29.豊穣(ほうじょう)の神

「ハア、ハァ……ば、化け物め」

 月明りのない夜の河原(かわら)を、朝田はヨタヨタと、片足を引きずって歩き続けていた。

 朝田の息はとっくに切れ、走りすぎたために、太ももは(なまり)でも仕込まれたように上がらない。

 しかも右足首のアキレス(けん)は斬られており、本来なら歩くこともままならないが、逃げなければ殺される。

 刀も根元まで()ち割られ、とても役に立つ代物(しろもの)とは呼べなくなっていたが、こんなものでも(にぎ)っていないと、心細さで発狂(はっきょう)しそうになる。

「ば、化け物……ちくしょう」

 朝田はうしろを悠々(ゆうゆう)とした足取りで付いてくるアズマのにやけ顔をにらみ、吐きこぼした。

 ──先程、朝田が十四人の手下をそろえて、河原(かわら)でアズマを襲い、その右手を吹き飛ばした後……。

 気味の悪い光を、目や口からほとばしらせていたアズマが、顔を上げるや、手を中空(ちゅうくう)で、小さく横に振った時のこと。

 アズマのその動作(どうさ)と同時に、アズマの背後(はいご)に立つ、三人の刺客(しかく)が、その場から衣服だけを残して消え去ったのである。

 明らかに、アズマによる所業(しょぎょう)だった。

 にわかにおこなわれた、神隠し。

 それに恐怖(きょうふ)を植え付けられた朝田たちだったが……それだけではすまなかった。

 落ちた三着の衣服から、もぞもぞと、小さい何かが()い出てきたのである。

 ──ヒキガエルだった。

「人間をカエルに変えたのは、一年ぶりかな。だが私は、もともと戦うほうが好きでな……残った連中は、カエルにされたほうが幸せだったと思うことになる」

 アズマは冷たくそうしゃべるが、その声は、低く重みのある女の声。

 そのあとは、思い出したくもないような、一方的な殺戮(さつりく)だった。

 刃物としての『てい』を失っているはずの、アズマの『刃こぼれ刀』は、あたかも小枝の伐採(ばっさい)でもするような軽快さとともに、次々と朝田の手下の脚や腕、そして首を飛ばしていったのである。

 朝田にだけは用があるらしく、今までずっと、刀を叩き折られたり、アキレス(けん)を斬られたりはしたが、(がけ)っぷちにしがみつく人間の指を一本ずつ折るような残虐(ざんぎゃく)さとともに、ずっと生かされ、泳がされていた。

「逃げるのをやめるなよ。それ、亀井とやらの所へ逃げこめ、奴ならば何とかしてくれるやもしれんぞ」

 アズマがわざと距離をつめ、亀井に迫る。

「言っただろう、知らんのだ、奴の居場所など。俺が知るのは仲介者(ちゅうかいしゃ)との会いかただけだ」

 朝田は憎々(にくにく)しげではあったが、それ以上に弱々しく、アズマに弁明した。

「……それで、あきらめると思うのか?」

 そうたずねるアズマの声が、ようやくアズマ本来の、少年のハスキー声にもどった。

 だが、その瞳に宿る嗜虐(しぎゃく)的なものは、何も変わりはしなかった。

 アズマの右手に持つ『刃こぼれ刀』が、消えた、かと思うほどの素早さで一薙(ひとな)ぎがなされた。

 そのとたん、朝田の鼻が、顔から切り離された。

「アゴオオオオオオアアアア!!」

 朝田は鼻のあった場所から、軒下(のきした)から落ちる雨雫(あめしずく)のように、大量の血しぶきを飛ばしながら、前(かが)みになった。

「ならば、そいつらも同じように拷問(ごうもん)にかけて吐かせる。お前に今やっているようにな。仲介者で構わん。そいつの居場所を言え」

「グゥおぉ……わかった、しゃべる。しゃべるから……」

 屈辱(くつじょく)よりも恐怖(きょうふ)が優った朝田はワナワナと(ふる)えながら、涙声で(うった)える。

「だが待てよ」

 そんな朝田のそばで、ふとアズマは首を(かし)げてみせた。

「仲介者を用意するなど、ずいぶん手が()んでいるな……そいつらは、どうやって(やと)ったのか……この場合、金だけを使っているとは思えん。となると、考えられるのは」

 その瞬間、朝田の心臓(しんぞう)には、アズマによる、ためらいのない刀のひと突きが決まっていた。

「ガッ……ごぼ」

 朝田はひとしきり痙攣(けいれん)を起こしたのち、腹をかかえるような格好(かっこう)のまま、事切(ことき)れていった。

「──その仲介者にも仲介者を()ぜているはずだ。そいつを拷問にかけたところで、依頼した者へたどり着くのは容易(たやす)くあるまい。

 おおかた、家族を盾におどされているんだろう。そんな者は、意地でも吐かない場合が多い。何人も仲介(ちゅうかい)を立て、その中に死んでも口を割らん者が一人でもおれば、真の依頼者へはたどりつけぬ。これまでに何人も、そういう者を見たからわかる──つまり貴様が仲介者にしか会えんなら、私にとっては役立たずというわけだ」

 アズマは言いながら、むくろとなった朝田の背中で、刀の血を()き取ると、それをサヤにおさめて、うしろへ歩き出していった。

 ──アズマがそこを去って、しばらくして。

 その場に、誰かがやってきた。

 その人物は、しばらく朝田の死体を見つめていたが、やがてゆっくりとそれに近づいていった……。

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