宵闇の始まりつつある、夕暮れのえながや。
少しずつ雲も出てきたためか、晴れた日の時よりは、いくぶん暗さがのしかかっていた。
「………」
えながや二階、アズマとタクトにあてがわれた部屋では、タクトがヨダレを垂らしながら、寝息をたてていた。
その寝顔は、復活を急ぐような、目の下にクマの浮いた、安らぎとは縁のない血色だった。
眠る前、タクトは自分が見聞きしたことを、すべて教えてくれた。
三日間、眠らずのまま仲介者をたどったら、亀井にまでたどりついたこと。
どうもその背後に、誰かがいること。
あきらかにその『誰か』は、アズマを狙っていること。
亀井の匂いを持って帰ろうとしたが、体力・気力ともに限界だったので失敗したこと。
「……」
アズマは物思いにふける。
──ここ最近、自分のために命を投げ打つ人に多く出会う気がする。
──人のために時間を使える人間のことを友といい、人のために命をかけられる人間のことを親友という。
「……」
ふしぎな気持ちだった。
アズマの中に、何十、何百と気持ちが渦巻いている気がする。
間違いなくアズマは、タクトと世七郎の行動に感動しているのに──なぜだろうか……おそろしく冷淡で、無関心でいるアズマもいる。
当事者として、命を張った者を眺め、心打たれている自分も確かにいるが……あたかも1000年前の異文化の感動物語をムリヤリ読まされたような、冷めた気持ちで見ている自分もいる。
矛盾した思いが同居しているのに、まったく不和もジレンマも起こさずに混ざり合っている感覚。
だが、おおむね、アズマは感動していた。
「この感覚も……僕だけが持つものなのだろうか…………む?」
アズマは、ふと、ある『匂い』に気付いて、横の畳に置いていた刀を持って立ち上がった。
そのままアズマは、眠るタクトをそのままに階段を降り、一階へ向かう。
そこで、文机に背筋をのばして向かって、帳面をつけている世七郎と出くわした。
「アズマさん……どこへ? まさか、河原で寝る、ということはないだろうね?」
「いえ、その河原です」
「!」
「心配しないで下さい。ここには戻ってきます──いま出ていけば、ちょうど、その河原あたりで会敵しそうだからです」
「会敵……? まさか」
「はい」
アズマは世七郎の言わんとする真意をとらえ、神妙にうなずいた。
「あの朝田とかいう鼻毛侍が、ここを目指しています」
「それも匂いでわかったのかい?」
「手勢を……増やしたみたいですね。今度は三十人。でも、今度は逆に僕が不意をついて、奴らを負かすつもりです」
「さ、三十人!? 前より二十人も多いじゃないか!? そこに飛び込むなんて、バカなマネはよしなさい」
「ここにいると、今度は世七郎さんも人質にされるか……あるいは、殺されてしまうかもしれない。タクトさんはほとんど昏睡ですし、やっぱり僕が出かけるべきなんです」
「しかし、あんたは夜が……」
「まだ夕方です。日が沈む前に片付ければいいんですよ」
アズマは議論する間も惜しいとばかりに、世七郎を振り切って、宿を飛び出した。
──この感覚……。
アズマは、明らかに高揚感を覚えていた。
そこに、闘争があると。
「血の雨を浴びられるぞ……だめだ、うずいて仕方がない」
アズマの声は、またも低い女の物になっていた。