2.土蜘蛛

 場所は離れ、セントデルタより3キロ東、くずの木のツタがからむ、六階建てのビルでのこと。

 その傾いたビルの中に、ファノンの探す目標人物がいた。

「おーい、クリルー。見つけたよー、何かの本っぽいもの」

 ショートカットヘアの、大弓を背中にかついだ褐色かっしょくの女性リッカが、朽ちたアルミ製の引き出しから、腐ってほとんど黒ずんだ本をつまんで見せた。

「どれどれ……リッカ……見せてごらん」

 長髪をうしろに白いリボンでたばねた女、クリルは左耳からずれかけた、アクアマリン製の補聴器を耳に付け直してから、ため息をついた。

 クリルは左耳が少しばかり不自由なのである。

「チョイと待ってて……そっちまで行くまでに死ぬかもしんない。この床、やばすぎだよ」

 リッカは足元を注目しながら、ゆっくりとクリルに近寄った。

 床のコンクリートが抜けないか、気を配っているためだ。

 このビルが建てられたのは500年前。

 ゆえにこのビルは、床ひとつとっても、安全性も身の保障もないに等しく、きわめて危険な代物だ。いや、むしろ、倒壊していないほうが奇跡といえる。

 コケのような地衣類によって、コンクリート内の鉱物の結晶は分解され、いつ崩れ果ててもおかしくないのである。

 また、前文明の人々が、あたかも血管を作るように敷設してきたアスファルトという高速移動用道路も、落ち葉に群がるコケ類の酸によって軟化され、ボロボロにされて影も形もうしなって草木に覆われていた。

 500年前、かつてここは街だったが、今では動植物が支配する大森林なのである。

「……駄目だね。表紙は腐りすぎてて、めくれやしない」

 リッカがオフィス入口に立つクリルに本を渡すと、クリルのほうはにべもなく答えた。

「え、不合格?」

「不合格だね」

「500年も経てば、雑誌なんか、みんな朽ちちゃうよ」

「あたしが探してるのは、そういう本じゃなくて、ちゃんとした本だよ。歴史書でもいいし、このビルの報告書とかでもいいし、新聞でもいい。一行でも、過去のことがわかるものを探すの」

「そんなこと言っても、見つからんじゃん」

「これであたしの小遣いも変わるのよ。それまで気張って護衛しなさいよ、スーパーハンターさん」

 叱咤しったするクリルだが、その本業は、教師。

 だが、ときおり休日を使って、500年前にほろびた文明の遺物を探して、美術館なり博物館なり図書館なりにおさめるため、こうしてセントデルタ外に出るのである。

 この対価は微々たるものではあるが、失われた500年を取り戻すのに大切な役割を持つ仕事であることは、クリルもリッカもわかっていた。

「でもさー、これは文献としちゃー使えんの? なんかの週刊誌? みたいだけど」

 リッカは却下をもらった本を、しつこくクリルに突きつけた。

「腰の肉しか写ってないものなんか、ファノンの煩悩をかきたてる以外に使えないでしょ」

 クリルはリッカの意見を弾いてから、四角く切りだされた窓の外を眺めた。

 眼下には、地平線を埋めるほどの、茫漠ぼうばくとした広葉樹の森林が広がっていたが、ところどころにキラキラと、ガラスのように光を反射する巨岩がみえた。

 もちろん、それはガラスではない。

 方錐形に地面に突き刺さっている緑色の岩はエメラルド、広場の池のように赤い楕円を広げているのはルビー、いびつに固まった、民家ほどの大きさのダイヤモンドやサファイアがそこかしこにゴロゴロと頭を伸ばしていた。

 それらすべてが、高純度の宝石である。

 クリルの見下ろす景色の一部分に、大きなくぼみがあり、そこにさまざまな宝石瓦の乗っかる住居が見え、そこから、のろしのような煙が数条、たなびいていた。

 500年前の、人類死滅のきっかけとなった、第三次世界大戦を生き延びた唯一の人間エノハが作った……そしてクリルとリッカが生まれた街(というにはおこがましい人口だが)、セントデルタだ。

 その集落でいっそう主張しているのは、美しい南国の海から切り出して固めたかのような、高い高いエメラルドグリーンの塔。

 アレキサンドライトの塔。

 アレキサンドライトはかなり不可思議な宝石で、太陽のように強い光で照らすとエメラルドと同じ緑色になるが、ロウソクのともし火で照らすと、ワインレッドに色が代わる石である。

 その一枚岩の宝石でできた、重量約3万トンの巨塔が、いっそうセントデルタに異彩をあたえていた。

 そこにはセントデルタの女神が住むが、クリルはその塔が好きではなかったため、目を細めて塔をにらんだ。

「どうしたのクリル、窓なんか見て。もうお家が恋しくなった?」

「イヤ……ちっちゃい街だなーと思って。あんなのが、人類最後のり所なんだなって」

「またエノハ様の悪口? それはいいから、本をせめて一冊は見つけようよ。まだ何も見つかっとらんじゃん」

「そろそろお酒飲みたいしね」

「お酒って……まだ昼にもなってないよ?」

「せっかくの休日なんだし、楽しまないと。お互い、寿命も短いんだしさ」

「また出たよ、その話」

 リッカがいささか、ウンザリ気味に返した。

「もう1階ぶんほど探したら帰るよ」

 クリルが居並ぶオフィスデスクにもどろうとしたときだった。

 背後の、窓の外から、ドンッと心臓を揺るがす、大太鼓を思い切りかき鳴らしたような爆音がとどろいた。

 それから、メキメキと音をたてて倒れる、大木の声なき断末魔が数本分。

 その異常事態に対応が素早かったのは、リッカだった。

 音がするや、クリルが反応するよりも先に、リッカは窓の隅にはりつき、こそっと外を盗み見ていた。

 その機転と機敏さは、やはりハンターとして一流だと、クリルはおもった。

「どうなってるの?」

「クリル、声が大きい。まだ残ってたよ、ツチグモ」

 リッカは隠れ見るのをやめて、壁際にしゃがみこんで、外側を親指でしめした。

「ツチグモが……?」

 クリルはその名前をオウム返しにした。

 ツチグモ。

 それは第三次世界大戦の始まる少し前から、投入されていた無人兵器だった。

 ツチグモという名のしめすとおり、足が八本あるその兵器は、象より小ぶりではあるが、砲門は20箇所、それらのほとんどが光とおなじ秒速30万キロのスピードで対象をそぼろに刻むレーザー砲をそなえており、狙われればとうぜん、人間に回避は不可能。

 くわえて前部に八つそなわる高度のセンサーは、赤外線センサーや暗視機能はもちろん、動物の体表を流れる生体電気の動きも読み取ることができるため、対象のつぎの動作を、動く本人の自覚より早く検知することが可能。

 ようするに、人間が避けようとする方向に、レーザー光線を放てるわけだから、百発百中、しかも確実に急所を射止められるという意味になる。

 燃料は水さえあれば、常温核融合エンジンでいくらでも生み出せる。

 水のなかの水素を分離して、核融合で調達しているものだから、机上の理論においては何万年でも人間を狩ることができるのである。

「あいつらはエノハが駆逐したはず。セントデルタどころか、この島自体から奴らは消されたはずだよ」

「エノハ様だってもとは人間だったんしょ。勘違いくらいするさ――問題は、ツチグモの狙いは、あたしたちってわけじゃないってこと」

 リッカがしゃべっている間にも、何回かレーザー光線による木々の炎上音が、届いてきた。

 ツチグモが誤射や無駄弾を撃つことはありえないので、音のするぶんだけ、誰かが殺されているということだ。

「助けにいかなくちゃ」

 クリルがつぶやく。

「モウ間にあわないよ。行けば、あんたも無駄死にすんよ」

「それでも、あたしは行くよ」

「いちおう、止めたからね?」

 リッカは、案のじょうの返答だといわんばかりに息をついた。

「リッカ、お願いがあるんだけど」

「酒おごってくれるなら、何なりと」

 リッカは内容を聞きもせずに首肯した。

 そういう反応を取るのも、クリルを信頼しているからに他ならない。

「ありがと、それでね……」

 クリルは壁に寄りかかるリッカに近づき、何か耳打ちしたあと、オフィスを飛び出た。

「じゃああたしも、あたしの仕事すっかね」

 リッカはクリルの背中を見送ってから、何度か深い呼吸をして立ち上がると、背負っていた弓を手に持ちかえ、弦の張りを指でたしかめた。

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