18.不幸なる仲介者

 完全にふけきった夜の、料亭。

 そこでは、やたらと意気込んだ気勢(きせい)をはなつ、倒幕志士(とうばくしし)(とこ)()を背に、演説(えんぜつ)を続けていた。

 それは昼間にタクトに因縁(いんねん)をつけていた、殺気(さっき)まみれの男たちだった。

攘夷(じょうい)をおこなうには、やはり異人(いじん)()るのが手っ取り早い。異人を斬れば、悪政府は諸外国へ言い訳をしなくてはならん。幕府の面目(めんもく)もつぶせるし、諸外国との交渉も進みにくくなるし、俺達はイテキを殺せるし、一石三鳥だ」

 みなを前に大声で語っていたのは、いかついヒゲ面の……それ以上に鼻毛(はなげ)がゆらゆらとしているのが目立つ男。

 朝田英一と名乗る男は、いつものように、(みずか)らが率いる手下、もとい同志に言って聞かせていた。

「次も異人狙いですね」

「ああ、調べはついたか? ヒュースケン以上に、斬れば名の上がる奴がいい」

「はい、それなんですが……」

 取り巻きの男がそこまで(しゃべ)りかけたところで、だった。

 突然、そこで障子(しょうじ)がガラッと、乱暴(らんぼう)に開け放された。

「!!」

 攘夷(じょうい)の男たちは、すぐさま、腰の刀を抜き放ち、開いた障子のほうへ構える。

 だが、そこにいたのは、幕府の()ち入りではなく……ただ一人の、刀さえ腰に帯びていない、小袖(こそで)の町人男だった。

 その男は、泣きそうな顔で廊下(ろうか)に立ち尽くしているだけで、それ以降に何かをしてくる気配(けはい)はなかった。

「何者だ!」

 浪士の一人が叫ぶが、刀を向けられる男のほうは、ただおびえながら朝田たちを見ているのみだった。

 ──どこかの酒席(しゅせき)と間違えて、俺たちのところに入り込んだ町民か。なら、適当に(おど)して帰らせるか。

 朝田が鼻毛をたなびかせながら、(ろうか)下の男をそう評しかけたところで、だった。

「あ、あ、あ、あなたがたを見込んで、お願いに上がりました」

 男は(ふる)え声のまま、朝田たちに話を持ちかけてきた。

 ──俺たちに、用がある?

 朝田は(となり)にいる腹心(ふくしん)の、国重に目(くば)せをした。

 それに応える形で、国重が町民の動きに注視する。

「幕府の者ではないのか」

 国重がたずねる。

「ちちちち違います……あなたがたに、()らえて欲しい者がいるのです」

「捕らえる、だと? 誰をだ」

「きょ、きょ、今日の昼、みなさまが『話しかけていた』二人組がいたでしょう? あああのうちの、白い袴姿(はかますがた)の男を、ででです」

 町民は弱々しくおののいた印象とは真逆(まぎゃく)の、きな臭い陰謀(いんぼう)を持ちかけた。

「いったい、お前は何を言っているのだ」

「われわれを()めているのか?」

 相手が低姿勢なので、浪士たちはつけあがり、さらに声を荒げる。

「ひ、ヒィィィィっ!」

 町民は身を守るように両手を頭にやって、背を丸めるが……それでも、この場から立ち去る気配(けはい)は見せない。

 いつ斬られても文句は言えない有様なのに、だ。

 朝田と、隣の国重はため息のような動作(どうさ)を取るが、油断はしていなかった。

 (おど)され、いびられながらも、町民はときおり話を続ける。

 ──帰れない、あるいは帰るわけにはいかない理由があるのだ。

 ──考えられる理由といえば……。

「おい、お前。ちょうどいい。お前ごときの話なんぞに付き合う気はないが、裸踊(はだかおど)りをする者が足りんのだ。町民、お前がやれ」

 朝田が考え事をしている間に、浪士のひとりが、したり顔で提案した。

「そりゃあいい。命もかけられず、日の本のことも考えられないこいつらには、裸踊りがお似合いだ」

 ほかの浪士たちも刀を向けたまま、町民に嘲笑(ちょうしょう)を浴びせている。

 だがやはり、それでも町民はそこから逃げ出そうとしなかった。

「おい、お前ら」

 朝田がやっと声をはさんだ。

「俺はそいつの話を聞いてみたい。裸踊りはその後でも構うまい」

 朝田が周囲をぎろりと(にら)むと、気の(ゆる)みそうになっていた浪士たちが、ふたたび強い眼光を取り戻し、下ろしかけていた刀を、もういちど町民に向けた。

「で、なんだ。続きを言え」

「は、は、ははい……や奴は、し白袴のアズマと言いますがが、いいい生きてさえいれば良いので、手か足か、切り落としても止血(しけつ)されていれば問題ななないかから、連れてきてほしいのですす。ととにかく、生きていれば……もももう一人のほうは、殺して構いません」

「われわれ倒幕(とうばく)の志士に、あんな子供の人(さら)いをやれと? 見くびるな!」

 浪士の取り巻きが吠えた。

「俺達が物盗(ものと)りに見えるのか?」

「消えろ!」

 次々に、他の浪士たちも続く。

 怒号(どごう)の集中砲火(ほうか)を浴びたためだろう、もはや町民は泣き顔で、目もさんざん充血させていた。

 ここまで言われても町民は、ぶるぶるとおぼつかない手で、自らの(ふところ)に手を(しの)ばせ、そこから無造作(むぞうさ)に並んだ、五枚の天保(てんぽう)小判(こばん)を取り出した。

「我々を買収(ばいしゅう)するつもりか……見くびるな」

 浪士の一人が自尊心を守り通そうとするように()えたが、目線は小判に(くぎ)付けだった。

「あ、あ、あ、あなた様方は(ぜに)になど、なびきはしません。わわかってます、で、ですが、悪政府と戦うために、さささ先立つものは必要です。この銭を用いて、大義(たいぎ)をなされて下さい。この、か、かか金があれば、刀が()れても新しい刀を買えましょう、そして、そそして、ままた異人を斬ることもできるでしょう」

 町民はしどろもどろながらも、浪人たちに要求を伝える。

「む……」

 一同は黙り込んで、朝田のほうを見やった。

 朝田はめんどくさそうに左手で顔をかいた。

「たった五両で、われわれに悪事を働けと? 少なすぎやしないか。お前は巨億の金と人間をかかえる幕府を倒すのに、たった五両で足りると思っているのか?」

「せ、成功報酬(ほうしゅう)として、さささらに三十両を用意しておりります」

 町民がそう主張すると、周りの浪士たちはいっせいにどよめいた。

(一両を、コメ相場から現代の金額に計算すると¥42.000~¥84.000となる。幕末(ばくまつ)のように治安(ちあん)の悪いころは物価も上がっているから一両は¥42.000に近い、ということになるわけだ)

 それでもなお、朝田の顔色は変わらなかった。

「お前に聞きたい。誰かに(おど)されてここへ来たのだろう? 先程からしゃべっているのも、そいつから命令されていることだ。そんな気味の悪いものに取り合っていては、あまりに割にあわん。素性(すじょう)を見せてこない人物を、どうして信用できる?」

「いいいい、いえ、命令などは受けておりまままません……私はその白袴のアズマというのに、(つま)と娘を殺されたのです、ころさ、ころされたのです」

「ふうん……妻と娘を人質(ひとじち)に取られて、無事に返してほしくば俺たちの協力を取り付けて、その白袴のアズマを拉致(らち)してこい、と飼い主に言われたと?」

「ちちちちがいます、私は誰にも命じられてなどなどなどど……助けて下さい。妻と娘が……」

 町民の男は、いちばん話のわかりそうな朝田に、目線で(うった)えかけるが……朝田のほうは、大した関心を示さなかった。

「花は桜木(さくらぎ)、人は武士。花の中で、(とうと)い生きざまの理想は桜、もっとも尊い生きざまの理想とは武士、という意味だ。()りぬべき時知りてこそ、花も花なり人も人なり。

 それがお前らの死ぬべき時なのさ、あきらめるんだな。

 お前らのように、サムライの作った世界にあぐらをかいている賊民(ぞくみん)を、人だと思ったことはないが」

 朝田は冷たく言い放つ。

「そそそそんな……私の妻と娘が……たすけ、たすけて……二人が殺される……」

「朝田さん……」

 となりの国重が、朝田の顔をうかがう。

 その視線には『(いや)しい町民とはいえ、これはあんまりではないか……』という意味がこもっていた。

 刀を持ちながら待つ朝田の手下もまた、同じような、同情のこもった目を、朝田に向けていた。

「……誰が、やらんと言った。(つか)まえればいいだけだろう」

 周りのただよわせる空気に飲まれ、独裁者になりきれなかった朝田が、肩をすくめてから、抜いている刀を(さや)(おさ)めた。

「お(さむらい)さま!」

 町民の男は顔を真っ赤に泣きはらして、土下座(どげざ)でもするかのように正座で座敷(ざしき)(すべ)り込んだ。

 その様を横目に見ながら、朝田はあごに手を置いて思案を始めた。

「しかし、お前の飼い主……用心(ようじん)深い奴だな。直接、俺たちの前に姿を現すでもなく、お前のような奴を脅迫(きょうはく)して動かすとは。

 で、お前を(おど)してきたのは、どんな奴だった?」

「か、か、か顔を布で隠していたのでわかりませんでしたが……接触(せっしょく)してきた男も、()いた父母を人質に取られたそうです……おそらく、それに接触した者も、もしかしたら依頼者ではないかもし、しれません……」

「黒幕を(あば)くのは、かなり難しいな……よし、お前、仲介(ちゅうかい)者に伝えろ。成功報酬(ほうしゅう)の三十両はすぐ払わなければ動かんとな。そして、その白袴のアズマとやらを()らえた時に、さらに三十両払ってもらう。この条件なら受けてやる、と」

「良いんですか、朝田さん。その黒幕とやらの言うことを聞くのは危険すぎやしませんか。人質まで取る卑怯(ひきょう)な奴です。俺たちがそいつの言うとおりに始末(しまつ)をつけた後、今度は俺たちが狙われるかもしれません──事によれば、依頼してる奴ってのは、大勢の人間をかかえる(はん)や、あるいは幕府の者かもしれない」

 話を受けるとまでは思っていなかった国重が、朝田に具申(ぐしん)した。

「それは俺も思った……しかし、考えてみれば(ねが)ったりではないか。誘拐(ゆうかい)(くわだ)てるような悪党と斬り合えるのなら本望(ほんもう)だ。(おそ)ってきたなら返り()ちにして、どこの誰に命じられたか吐かせればいい。そいつでもなければ、元をたどるまで斬り続ければいいだけだ。最後には依頼(いらい)者へたどりつく」

 朝田は、根拠(こんきょ)のない自信をたれさげて、国重たちの危惧(きぐ)を吹き飛ばした。

 かなり甘い見通しの決断で、本当に政府の悪事だったら朝田たちにかなう道理はなかったのだが……幸いにして、今回の相手は、寺山士門という個人。

 だがこの甘い目算は、黒幕『寺山士門』にとっても、朝田にとっても、幸運な取り合わせとなった──

「話は決まった。おい町人、さっさとここを去れ」

 同じく夜、人のいない寺の境内(けいだい)にて。

「良かろう」

 深編笠(ふかあみがさ)をかぶって素顔(すがお)(かく)した士門が、即答した。

 士門はもともと値上げ交渉(こうしょう)を予測しており、(そで)の下から紙に包んだ物体を、目の前の仲介(ちゅうかい)者に投げた(仲介者はもちろん、先ほど朝田に働きかけていた、気弱な町人とは別人だった)。

「ただし、これ以上の()り上げは(ゆる)さん。次は結果で語れ、と伝えるように」

「わかりました……私の妻は、今どこへ?」

「お前が忠実(ちゅうじつ)でさえあれば、あの女は五体満足だ……ああ、そうだった。仲介の人間に話を伝えたら、すぐにここへ戻るがいい。妻と少しだけ会わせてやる」

「わ、わかりました……すぐ戻ります」

 仲介(ちゅうかい)人は疲弊(ひへい)した顔色でうなずくと、すぐに立ち上がって境内(けいだい)を後にしていった。

「先生……もう、お手を回されていたのですね」

 横で話を聞いていた亀井が、士門に向き直った。

 その亀井の表情は、(おど)されている人々を同情するとか、この凶行(きょうこう)へのうしろめたさとか、幕府から手配される不安などは何一つない、まっすぐな視線だった。

「CCE七十を()らえるために、仲介人4人と、その家族に協力してもらった。取り急ぎだから、お前を(かい)さずに、他の弟子に伝えたのだ」

 士門はこの一晩で、20人もの人々を同時に拉致(らち)監禁(かんきん)していた。

 これを士門と亀井だけでできるわけはないから、この江戸に常駐(じょうちゅう)している、士門のほかの弟子たちに、協力させたのである。

 弟子たちは亀井同様、いずれも士門の命令とあれば、どんな悪事にも手を()めることのできる、士門に心酔(しんすい)しきった、洗脳(せんのう)済みの男女だった。

「しかし、奴のために二十人も神隠(かみかく)しに()わせたわけです。なかなか(さわ)ぎになるでしょう。CCE七十を捕らえたのちは、すぐに江戸を離れたほうが良さそうですね」

 亀井が意見を述べたが、その二十人が、計画の完遂のおりにはどうなるかを悟ってもいた。

 亀井はそれに対する同情心は持っているが、それ以上に、士門への忠誠心が高すぎるために、その同情心は発揮されることも、表出することもない。

医療(いりょう)の発展のためだ、奴らも喜んで犠牲(ぎせい)になろうと言うものだ」

 士門は、犠牲(ぎせい)になる人々とシャーレの細胞(さいぼう)の区別がつかないらしく、無関心な顔つきで、亀井を見て続ける。

「……四人の仲介者たちは、それぞれの大切な人質を取ってある。子供だったり妻だったり、母親だったりな。

 だから万が一、朝田とかいう幕末テロリストどもがCCE七十に敗北して、生き残った誰かが私の居場所について尋問、あるいは拷問されて情報を吐いたとしても、そうそう私の居場所まで辿られることはない。

 仲介者たちは、大事な家族と私の情報……それもせいぜい別の仲介者との面会法を天秤(てんびん)にかけなくてはならないのだ。

 四人も仲介者がいれば、一人くらいは口の固い者もいるだろう」

 士門はそんな楽観論をもらしたが、それは士門が楽観をできるほどに、非道を突き詰めた結果でもあった。

 士門の自画自賛にひとしい語りは、続く。

「──奴らはいずれも妻帯者で、子供もいる。

 実のところ私の弟子たちには、結婚をしている連中ばかりを狙って集めさせたのだ。この時代、社会的に動きやすいのは女より男だから、既婚の男をな。

 1846年、カリフォルニア開拓を目指したドナー隊の話をしよう。

 その開拓団は、その無計画さと運の悪さのために、目的地のカリフォルニアへ到着する前に、氷雪に襲われ、身動きが取れないまま食糧が尽き、隊に参加した87人のうち、約半数が飢えて死んだのだ。

 生き残りのほとんどが、人肉を食うことで生き延びたのだが……私が気になったのはそこではない。私も腹が減れば人間だろうと何だろうと煮て食うからな。亀井、飢えたことのあるお前も、そうするだろう?

 生き残った人間のほうを分析してみたら、面白い結果が出た。

 ──女は男より生存率が高かった、という部分は、それほど驚くに値しない。女のほうが体内の栄養素を消化しにくく、そもそも皮下脂肪も多い上に、ドナー隊での肉体労働は腕力のある男にやらせがちだったから体力を温存できた、というのもある。

 ──私が気になったのは、これから話す男たちのことだ。

 19歳以上の独身男は、シエラネヴァダ山脈を越えられずに11人全員が死んだが、家族連れの既婚男は8人中4人が生き延びた。

 男の中で、既婚者は、未婚の男よりはるかに生存していたというわけだ。それはなぜか。

 その確たる答えは出ていないが、既婚男はストレスに強くなるから、という可能性はあるそうだ。

 2010年、シカゴ大学の実験で、未婚男と既婚男を、同じ悪環境に置いてみると、未婚男のほうがコルチゾール濃度が高くなった。

 未婚男はそれだけストレスに弱く、したがって無駄なエネルギーを使いやすい、というわけだ。

 いま、われわれは仲介者の家族を人質に取り、意のままに傀儡(くぐつ)としている。

 奴らには未婚男とは違い、守るものがある。

 そしてそれは、()り所でもある。

 拷問を受けても秘密を吐きにくい人間とは、こういった手合いだ。

 ──ブラック企業にしがみつくのは未婚男よりも、既婚男というわけだ。

 つまり、われわれのような人権を踏みにじる者には、既婚者のほうがうってつけだ。

 既婚の男の大事なものを奪い去り、それをひけらかして協力させる、というわけだ……」

「さすがです、先生」

 寺山士門のご高説に、亀井のにごった目がさらに異様な光を帯びた。

「近いうちに、あの朝田とかいうチンピラ共が、CCE七十を(おそ)うだろう。ここへ来るまで長かった。亀井よ……仲介者どもの話をまとめるのを、頼んだぞ。

 連中の襲撃(しゅうげき)が成功するにせよ、失敗するにせよ、何かしら得られる物はあるだろう。もし誤って亀井に近づいたときには、仲介(ちゅうかい)者のフリをするのを忘れるなよ」

「はい、心得ました」

 亀井が頭を小さく下げると、士門はいつものように、犬でも追い払うような仕草(しぐさ)で、手を振った。

次話