2065年。
「寺山士門先生! ノーベル生理学医学賞の受賞、おめでとうございました」
記者がそんな
その対象は、パイプ椅子にかけた、壮年の男。
男は横長のテーブル前で、まばゆいフラッシュを無視するように、机前に乗せたスマホをいじっていた。
「クローンマウスによる実験で、初の脳の丸ごと移植に成功なされたとのことですが、成功した時の心境をお聞かせ願えますか?」
「これを応用すれば、年老いた人間の脳を、若い身体に移し替えることもできるようになりますが、
「現在はクローンでの成功ですが、脳には
「実験成功の要因は、脳の血管まで見定め縫合できる、マイクロマニピュレータ技術にもあったかと存じますが、そのマイクロマニピュレータの製作に
「出資は中国共産党がほとんどだと言います、そちらもお
「その左手首の時計は女性の物ですが、それについてのエピソードもお願いします」
「先生! ライブですのでスマホをいじるのはお
「以前、歴史小説を書かれていると言われていましたが、現在もお続けでしょうか?」
大学病院の会議室。
フラッシュの乱射を浴びせながら、記者の群れが、スーツ姿の士門に、矢継ぎ早にたずねてくる。
だが、
「そのあたりで、答えられることはすべて、私のSNSに
こういうことに慣れている士門は、相変わらずスマホから目を離さないまま、
「では、時間が押しているので、これで」
士門はスマホをポケットに戻すと、さっと立ち上がり、取材陣にとりつく島のなさを見せつけてから、その場を去りはじめた。
「お待ちください! まだ質問の時間は残っているはずです!」
士門の
そうして、無理やり自分を
うしろから声が追いすがるが、それには、もはや士門をとどめる力などなかった。
──今となっては、
士門はすでに会議室にたかっていた連中のことは忘れ、
──タイムイズマネー、なんぞという言葉が
──時間から金が産まれるのは疑いなく事実だ。
──だが、時間と金は等価ではない。
──カネは人間の穴だらけの脳で生み出したルールに過ぎないが、時は宇宙の生み出したルールだ。これが等価であるはずがない。
──人間世界に生きる限り、カネのルールから反せば、たちまち人間は飢えるようにもなっている……そのルールに従うのなら、だが。
──世の中を見渡してみるに、時間よりも価値の低いカネを買うように仕向けられている。
──そのルールは私のことも組み込みたいようだが、あいにくそこそこのカネを手にしている以上、それ以上の物になびくつもりはない。
「まあ、考えても仕方ないことだが……カネで買える高価な物に興味のない私には、なんとも魅力のない世界だ」
士門はそんなことを考えながら、扉前のデスクからノートパソコンを取って小脇にかかえ、手術室の扉をあけると、自らを成功へ導いた、マイクロマニピュレータを
マイクロマニピュレータは、一言で説明するなら、工場にある作業アームに近い形状をしていた。
白く、なだらかな曲線をした、多関節で複数の腕が、あたかもイソギンチャクのように伸びていた。
「連中に付き合うよりも、このマシンのアームが、わずかに左にそれるのを直さなくてはな」
そう言いながら、机の上にあったペットボトルのお茶に口をつけようと、手をのばしかけたところで、だった。
──そのとたん、手術室の壁が、にわかに、大きくひび割れたかと思うと、その割れ目から強烈な
士門がそれを何事か、と考える間など、なかった。
士門は思わず、横に立つマシンアームに抱きついて目をつぶった。
恐ろしい光と熱は、士門の身体を、骨にいたるまで、その影さえ存在を許さず、すべてを一瞬で
「──!?」
士門がおそるおそる顔を上げると、見える景色は、ただよう空気は、聞こえる音は、先ほどまでいた、空調の静かな
そこでは
男はみな、みごとに
足元は土の
「バカな……ここは」
さすがに士門も、これには
──タイムスリップだと? バック・トゥ・ザ・フューチャーでもあるまいに……大
そんな士門の
先程まで士門が
ただし、その土台は配線ごと切り取られ、残っていたのは複雑にうねる
それだけでも、15キロに及ぶ重いアームだったが、士門にそれをぞんざいに扱えるわけがなかった。
「何だこれは……どういうことだ」
マニピュレータ・アームを地面に突き立てて安定させながら、士門は再び周囲を見回した。
「どけ! 邪魔だ!」
「何だ、ジイさん、異国かぶれか? わりい事は言わねえから、さっさと着替えな」
魚をのせた
──この熱気、この言い回し。
士門は混乱しそうになりながら、町の人間の観察を続けた。
──ここに見える景色はすべてハリボテで、見えている連中もエキストラか何かか? とも思ったが……それだと、あまりにも
──誰かが仕組んだとしても、説明がつかない。
──いま見えているものが幻覚にしても、あまりにも、そのクオリティは生々しすぎるし、そういう薬を使えば
──現代の技術なら、私の預かり知らん所で、そんなこともできるのかもしれんが……暗殺ならともかく、私に対して、幻覚を見せる必要性は感じられん。
「……江戸時代なのか」
士門は、目の前に広がっている景色にむけて、半信半疑ながらそうつぶやきかけた。
さすがの士門も、この結論にはいくばくか心細くなり、マニピュレータをさらに強く抱いた。
このマイクロマニピュレータこそが、士門を未来へ戻す手段となるだろうことも、同時に予感していた。
幸い、左脇にはノートパソコンも持っている。
もう少し、様子をさぐる必要があると感じた士門は、マイクロマニピュレータとパソコンを
酒屋、
いくら歩こうとも、そこにはビルもなければ、マンションも銀行もなかった。
山ものぞめるがままに遠くに
この時点で、士門は、ここがどこで、西暦で言えば何年なのか、おおよそ見当がつき始めていたが、ついに、とある場所で、確たる証拠を見つけることになった。
町外れの、墓場そばにさしかかったところで、19体の、焼け
そこの
──1838年の、大坂だ。大塩平八郎が死んだのは1837年だが、こうして死体が
──わざわざ塩
「これは、チャンスかもしれん」
士門は再びつぶやいたが、今度は困惑したものではなかった。
──文明はお
──
──その気になれば、強大な権力を手にすることもできようが……そのつもりはない。
──私は、生きて、未来へ
──ひとまず、それを目的としよう。
──そして、最後にはママに会い、その命を救う……。
「まずはこのスーツ姿を何とかすることと……戸籍だ。まずは、それからだな」
士門はそうひとりごちると、何かの買い物を