28.インフォメーション

 少し前、新銭座(しんせんざ)往来(おうらい)

「福沢さま!」

 ちょうど屋敷に入りかける福沢諭吉を、おしづが呼び止めた。

「オヤお久しぶり」

 福沢は柔らかく笑いながら、おしづの再訪を迎える。

「ちょうど、おたずねしようとしたところでした。福沢さまに会えて良かったです」

「こちらもアメリカより戻ってからズット(いそが)しいが、いずれ折を見て、そちらへあんみつを食いに出るつもりだった」

 福沢はそう話したが、おしづがわずかに肩を上下させていることに気付いて、あまり雑談(ざつだん)を楽しんでいる時間がないことも(さと)っていた。

「あの……亀井さまが、こちらへ来られていませんか?」

「亀井なら、何日か前にヒョイと現れたから、おしづさんの所へ行きなさいと言っておいた。まだグズグズして姿を見せないか」

「はい……ほんの一瞬だけお会いできたのですが、すぐにその場を立ち去ってしまって……」

「けしからん奴だ、私は亀井におしづさんと話して心配を(ぬぐ)ってやりなさいと伝えたのに、奴のほうは平気でしゃあしゃあと構えている。コレハおしづさんのみならず、私との違約(いやく)。必ず私からも申してやる、ダカラ安心しておきなさい」

「助かります……福沢さま。亀井さんがどこで寝起きをされているか、やはり今もご存知でないのですか? あの方を探している人がいらして」

「私もソレは知らない、知っていれば亀井を捨て置くことはない。ソノ話をしたところで、亀井のほうは変わらずに(あや)しげな所へ通い、怪しげな男に頭を下げている。それも一両日(りょうじつ)の話でなく、どうも幼年からソウらしい。

 先日も亀井に、わが塾の塾頭(じゅくとう)をと持ちかけたが断られた。大坂にて亀井と共に書生をやっていたころ、亀井のほうは、何やら私よりも(せん)だって英語を学んだ様子だったから、書生のために役立てなさいと申したが、亀井のほうは何でも聞かれぬの一点張り。

 ソレで断る所以(ゆえん)を聞くに、幼少から世話になったというソノ怪しげな人物のためらしい。亀井のためにも、その怪しい人物との交際はチャンと断たねばならぬ、断たねばならぬから話さねばならぬが、これが会おうとしない」

 この頃、アメリカから戻ったばかりの福沢だが、彼自身はまだまだ英語の勉強中、という状態だった。

 ゆえに、塾生への授業はオランダ語のほうが重点的だったらしい(福沢が英語の授業に本格的に(かじ)を切るのは、2年後の1863年である)。

 福沢のほうも英語を教えるのか学ぶのか、いまいち分からない有様(ありさま)で授業をおこなっていたからこそ、亀井の英語力はぜひとも欲しかったのだろう。

「そうなのですか……わかりました、もし私が先に亀井さまにお会いできたら、その(むね)もお伝えしておきますね……英語がお上手というのは、たぶんあの方の師という方の手ほどきなのかもしれません」

「それは私も考えていた。奴の師の影はヒョイヒョイ(うかが)えるから、大坂で奴と勉学をやっていた頃から見知っていたし、顔つなぎもされて出会(でお)うたこともあるが、ドウもその師と私は馬が合わなかった。私とは趣意が真逆(まぎゃく)も真逆、話せば話すほど、この男に肩入れできぬぞと思った次第(しだい)だ。無ければ()り、欲せば(だま)す人物だ。かかる者の指図(さしず)で亀井が大成(たいせい)してみろ、奴の身周りには盗った物と奪われた者で満ちるに相違ない。

 だから亀井にもアノ男とのツキアイを謝絶(しゃぜつ)しなさいとすすめるが、亀井のほうにソノ気はない。今の潜伏(せんぷく)も、その師のためにやっている(ふし)がある、どうしたものか」

「はい……たまに、恐ろしげなことをほのめかされるので、私もそれは感じております……」

「案じても仕方ないことだ。亀井のことは私に任せなさい。必ず顔を出し次第、(つか)まえておしづさんの元へ連れて行きましょう」

「痛み入ります。では、私はこれで」

「モウ行くのか」

「はい……私の恩人(おんじん)のためにも、ほかに亀井さんが出入りする場所へ行って、色んな人にこの話をしようと思っていますので」

 そう言うとおしづは、小さく会釈(えしゃく)してから、福沢のもとを立ち去った。

 これこそ、おしづがアズマに宿で約束していた、『アズマの自分探しの手伝い』だった。

 こうして大勢の人間に情報を集めてもらい、それをアズマに届ければ、必然的にアズマの身の危険も減る。

 おしづの戦いはいつも、人の手を借りるものだった。

 情報。

 それこそが人間にとって、最も強力なものだと、おしづは確信していた。

(念のため付け足しておくと、この頃には情報という単語も社会という単語も存在しない。議論・精神・演説・競争・彼・彼女という言葉もなければ、自由という意味もワガママと同じ意味だった。経済用語は福沢諭吉やその仲間が、哲学用語などは西周が生み出した。このあたりの言葉が産まれるのには、あと10年ほど待たなくてはならないのだが、ここらへんを史実通りにすると、読みにくさが募るのみなので、あえて無視している)

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