「で、奴らは失敗したんだな?」
亀井は欄干に両腕を投げ出すように置いて、仲介者と話を続ける。
「あれだけの手勢でうまくいかんとは、アテにならん連中だ……だが何にせよ、あの男と接触はしたのだ。何かしら、わかったこともあるだろう」
「……狙っていた男は間違いなく『しーしーいー七十』とのことでした。肩のイレズミを見たそうでごぜぇやす。人違いかもしれない、というセンは消えた、とのことで……」
リラックスして語る亀井と対照的に、仲介の男はどこまでも卑屈に、あたかも皇帝に奏上するような態度で亀井を取り扱っていた。
亀井に(そのバックにいる士門に)家族を人質を取られているのだから、彼ら仲介者にできる最善の交渉が、どこまでもへりくだることによって、良い気分にさせることだったのだ。
そして、そのへりくだりの意図を見透かしている亀井に、そんな手が通じるはずがなかった。
「そうか……やはり士門先生の見立ては間違っていなかったか。だが、俺の依頼は奴を連れてくることだ。CCE七十の確認は、捕らえてからでもできたからな。
奴らは失敗した。要件を満たせなかったのだ。で、他には? 終わりではないだろうな」
「まだ白袴のアズマを襲うから、しばし待て、とのことです」
「あたりまえだ」
亀井は低くうなりながら、伝言の向こうの相手に怒りをぶつけた。
「収穫と言えば、白袴のアズマがCCE七十だったことと、奴が強かったというだけか。これで先生にご報告しなくてはならんとは、なんたるザマだ……もう消えろ」
亀井は師の士門がやるように、仲介の壮年男へ手の甲を向けて、群がるハエを追い払うように、しっしっと払った。
「あの……妻と娘は無事なんでしょうか。せめて声だけでも」
すがりつくように、仲介者はおそるおそる亀井に申し伝えた。
「ダメだ。お前たちはまだ、何も仕事を終えていない。結果がでてからだ」
「う、うう……」
反論する言葉も許されないと悟った壮年男は、ぶるぶると肩をふるわせていたが、やがてその肩を落とし、きびすを返した。
その去る姿は、壮年が老人になったかのように、ひどく小さく映った。
「……」
亀井はそんな壮年男に、わずかに同情の顔を見せたが、自分がいま壮年男に言い渡した言葉には、ひとかけらの後悔もなかった。
士門のためなら、どんな手段も許される。
亀井の信念(と本人は思っているが、ただの先入観にすぎない観念)が、ものごとの罪悪感をマヒさせているから出る結論だ。
「……」
亀井は仲介人が遠ざかったのを確認すると、京橋を北に……つまり畳町にむけて歩き出した。
それから、亀井は意味のない順路をたどって、ふがいない結果を報告するために、士門のアジトへと向かった。
──しかし、あれだけ数をそろえておいてCCE七十を捕らえられんかった、とはどういうことだ?
歩幅を少しゆるめて、亀井は報告内容をまとめるために思案する。
──用意されていた十人で襲ったにも関わらず、拉致がかなわなかった。
──それほどに、CCE七十は強かったということだ。
──奴はこの世を知って二年。武術の
──この国の習俗や言語を学ぶのにも時間を割かねばならんし、遊んでいるだけでカネの入る身分でもないから、生活するだけでも大量の時間を削られているはず。
──つまり、あいつは刀の
──それでこの結果。
──俺には、どうしてもそこが合点できん。
「……考えても仕方ないか。わからんことは、わからんまま士門先生にご報告だな。あるいは士門先生なら、何か名案を持ってらっしゃるかもしれん」
右、左、前、右、右…………亀井はそうやって少しずつアジトへ近付くが、まもなく、この意味のない順路取りに、ずっと尾行してくる人物がいることに気付いて、うしろを振り返った。
その人物は、そもそも隠れる気はないらしく、さっさと早足で亀井の背を通り越すと、わざわざ進路に立ちはだかってきた。
タクトだった。
「よう、4日ぶり」
タクトは悪友に会ったかのような態度で、片手を上げた。
「誰だ?」
本当に思い当たるフシがないので、亀井は首をわずかに傾げたが、目の前にいるこの男に、友好的ならざるものは感じ取っていた。
「ちゃんと会ったことがあるぜ。あんたが白袴のアズマに初めて会ったとき、その隣にいたイケメンだよ」
「ああ……そういえば、いた気もするな。で、何の用だ?」
「さっきのオッサンとの話は、全部聞かせてもらったよ。あんたがオレたちを襲わせた張本人だってことも。
そしてもうひとり、あんたのうしろに黒幕がいるってことも」
タクトはまるで平成の探偵テレビで見かけそうな、ななめに立ち、口の端をゆがめた笑みをうかべつつ、亀井を指差した。
情報は充分すぎるほど手に入れたのだから、タクトはアズマのところへ戻ってもよかったのだが、ほかの考えが思いついたので、こうして実行に移したわけである。
考えとは、要するに、相手に正面から接触し、どんな反応をとり、戦いにおよぶならどれほどの戦力かをたしかめることだ。
いわゆる、(ただの偵察ではなく)威力偵察である。
「なんだと……どうやって、ここまで来れた。仲介人を四人は配していた。やつらは脅迫ぐらいでは情報は吐かんはずだ」
「オレにも手勢がいるのさ。常におたくらの仲介人を監視して、連絡をとりあう者がな」
もちろん、タクトの説明は嘘である。
実のところ、タクトは亀井がもくろんでいた通り、何度か、仲介人の家に飛び込んで、殴って情報を吐き出させることも考えた。
だが、この仲介者の生活を見ていると、どの男も、悪事をやりながら生計をたてているわけではないことがわかった。
どの仲介者も、家族はなぜかみな『伊勢参りとして遠くへ旅行へでかけ』ていたし……夜にはその仲介者の家から、すすり泣きが聞こえてきた。
タクトはこれで、彼らの行動する理由に思い至った。
彼らは家族を人質に取られ、この襲撃をくわだてた黒幕によって、連絡員として駆り出されている、ということに。
それを知ったタクトには、仲介者のところに殴り込んで、痛みを与えて情報を吐き出させる、という方法を取ることなど、できるはずがなかった。
その理由は策略でも何でもなく……タクトが己の良心に背を向けたくなかったからだ。
だからこそ、タクトは眠気をこらえながら、ひたすら仲介人が動くのを待ったのである。
「色々教えてくれよ、あんたとアズマの関係を」
「……」
亀井は首を振るでもなく、逃げるでもなく、じっと沈黙してタクトを見つめるのみだった。
しょうがないから、タクトはさらに言葉をたたみかけた。
「なぜアズマを狙う。あいつは何にも悪いことはやってないぞ」
「答える義理が?」
「答えたくなるまでボコるって選択肢なら、オレにもあるんだぜ」
タクトは腕まくりをして強がったが、内心、いまそれをやりたくはなかった。
なんといっても、3日間、飲まず食わず寝ずの三苦をかかえて監視を続けた直後である。
身体もほとんど動かさなかったから、いまタクトは人生でいちばん、ケンカをするのにはバッド・コンディションなのだった。
──それでも、今こそ、命をかけて意地を通すべき瞬間だ!
と思ったのは一瞬で、やっぱりイヤだった。
「ふっ、殴るのは勘弁してやる。今はそう……忙しいからな」
「???」
亀井は心底わからん、という顔になった。
「代わりにアレだ。抱きしめてやる」
「?????!!??????!!!?」
亀井は困惑の顔を浮かべた。
頭のおかしい話を繰り返しているように見えるが、いちおうタクトには目論見がある(とはいえ、ほとんど眠気で回らない頭で、やっと考えついた結論ではあるが。普段なら、絶対にこんな言動はしないだろう)。
この身体に、亀井の匂いをこすりつけて持ち帰れば、アズマが亀井の居場所をどこからでも特定できる。
だが、あまりにもその要求がストレートすぎて、思いきり亀井の警戒を買うことになってしまった。
「……何か考えているな? 懐に小刀でも隠して刺してくるつもりだろう」
「あー違う違う、ほら、なんなら握手でもいい。ほら、オレあんたのファンだから」
いきなりタクトは最高潮のフレンドリーな、ただし病的な、青紫色の笑みを浮かべながら亀井に近付いた。
「この流れで、お前に近付くわけがないだろう。いい加減にしろ!」
亀井は完全に逃げ腰になってしまった。
「もう俺は行くぞ……む、そうだ。お前の名を聞いておこう。次から狙いやすくなるからな。答えなければ今、この場で斬り捨ててやる。俺に無駄な殺しをさせるな」
「早起き君だ」
「ハヤオキクンか。良い名を親につけてもらったな……また来るが、おしづには言うなよ。あの娘は心配するだけで、何にもなりはしない。これは、俺とお前と……奴の問題だ」
亀井はそう言い捨てながら、背をひるがえした。
「……ね……よう……」
タクトは少しの間、その場にたたずんでいたが、死んだ目のまま、きびすを返し、フラフラとえながやを目指していった。