少し前、
「福沢さま!」
ちょうど屋敷に入りかける福沢諭吉を、おしづが呼び止めた。
「オヤお久しぶり」
福沢は柔らかく笑いながら、おしづの再訪を迎える。
「ちょうど、おたずねしようとしたところでした。福沢さまに会えて良かったです」
「こちらもアメリカより戻ってからズット
福沢はそう話したが、おしづがわずかに肩を上下させていることに気付いて、あまり
「あの……亀井さまが、こちらへ来られていませんか?」
「亀井なら、何日か前にヒョイと現れたから、おしづさんの所へ行きなさいと言っておいた。まだグズグズして姿を見せないか」
「はい……ほんの一瞬だけお会いできたのですが、すぐにその場を立ち去ってしまって……」
「けしからん奴だ、私は亀井におしづさんと話して心配を
「助かります……福沢さま。亀井さんがどこで寝起きをされているか、やはり今もご存知でないのですか? あの方を探している人がいらして」
「私もソレは知らない、知っていれば亀井を捨て置くことはない。ソノ話をしたところで、亀井のほうは変わらずに
先日も亀井に、わが塾の
ソレで断る
この頃、アメリカから戻ったばかりの福沢だが、彼自身はまだまだ英語の勉強中、という状態だった。
ゆえに、塾生への授業はオランダ語のほうが重点的だったらしい(福沢が英語の授業に本格的に
福沢のほうも英語を教えるのか学ぶのか、いまいち分からない
「そうなのですか……わかりました、もし私が先に亀井さまにお会いできたら、その
「それは私も考えていた。奴の師の影はヒョイヒョイ
だから亀井にもアノ男とのツキアイを
「はい……たまに、恐ろしげなことをほのめかされるので、私もそれは感じております……」
「案じても仕方ないことだ。亀井のことは私に任せなさい。必ず顔を出し次第、
「痛み入ります。では、私はこれで」
「モウ行くのか」
「はい……私の
そう言うとおしづは、小さく
これこそ、おしづがアズマに宿で約束していた、『アズマの自分探しの手伝い』だった。
こうして大勢の人間に情報を集めてもらい、それをアズマに届ければ、必然的にアズマの身の危険も減る。
おしづの戦いはいつも、人の手を借りるものだった。
情報。
それこそが人間にとって、最も強力なものだと、おしづは確信していた。
(念のため付け足しておくと、この頃には情報という単語も社会という単語も存在しない。議論・精神・演説・競争・彼・彼女という言葉もなければ、自由という意味もワガママと同じ意味だった。経済用語は福沢諭吉やその仲間が、哲学用語などは西周が生み出した。このあたりの言葉が産まれるのには、あと10年ほど待たなくてはならないのだが、ここらへんを史実通りにすると、読みにくさが募るのみなので、あえて無視している)