性はあるそうだ。
2010年、シカゴ大学の実験で、未婚男と既婚男を、同じ悪環境に置いてみると、未婚男のほうがコルチゾール濃度が高くなった。
未婚男はそれだけストレスに弱く、したがって無駄なエネルギーを使いやすい、というわけだ。
いま、われわれは仲介者の家族を人質に取り、意のままに
奴らには未婚男とは違い、守るものがある。
そしてそれは、
拷問を受けても秘密を吐きにくい人間とは、こういった手合いだ。
──ブラック企業にしがみつくのは未婚男よりも、既婚男というわけだ。
つまり、われわれのような人権を踏みにじる者には、既婚者のほうがうってつけだ。
既婚の男の大事なものを奪い去り、それをひけらかして協力させる、というわけだ……」
「さすがです、先生」
寺山士門のご高説に、亀井のにごった目がさらに異様な光を帯びた。
「近いうちに、あの朝田とかいうチンピラ共が、CCE七十を
連中の
「はい、心得ました」
亀井が頭を小さく下げると、士門はいつものように、犬でも追い払うような