5.寺山士門

 2065年。

「寺山士門先生! ノーベル生理学医学賞の受賞、おめでとうございました」

 記者がそんな謝辞(しゃじ)を並べている間、複数のカメラから、しつこいほどのフラッシュが()かれていた。

 その対象は、パイプ椅子にかけた、壮年の男。

 男は横長のテーブル前で、まばゆいフラッシュを無視するように、机前に乗せたスマホをいじっていた。

「クローンマウスによる実験で、初の脳の丸ごと移植に成功なされたとのことですが、成功した時の心境をお聞かせ願えますか?」

「これを応用すれば、年老いた人間の脳を、若い身体に移し替えることもできるようになりますが、倫理(りんり)的な問題は片付けられそうでしょうか」

「現在はクローンでの成功ですが、脳には免疫(めんえき)が働かないため、クローンではない者の脳も埋め込み可能なはずです。そちらもいずれ実行される予定があるのでしょうか……つまり、遺伝子のちがう、他人の身体に入れ替わるという方法です」

「実験成功の要因は、脳の血管まで見定め縫合できる、マイクロマニピュレータ技術にもあったかと存じますが、そのマイクロマニピュレータの製作に(たずさ)わった方へもコメントを頂ければ」

「出資は中国共産党がほとんどだと言います、そちらもお(うかが)いしたいのですが」

「その左手首の時計は女性の物ですが、それについてのエピソードもお願いします」

「先生! ライブですのでスマホをいじるのはお(ひか)えになったほうがよろしいかと」

「以前、歴史小説を書かれていると言われていましたが、現在もお続けでしょうか?」

 大学病院の会議室。

 フラッシュの乱射を浴びせながら、記者の群れが、スーツ姿の士門に、矢継ぎ早にたずねてくる。

 だが、執拗(しつよう)と言えるほどの質問()めに、士門は顔をしかめることもなく、淡々(たんたん)とうつむいて、スマホを指で叩き続けていた。

「そのあたりで、答えられることはすべて、私のSNSに記載(きさい)してある。書いていなければ、私の身では答えかねることだと解釈すればいい」

 こういうことに慣れている士門は、相変わらずスマホから目を離さないまま、(まばた)きも少なく、脳のリソースを極限まで(けず)った返答をしていく。

「では、時間が押しているので、これで」

 士門はスマホをポケットに戻すと、さっと立ち上がり、取材陣にとりつく島のなさを見せつけてから、その場を去りはじめた。

「お待ちください! まだ質問の時間は残っているはずです!」

 士門の背後(はいご)で、そんな言葉が上がったが、もとより立ち止まるつもりのない士門は、さっさと会議室をあとにしていった。

 そうして、無理やり自分を喧騒(けんそう)から()き放ちながら、士門は(かえり)みることもなく廊下を進んだ。

 うしろから声が追いすがるが、それには、もはや士門をとどめる力などなかった。

 ──今となっては、尊敬(そんけい)やカネよりも、時間のほうが欲しいものだ。

 士門はすでに会議室にたかっていた連中のことは忘れ、思索(しさく)にふけりながら、手術室へ向かって歩いていた。

 ──タイムイズマネー、なんぞという言葉が常套句(じょうとうく)に用いられるが……それに私は異論がある。

 ──時間から金が産まれるのは疑いなく事実だ。

 ──だが、時間と金は等価ではない。

 ──カネは人間の穴だらけの脳で生み出したルールに過ぎないが、時は宇宙の生み出したルールだ。これが等価であるはずがない。

 ──人間世界に生きる限り、カネのルールから反せば、たちまち人間は飢えるようにもなっている……そのルールに従うのなら、だが。

 ──世の中を見渡してみるに、時間よりも価値の低いカネを買うように仕向けられている。

 ──そのルールは私のことも組み込みたいようだが、あいにくそこそこのカネを手にしている以上、それ以上の物になびくつもりはない。

「まあ、考えても仕方ないことだが……カネで買える高価な物に興味のない私には、なんとも魅力のない世界だ」

 士門はそんなことを考えながら、扉前のデスクからノートパソコンを取って小脇にかかえ、手術室の扉をあけると、自らを成功へ導いた、マイクロマニピュレータを(なが)める。

 マイクロマニピュレータは、一言で説明するなら、工場にある作業アームに近い形状をしていた。

 白く、なだらかな曲線をした、多関節で複数の腕が、あたかもイソギンチャクのように伸びていた。

「連中に付き合うよりも、このマシンのアームが、わずかに左にそれるのを直さなくてはな」

 そう言いながら、机の上にあったペットボトルのお茶に口をつけようと、手をのばしかけたところで、だった。

 ──そのとたん、手術室の壁が、にわかに、大きくひび割れたかと思うと、その割れ目から強烈な閃光(せんこう)衝撃(しょうげき)(おそ)いかかってきた。

 士門がそれを何事か、と考える間など、なかった。

 士門は思わず、横に立つマシンアームに抱きついて目をつぶった。

 恐ろしい光と熱は、士門の身体を、骨にいたるまで、その影さえ存在を許さず、すべてを一瞬で蒸発(じょうはつ)させたような気がしたが……士門の身体はあいかわらず、五体満足で立っていた。

「──!?」

 士門がおそるおそる顔を上げると、見える景色は、ただよう空気は、聞こえる音は、先ほどまでいた、空調の静かな駆動音(くどうおん)しかしない、質素な手術室などではなかった。

 そこでは袴羽織(はかまはおり)半纏(はんまとい)、小袖姿の、さまざまな和服の男女が、ヤイヤイ言いながら、乾いた土煙を巻き上げて歩いていた(フンドシ姿の男も少なくなかった)。

 男はみな、みごとに月代(さかやき)(額から頭頂部までのこと)をはげあがらせ、女もまた髪を()い上げ、額を見せた独特の髪型。

 足元は土の()き詰められたデコボコの道で、人々はその道の端を、秩序立てて進んでいた。

「バカな……ここは」

 さすがに士門も、これには動揺(どうよう)して周辺を見回した。

 ──タイムスリップだと? バック・トゥ・ザ・フューチャーでもあるまいに……大()かりな舞台装置で、誰かが(だま)そうとしているのか、それとも妙な薬で幻覚でも見ているのか……?

 そんな士門の狼狽(ろうばい)などおかまいなく、その横から、重い何かが、とつぜん士門へ寄りかかってきた。

 先程まで士門が(さわ)っていた──マイクロマニピュレータである。

 ただし、その土台は配線ごと切り取られ、残っていたのは複雑にうねる白亜(はくあ)のアームのみ。

 それだけでも、15キロに及ぶ重いアームだったが、士門にそれをぞんざいに扱えるわけがなかった。

「何だこれは……どういうことだ」

 マニピュレータ・アームを地面に突き立てて安定させながら、士門は再び周囲を見回した。

「どけ! 邪魔だ!」

 人足(にんそく)が悪態をつきながら横切る。

「何だ、ジイさん、異国かぶれか? わりい事は言わねえから、さっさと着替えな」

 魚をのせた棒手振(ぼてふり)が、スーツ姿の士門を冷やかしながら通りすぎる。

 ──この熱気、この言い回し。

 士門は混乱しそうになりながら、町の人間の観察を続けた。

 ──ここに見える景色はすべてハリボテで、見えている連中もエキストラか何かか? とも思ったが……それだと、あまりにも矛盾(むじゅん)が多すぎる。

 ──誰かが仕組んだとしても、説明がつかない。

 ──いま見えているものが幻覚にしても、あまりにも、そのクオリティは生々しすぎるし、そういう薬を使えば高揚(こうよう)感がつきまとうものだが、それもない。

 ──現代の技術なら、私の預かり知らん所で、そんなこともできるのかもしれんが……暗殺ならともかく、私に対して、幻覚を見せる必要性は感じられん。

「……江戸時代なのか」

 士門は、目の前に広がっている景色にむけて、半信半疑ながらそうつぶやきかけた。

 さすがの士門も、この結論にはいくばくか心細くなり、マニピュレータをさらに強く抱いた。

 このマイクロマニピュレータこそが、士門を未来へ戻す手段となるだろうことも、同時に予感していた。

 幸い、左脇にはノートパソコンも持っている。

 もう少し、様子をさぐる必要があると感じた士門は、マイクロマニピュレータとパソコンを(かか)えたまま、町を見て回ることにした。

 酒屋、商家(しょうけ)質屋(しちや)旅籠(はたご)奉行所(ぶぎょうしょ)寺社(じしゃ)、武家屋敷……。

 いくら歩こうとも、そこにはビルもなければ、マンションも銀行もなかった。

 山ものぞめるがままに遠くに()え、空も(けが)れなき青さで、排ガスの匂いなどもしない(ときおり、糞尿(ふんにょう)の匂いはしたが)。

 この時点で、士門は、ここがどこで、西暦で言えば何年なのか、おおよそ見当がつき始めていたが、ついに、とある場所で、確たる証拠を見つけることになった。

 町外れの、墓場そばにさしかかったところで、19体の、焼け()げた(はりつけ)死体の飾られた刑場に行きあたった時だった。

 そこの(さく)の前に突き刺されていた看板に、大塩平八郎、と書かれていたのである。

 ──1838年の、大坂だ。大塩平八郎が死んだのは1837年だが、こうして死体が()るされるのは、死後一年以上が()った1838年。

 ──わざわざ塩()けにしていた死体を引っ張り出して、幕府がここにぶら下げたわけだ。

「これは、チャンスかもしれん」

 士門は再びつぶやいたが、今度は困惑したものではなかった。

 ──文明はお粗末(そまつ)、法もお粗末なこの時代だ。

 ──戸籍(こせき)のない私の(もぐ)り込む(すき)など、いくらでもあろう。

 ──その気になれば、強大な権力を手にすることもできようが……そのつもりはない。

 ──私は、生きて、未来へ凱旋(がいせん)する。

 ──ひとまず、それを目的としよう。

 ──そして、最後にはママに会い、その命を救う……。

「まずはこのスーツ姿を何とかすることと……戸籍だ。まずは、それからだな」

 士門はそうひとりごちると、何かの買い物を()ませたとおぼしい、(おけ)をかかえた、貧乏(びんぼう)そうな侍のあとを、()けはじめた……。

次話