7.アポトーシス

 第三次世界大戦、通称ハルマゲドンの折、人類はエノハという少女ただひとりを残し、地上から消えうせた。

 そこでエノハは人類を復活させるために、死者のDNAを採取して、それをもとに今のセントデルタ人をつくったのだが、そのさいに、セントデルタ人には、それまで地上で生きていた全人種のDNAを配合していた。

 ゆえにセントデルタ人は白人・黒人・黄色人種の特徴全てを、まぜこぜにした風貌をしていた。

 だからファノンもクリルもメイも、みな肌は白人ほど白くもなく、黒人ほど黒くもなく、黄色人種ほど眼窩がんかが出っぱってもいない。

 ただDNA統合のせいなのか不明だが、セントデルタの人々は、端正たんせいな顔立ちが多く、いま青緑に輝くアレキサンドライトの巨石の上に横たわっているハノンの顔立ちもまた、そのセントデルタ人の特徴を如実にあらわしていた。

「ホント……お別れもなしに闇に帰るなんて、あなたらしいよ」

 死者の傍に立ちながら弔辞を終えたクリルは、硬いアレキサンドライトのベッドに近づき、横たわる死者を見下ろした。

 その死者の顔は、少しばかり、ふやけている。

 生まれてから二十年たったとき、すべてのセントデルタの人々の体には、はっきりとした異変が起こる。

 アポトーシス

 生物学の用語で、細胞の自壊とか、細胞の自滅を意味する語である。

 このふやけは、あばら骨の下辺りに存在する副腎皮質ふくじんひしつから分泌ぶんぴつされるコルチコステロイドによるもので、おもに壊れるのは筋肉細胞。

 もちろん、心臓も筋肉でできているので、ただで済むはずがない。

 今寝そべっている死者ハノンだけでなく、セントデルタの人々は、20年生きたのちに、これが原因で死ぬことになる。

 このアポトーシスが起きて死んだ者は、体中がふやけたような遺体になるのだ。

 『ふやけ』が起こる間、脳内からはβ・エンドルフィンやドーパミンなどが分泌され、興奮と高揚を得られるという。

 その状態で死んでいくので、苦しみあえいで周囲の悲しみと憐れみをかきたてる、ということはないが、死は死に違いない。

 苦しまない、という一事はクリルにとっても、知人の死の悲しみをやわらげることはできるが、心にあいた人型の穴がふさがるわけではない。

 ――でもなんとか、式の間に泣かずにすみそう。

 そう思いながらクリルは、主賓しゅひん用のトパーズの席へ向かおうとした。

 と、そこには、一人だけセントデルタ人とは明らかに異なった身なりをした、長い髪の、すらりとした長身の女性が控えていた。

 このセントデルタをつくり、第三次世界大戦を昔話にした立役者にして、この地球でゆいいつ、みずからを神に昇華させた女性。

 エノハである。

 肌は混交人種たるセントデルタ人の黒味のこもった肌ではなく、真っ白な白人由来の皮膚。

 全身の特徴といえばそれぐらいだが、クリルたちセントデルタ人は知っている。

 そのたおやかな肢体はすべて機械仕立てのもので、人間の形を演じているに過ぎず、両腕には、数メートルの厚さの鉄壁も切り刻む口径22ミリのレーザーキャノンが仕込まれていることを。

 二日前、ファノンに凶行を働いたツチグモを、包丁で肉を刻むかのごとく、まっぷたつにした武器である。

 今は人工皮膚によって見えないが、必要とあればどこででもその銃器を露出させることができるのだ。

「……」

 クリルは自分用の席に戻るにあたって、エノハに会釈えしゃくをして横を通りすぎようとした。

「クリルよ」

 横切るクリルに、エノハがペリドット・グリーンの瞳を向けて口を開いた。

「ゴドラハンの森は危険だということ、身にしみたろう。これを機に、過去の遺物を探す趣味をあらためてはどうだ? その副業は危険がともなう」

「……助けられたのは感謝しています」

「お前だけでなく、ファノンやリッカもいたのだ。助けるのは神としては当然のことだ。だが、次に同じことがあっても、守りきれんぞ」

「……エノハ様、おたずねしたいことが、3つほど」

 クリルはエノハを正面に見据えた。

「何だ」

「ゴドラハンの森で襲ってきた無人機……あれは、何者ですか? まるで人間が遠くで操作しているようでした」

「私もいま調べているところだ。この島国からは無人機はいなくなったと思っていただけかもしれん」

「……本当、ですか?」

「その質問には他意があるように感じるが?」

「いえ……他の質問、よろしいですか」

「手短になら」

「このセントデルタ以外は、500年前の水爆津波によって、放射能汚染されている……そのカバーストーリーを、いつまで続ける気ですか?」

「私が、嘘をついていると?」

「放射性セシウムの半減期はとうに過ぎています。ウランやプルトニウムはそうではないですが、その量は微量です。私たちは地球の一部になら入植は可能なはずです。なのになぜ、そのストーリーを語ることを取りやめないのですか?」

「ウランもプルトニウムも、まだ残留しているのは事実だからだ。旧代より、その微量な放射線による影響は不明なまま……あるいは秘匿か捏造をされたままだ。

 それに誤解するな。セントデルタ外を歩くなと命じるのは、領地をむやみに増やせば、殺人機械からの保護をしにくくなるからだ。放射能汚染のない地が、ここから離れた飛び地なら、なおさら人々を守れなくなる。この島国の外には、水爆の男の放った殺人機械が闊歩しているのだぞ」

「放射能残留論を引っ込めるつもりはない、ということですね。では最後の質問ですが……闇へ帰命きみょうしたハノンは、なぜ二十歳で死んだのですか」

「寿命が来たからだ、彼の体のみならず、お前たちには時計があり、それが正常に作動した」

「そういう意味ではありません。なぜ、私たちの体を二十年しか生きられないように、なさったのですか」

「清く生きるためだ。人は死を近くに感じるからこそ優しくなれる。愛することができる。進むことができる」

「第三次大戦……ハルマゲドン前の人間に、その感情はなかったと? 優しさは死を感じなくとも、表現できるものです」

「優しさはハルマゲドン前にもあった。だが戦争をとめたり、憎しみを食い止める、くびきになったことは一度もなかった。そればかりか、大衆の優しさは政治利用されるのが常だった。大きな声を立てて、集団でおこなう優しさのことを、正義と呼ぶからな。正義がどれほどおぞましい、醜いことをおこなってきたか、ここに知らぬ者はおるまい。

 意味のある優しさはあくまでも家族と、せいぜいが知人にだけ向けられた。それも、たまたま強者となった人物がその優しさや友情を発揮した場合、いびつな形となった。

 癒着ゆちゃくや門閥となって弊害をもたらし、しがらみに息吹を与え、不公平と不平等を生み、罰されることのない不正が横行した。

 そういった日常的なものの積み重ねが政治レベルに影響をおよぼし、さいごには――水爆の男フォーハードの誕生を促してしまった。

 やつは自分一人の力で、なるべく現実的に、金をかけず、世界人類を駆逐できないか、考えた。

 その結果が、殺戮さつりく無人機の世界中へのばらまきにつながり、南極に124発もの核爆弾を仕込むという大悪事になったのだ。

 だが、この人物が現れるのを許した罪人をさがすとなると、けっきょく民衆にゆきつくのだ。為政者をえらんだのは民衆で、その不始末や不手際、そして暴挙をゆるしたのも民衆だ。民衆は為政者のくわだてを占いもせず、その洗脳に甘んじて酔いしれた。そうしているさなかにも窮乏者が生まれ続け、けっきょく水爆の男の誕生を看過したのだ。

 その精神が絶滅戦争を呼びこんだと言っていい。

 私はそれらが差し挟めないほど、全てを私の管理においたぞ。文化は守るが文明は捨てさせ、土着の社会のみしか許さない。それも、ひとえにあの絶滅戦争を蒸し返さないためだ。

 げんに私はこの500年、理想の世界を実現している。歴史に500年間、内戦さえ起こらない、争いのない時代を築いた人間がいたなら、その例を挙げてみせろ」

「500年間も、身体を機械で固めて、永遠の統治をなさっていますものね。涙ぐましいかぎりです」

 クリルはエノハの『作り物の身体』に指を突きつけた。

 じっさい、エノハは表面こそ合成皮膚をまとっているが、その中身は一から九まで機械仕掛け。

 脳だけが人間のものだ、といわれているが、本当のところは誰もわからない。

「あの戦争をの当たりにすれば、だれでも人に従来の自由を残そうとは思わんよ」

「人種意識を消滅させるために、私たち人間を復活させるにあたって、単一の、白人黒人黄色人すべてのDNAを混ぜこんで作ったんでしょう? おかげで人種差別のしようもなくなりました。でもそれは、けっきょく人間が不寛容だと決めつけておられるのではないですか」

 クリルは言いながら、左耳のアクアマリンの補聴器のずれを直した。

「不寛容だろう? 人種が違えば殺し、宗教が違えば殺し、宗派が違っても殺し、考えが違っても殺し、あるまじきは覇権を得るためだとか、金を得るために人を殺し、そうでなくとも我が意に反せば敵意や悪意をむき出すのだ。不寛容の入る余地をなくすことの、何が悪い」

「それは解決になっていません。同じ民族でも少し思想をへだてれば、西と東に貧富が生まれ、あるいは北と南にわかれて権勢を争ったという事実もあります」

「それは国家が作った不和だ。国家など未来永劫、このセントデルタ以外には生まれない」

 ふたりの人物が、式の進行をそっちのけで議論に入りだしたので、さすがに出席する群衆も、ざわめき始めた。

 それに一番に先手を打ったのは、あまり理解できないまま傍聴ぼうちょうしていた、ファノンだった。

「クリル」

 ファノンが席を立って、クリルの腕をつかんだ。

「死者の前だよ、せめて今はケンカはやめてくれ。これじゃハノン先生が完全に闇に帰れない」

「……」

 そのときファノンは初めて、クリルの表情をのぞいた。

 その瞳は赤らみ、頬はいらだちで震えていた。

 ファノンのそのまなざしを吹っ切ろうとするように、クリルは死者のそばにある、トパーズの席にもどっていった。

 ファノンは憮然として、こんどはエノハのほうを見た。

 エノハの、透明がかった緑色の瞳と、目が合った。

「ファノン、白血病がぶり返す気配は?」

 エノハは先ほどまでのとがった刃物のような口調ではなくなり、ゆるやかな言葉にもどっていた。

「おかげさまで。あれから5年近くになるけど、なんの不都合もないぜ」

「それは良かった」

 エノハはにこりと笑ったのちにファノンから目線をはずすと、台座前の数段の階段をのぼって、喪主として、死者ハノンの傍らに立った。

 エノハがそこまで行くのを見送ってから、ファノンはクリルの向かい側に当たる、同じくトパーズ製の席についた。

 眼前のクリルはぶすっとして、うつむいて石のように動かずに座っていた。

 いきなり立ち上がって、エノハに何かしないものかと、内心ファノンはどぎまぎしていたが、席が離れているので、どうしようもなかった。

「大丈夫かよあいつ、顔真っ赤だぞ」

「心配するなよ」

 横に腰かけるメイが、ファノンの不安にけ合いをつけた。

「あんな風になっても、お前よりは冷静だ」

「そうは言うけどなあ……」

「信じてやれよ、私たちの親だぞ」

 そうこう二人で小声を交わしているうちに、エノハが死者のそばで、経をそらんじはじめた。

「――運命をまっとうし、闇より生まれたハノン・ジャガイモセンセーは、これより正しく闇へと返らん。

 借りたる身体は土とならん、虫とならん、水とならん、雲とならん。霊は不可説をへだて、かならず血肉を取り戻す……」

 ファノンはエノハの経を前に、背を伸ばして聞いていたが、集中できてはいなかった。

 ハノン先生が死んだ。

 目の前にその事実があるからだろうか、今まで思い出しもしなかったことが、どんどん心にわいてくる。

 頭からでてくるのは、一緒に女湯を覗いたことと、女湯を覗いてバレそうになったことと、女湯を覗いてバレたあと、ファノンを追ってくる女たちの方に突き飛ばして、先生のほうは逃げおおせたこと。

 ……ろくな思い出がない。

 だが、笑いたくなるような思い出のはずが、今はひどく懐かしいメモリーに思える。

 ふと、死者ハノンをみつめる。

 二十歳を迎えて亡くなったハノンの顔は、わずかにふやけたように皮膚に波がたっていた。

 ほんとうはハノン先生は今も家で酒を飲んでいるのではないか。彼は独酌どくしゃくも好きだったから。

 ――そうだ、酒、好きだったんだよなあ。

 あまりにも酒を飲んで一人でベロベロになって喜んでいるから、そのうちアル中で田んぼの中で水死してるだろうな、あんた、と本人に話したことがある。

 そのとき、ハノン先生は愉快そうに笑い、人生は長く生きれば輝くんじゃない。輝かせようと頑張るからハリがでるんだよ、そのほうが楽しいってことだ、と酒臭い息とともに吐き出した。

 仕事はこれでもちゃんとやっていたふうに思う。

 焼き物職人の彼の工房に遊びに行くと、お客の途切れているのを見たことがなかった。

 ファノンが起居するクリルの家にも、クリルが買ったのだろう、彼の食器がたくさんある。

 ただ、ともファノンは思う。

 ハノンは死ぬ間際、自分の人生を楽しんだかどうかはともかく、長い人生だったと満足できただろうか。

 制限された人生。

 ファノンもいま15歳。

 あと5年で、ファノンの体も闇に帰る。

 それまでの間に、満足した生き方ができるだろうか。

 そこまで考えが走ってから、はっと我に返る。

 クリルの影響を受けすぎたか。

 クリルは二十歳に寿命が終わることに反発していて、なおかつそれを公にしている。

 先ほどもクリルはエノハとやりあったが、あれが初めてというわけではない。

 見ていてハラハラするが、とはいえ、たぶんエノハの怒りを買って殺されるようなことはないだろうとも楽観している。

 この街にも警察機構はそなわっていて、しかもそれはエノハの直属ときている。

 だがエノハが我が意に添わぬという理由で人を裁くことは、いままで一度もなかった。

 じっさい警察機構のほうも、それを強いて実行しようという様子もない。

 エノハに変わって罪を裁くのは自警団に任されているが、その自警団のトップは、クリル無二の親友の、リッカなのだ。

 ツチグモにさえ効果を発揮する弓の腕前は、ときにエノハの密命をうけて、犯罪の取り締まりにも用いられる。

 警告から刑罰、死刑の執行まで、自警団のトップにかぎり、独断する権利を持っているのだ。

 一万人のセントデルタはエノハの保護と、ただ一人、任命される自警団首長の威光のもとに保たれている。

 そんなことを考えているうちに、エノハの経は終盤に差し掛かっていた。

「……宇宙へ散り、星へ散り銀河へ散り、闇へと帰らん。これは永遠の惜別にあらず。不可説を待ち、ふたたび血肉の戻らんことを……」

 エノハがそこまで言い終わると、黒い長袖の喪服を着た屈強な男(もちろん二十歳未満の少年)が二人、前にでてきた。

 その男二人が祭壇にのぼって、おのおの死者の肩と足をつかみ、もちあげて祭壇を降りると、そのままその体を、ひとりの男の前まではこんでいく。

 待ち構える男の背後は、大雪の日に見ることのできるカマクラのような、あるいは古代日本にあったような古墳の膨らみのような、土の盛り上がりがそびえていた。

 女神エノハはこの土の盛り上がりに、名前をつけようとしたことはないのだが、かつて生きていた誰かが言い始めたらしく、いつ頃からか『アパ』と呼ばれるようになった。

 アパとは、世界が滅ぶはるか以前の、紀元前3000年・シュメール時代の、冥界で暮らす死者へ送るための、捧げ物を入れる土管のことだそうだ。

 そのアパの中心には、大きなジルコン製のマンホールのような蓋があり、男は死者をはこぶ二人が近づくと、両手の袱紗にのせた鍵を、高くかかげた。

 鍵の男は何かつぶやくと、蓋にしゃがみこみ、鍵を差しこむ。

 蓋が開くとそこには真っ暗な穴しか見えなかった。

 セントデルタの人間なら、誰もが知っている。

 そこは地下水脈の入り口で、入ったら最後、海まで一直線だ。

 その水脈に向けて、男たちが三人がかりで、死者ハノンの体を、蓋の中に入れていく。

 死者はその穴へ落ち込み、形跡あとかたも残さず、蓋の向こうの闇に消えていった。

「ハノンはこれから、時間をかけて闇へ帰る。だがその体と魂は、長い時間をかけて数京すうけいの素粒子となりながら、天地を漂い、しばらくはこの大地で、生命の一部となって生きることだろう」

 エノハは来賓席にむけてそう述べると、一枚布でできた衣服、キトンを翻しながら、もと来た道をたどって退出を始めた。

 そこでエノハは改めて、トパーズの席からみつめるファノンと目を合わせた。

「ファノン、このたびは不幸だったな」

「うん……エノハ様」

「はい、だろお前」

 ファノンが神に対するものとは思えないほど気安くうなずくものだから、横に座るメイが肘で小突いてきた。

「いいのだメイ」

 エノハがたしなめる。

「もう少し話をしたいが、離れたところでも、また闇に帰命したものがいてな。遺族も自宅で執り行って欲しいとのことなので、すまんが、そちらへ行く」

「うん……エノハ様も、がんばって」

次話へ
このページの小説には一部、下線部の引かれた文章があります。そちらはマウスオンすることで引用元が現れる仕組みとなっておりますが、現在iosおよびandroidでは未対応となっております。