2.アズマ

「──と、いう風なことで、命からがら、荒れる川に飛び込んで、生き()びたのです」

 全身白ずくめの着物・袴でまとめた少年は、ケヤキの大樹(たいじゅ)にもたれかかるヒゲ男に、つらつらと、聞かれてもいないのに、おのれの身の上を説明していた。

「おかげで、二年経った今もこうして、元気に徘徊(はいかい)しているわけですけど……。

 僕、二年以上前のことも覚えてないんですよ。記憶がはっきりしてるのは、川に落ちたあと、下流の河原(かわら)に寝そべってた所から。

 かわいそうでしょう? さっき話した、刀を持った老人に追い詰められてる以前の記憶が、全然ないってことです」

 少年は言いながら、ヒゲ男の心臓を貫いている刀を抜いた。

 刀の切っ先によって流血をとどめられたヒゲ男の胸からは、黒く腐臭(ふしゅう)をともなう血がどろりとこぼれだした。

 刀は、どういう経緯をたどったかは不明だが……刃先から刃の根元まで、あたかも()ちた紙のように、ひどく刃こぼれしていた。

 刀を地面にいったん突き刺すと、少年は斜面(しゃめん)に自生しているどくだみ草を、死体の胸の穴に突っ込む。

「傷口にはこれがいいって聞いたけど、治らないな……たちどころに治るって、旅で出会った人に聞いたんだけど」

 少年は明るい口調で、勝手にヒゲ男──死体に向けてしゃべり続ける。

「お侍さん、あなた……ずいぶんときつい体臭ですね……何度も嗅いできましたけど、これはいまだに慣れません。おかげで、ここを知ることができたわけですが。関所(せきしょ)破りもやってみるもんですね、こんな素晴らしい出会いがあった」

 少年は男から目を離し、木漏(こも)れ日のそそぐ木の葉を見上げた。

「それにしても、ここが暗い場所じゃなくて良かった。暗かったら、この刀も手に入れることはかなわなかったでしょう……え? どこへ行くかって?」

 少年は死体にふたたび目を戻し、ひとりごとを続ける。

「江戸へ行きます。そこには、失われた僕の出自(しゅつじ)を知る手がかりがあるかもしれませんので。名前はどうするのかって? もう決まってますよ? 人からはアズマと呼ばれてます。覚えといてください。コスミ……コスミ、アズマ……とかそこらで名乗ってたら、いつの間にか小澄アズマ、とか名付けられてましたから、名字もそれにしました。じゃあ僕、もう行きますね」

 少年──アズマは、死体の男の腰に下がった、ホオの木の(さや)をもぎ取ると、抜き身の刀を、奪った鞘へ収めないまま背をひるがえし(腐臭(ふしゅう)のついた刀を(さや)に納めるのがイヤなのだろう)、カヤの雑草のはびこる獣道を、力強くかきわけながら戻っていった……。

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