「ハア、ハァ……ば、化け物め」
月明りのない夜の河原を、朝田はヨタヨタと、片足を引きずって歩き続けていた。
朝田の息はとっくに切れ、走りすぎたために、太ももは鉛でも仕込まれたように上がらない。
しかも右足首のアキレス腱は斬られており、本来なら歩くこともままならないが、逃げなければ殺される。
刀も根元まで断ち割られ、とても役に立つ代物とは呼べなくなっていたが、こんなものでも握っていないと、心細さで発狂しそうになる。
「ば、化け物……ちくしょう」
朝田はうしろを悠々とした足取りで付いてくるアズマのにやけ顔をにらみ、吐きこぼした。
──先程、朝田が十四人の手下をそろえて、河原でアズマを襲い、その右手を吹き飛ばした後……。
気味の悪い光を、目や口からほとばしらせていたアズマが、顔を上げるや、手を中空で、小さく横に振った時のこと。
アズマのその動作と同時に、アズマの背後に立つ、三人の刺客が、その場から衣服だけを残して消え去ったのである。
明らかに、アズマによる所業だった。
にわかにおこなわれた、神隠し。
それに恐怖を植え付けられた朝田たちだったが……それだけではすまなかった。
落ちた三着の衣服から、もぞもぞと、小さい何かが這い出てきたのである。
──ヒキガエルだった。
「人間をカエルに変えたのは、一年ぶりかな。だが私は、もともと戦うほうが好きでな……残った連中は、カエルにされたほうが幸せだったと思うことになる」
アズマは冷たくそうしゃべるが、その声は、低く重みのある女の声。
そのあとは、思い出したくもないような、一方的な殺戮だった。
刃物としての『てい』を失っているはずの、アズマの『刃こぼれ刀』は、あたかも小枝の伐採でもするような軽快さとともに、次々と朝田の手下の脚や腕、そして首を飛ばしていったのである。
朝田にだけは用があるらしく、今までずっと、刀を叩き折られたり、アキレス腱を斬られたりはしたが、崖っぷちにしがみつく人間の指を一本ずつ折るような残虐さとともに、ずっと生かされ、泳がされていた。
「逃げるのをやめるなよ。それ、亀井とやらの所へ逃げこめ、奴ならば何とかしてくれるやもしれんぞ」
アズマがわざと距離をつめ、亀井に迫る。
「言っただろう、知らんのだ、奴の居場所など。俺が知るのは仲介者との会いかただけだ」
朝田は憎々しげではあったが、それ以上に弱々しく、アズマに弁明した。
「……それで、あきらめると思うのか?」
そうたずねるアズマの声が、ようやくアズマ本来の、少年のハスキー声にもどった。
だが、その瞳に宿る嗜虐的なものは、何も変わりはしなかった。
アズマの右手に持つ『刃こぼれ刀』が、消えた、かと思うほどの素早さで一薙ぎがなされた。
そのとたん、朝田の鼻が、顔から切り離された。
「アゴオオオオオオアアアア!!」
朝田は鼻のあった場所から、軒下から落ちる雨雫のように、大量の血しぶきを飛ばしながら、前屈みになった。
「ならば、そいつらも同じように拷問にかけて吐かせる。お前に今やっているようにな。仲介者で構わん。そいつの居場所を言え」
「グゥおぉ……わかった、しゃべる。しゃべるから……」
屈辱よりも恐怖が優った朝田はワナワナと震えながら、涙声で訴える。
「だが待てよ」
そんな朝田のそばで、ふとアズマは首を傾げてみせた。
「仲介者を用意するなど、ずいぶん手が混んでいるな……そいつらは、どうやって雇ったのか……この場合、金だけを使っているとは思えん。となると、考えられるのは」
その瞬間、朝田の心臓には、アズマによる、ためらいのない刀のひと突きが決まっていた。
「ガッ……ごぼ」
朝田はひとしきり痙攣を起こしたのち、腹をかかえるような格好のまま、事切れていった。
「──その仲介者にも仲介者を混ぜているはずだ。そいつを拷問にかけたところで、依頼した者へたどり着くのは容易くあるまい。
おおかた、家族を盾におどされているんだろう。そんな者は、意地でも吐かない場合が多い。何人も仲介を立て、その中に死んでも口を割らん者が一人でもおれば、真の依頼者へはたどりつけぬ。これまでに何人も、そういう者を見たからわかる──つまり貴様が仲介者にしか会えんなら、私にとっては役立たずというわけだ」
アズマは言いながら、むくろとなった朝田の背中で、刀の血を拭き取ると、それをサヤにおさめて、うしろへ歩き出していった。
──アズマがそこを去って、しばらくして。
その場に、誰かがやってきた。
その人物は、しばらく朝田の死体を見つめていたが、やがてゆっくりとそれに近づいていった……。
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