8.ノト

 葬儀が終わって、続々と帰宅する者がでる中、ふたりの姉弟がトパーズのイスに座ったまま、話しこんでいた。

「あの女、またエノハ様にたてついたぞ」

「いつものことじゃん」

 遠くの席からクリルにむけ、ほぞをむ弟、ノトにむけてリッカは軽くかえした。

「ねえさま、それでも自警団長ですか。この街を守る権利を与えられた、最高位の役職なのに。あいつをのさばらせては、セントデルタにどんな害悪がもたらされるか」

「言葉を暴力で抑えることは、過去にいくらも存在した悪政府と同じおこないだよ。あたしたちは誇り高いセントデルタ人なんよ。あんたも過去の人間と同じ考え方ではないことを、この二十年の人生で、証明しなさい」

 リッカが毅然といいはなつと、ノトは膝をみつめ、ブルブルふるえはじめた。

「ね、ねえさま……」

「何よ」

「やはりあなたは理想の自警団長だ」

 ノトが次に顔をあげたときには、そこに恍惚の色がうかんでいた。

「ねえさまの言う通りです、我々は世界唯一にして、最強の民。過去にあふれていた戦争狂い、排他主義の果てにほろんだ野蛮人とは遺伝子レベルで違う。われわれはエノハ様より、DNAの優秀部分のみで作られた、選ばれた民なのですから」

「管理されて悪事を働くヒマもないのを、優秀ってゆーのかいな」

「管理こそ人間に必要なものです。ひとの欲は無尽蔵で、与えればきりがない。奪って監視し、抑えつけるからこそ、人は清く生きられる」

「イヤ、そーゆーことじゃなくて……」

「俺も自警団長になる。あなたのような、優秀な人間になり、エノハ様をお助けする」

「……アアそう、がんばってね」

 リッカはノトとの問答に疲れて、腰をあげた。

「あたし、ちょっとクリルと話してくるわ」

「あの女にセントデルタ最高水準の、ねえさまの教えを説かれるわけですね?」

「ええ、まあ、そんなところ」

「是非その姿を、俺にもお見せ下さい、あの女がベソをかく姿を」

「いや、あんたは連れて行かんよ、話がこじれるもん」

「……ねえさまの言葉なら神の言葉と同義。従うしかありません……神の使徒として」

「ああ……まあ、がんばりーや」

 リッカはそそくさと、その場を離れた。

 ノトも昔はあれほど極端な人間ではなかったはずだが……などと思いながら、リッカは祭壇をあとにして、スピネルやカーネリアンの石畳を踏んで家路に向かうクリルたちを追った。

「クリル、ちょっと」

「何、いまエノハをグーで殴るかパーで叩くか悩んでるところなの」

 リッカに呼び止められて振り返ったクリルは、あきらかに不機嫌な表情だった。

「殴ることは決定事項かよ」

 いっしょに歩いていたファノンが肩をすくめた。

「リッカさん、お疲れ様でした。リッカさんもハノン先生をご存知で?」

 メイは礼儀正しく、腰を深々と折ってあいさつしてから問うた。

「うん、あたしとクリルとハノンと、あと何人かでよく酒盛りしたかんねー」

「リッカとも知り合いだったか。ハノン先生、ただの変態じゃなかったんだな」

 ファノンが死者をこきおろしたが、これがファノン流のいたみかただと、リッカもクリルも知っていた。

「基本、変態だったよ、でも、ちょっとだけマシなところがあったから、腐れた縁がつづいたんかもね……で、クリル」

 リッカは神妙な面持ちで、クリルに手招きを始めた。

「ん」

「ちょっと、こっちに来てもらっていいかな」

「いいよ、何かな」

 クリルは誘われるほうへ歩き出す。

「何だよ、俺も混ぜろよ」

 ファノンが不平を鳴らしたが、すぐに横のメイがさえぎった。

「わかりました、ファノンの馬鹿にも言い聞かせておきますので、クリルさんもゆっくりしてください」

 メイの助け舟に、クリルはほほえんだが、やはりどこかに疲れがあった。

「ありがと。家に帰るとハノンのことをたくさん思い出しそうだし。こういう思い出は、お酒のように、少しずつ時間をかけて、飲みこんでいきたいからね」

「しかもあんた泣き上戸だしね、それぐらいがいいかも」

 リッカはうなずいてから、先んじて歩きだした。

「じゃあファノン、メイ。どっかで昼食をすませてくるから、適当にそっちはお願いね」

「はい。いこ、ファノン」

 メイはファノンの手をとり、少しだけ声を弾ませてこたえた。

「走んなよメイ、俺、おまえほど運動は得意じゃないんだぞ」

 そんな他愛のない会話を交差させながら、ふたりは遠ざかっていった。

「若いって、いいね」

 そのさまを、クリルは頷きながら見送った。

「あたしたちだって18歳、ピチピチじゃない。ちょっと余命が2年をきってるだけで」

「風前の灯みたいに言わないでよ、さすがに今日ハノンの死んだあとにそのネタされると、へこむわ」

 クリルがため息をついた。

「ごめん……じゃあいつもの『無人家屋』に行きましょうか」

 二人は人の往来のある間だけ無言で、ルビー・ガーネット通りのとなりにあるアメジスト通り、その隅の『無人家屋』を目指した。

 そこの家主は1年ほど前に亡くなり、その家を引き継ぐ預かり子もいなかったため、現在に至るまで無人のまま。

 だからこそ、二人の議場に選ばれたのである。

「クリル……ちょっと教えて欲しいことがあるんだけど」

 無人家屋に着くなりリッカが切り出した。

「ん……なあに?」

「ファノンのあの力のことなんだけど……あれは何?」

「……エノハにも聞いたんでしょ? どう言ってたの?」

「あの方は、教えてくれなかった。あんたなら、何か知ってるかも、と思って」

「リッカ……話してもいいんだけど、そのことで、ちょっとしたお願いが」

「ここで聞く話は、誰にも言わないから安心して」

「そっか……ならよかった」

「クリル、あの子があんな力を発揮するの、知ってたの? 森でツチグモと戦う時に見せた、あの力……。

 そりゃあ、虫眼鏡みたいに光を集めてるファノンなら、見たことがあるけど……あの時は、そんなレベルのものじゃ、なかった。あの力……危なすぎだよ。一緒に住んでて、アアいう目に遭わなかったの?」

「ないよ。あんな力を見たの、あたしも初めてだったし」

「ツチグモを倒して、ファノンとあんたがボロボロになって帰ってきた日、エノハ様に会って話したよ。あの力、エノハ様もご存知みたいだったけど、詳しく話してくれなかった……話せない理由がある感じだった。クリルならあの力のこと、詳しく知らないかと思って」

「あたしも知らないんだよ。ただ、ツチグモは言ってた……ファノンの力は、誰かによって意図いと的に抑えられていたものだったって。おそらくだけど、ファノンのあの力は、エノハによって、ずっと下火にされてたもの。あの子を守るために」

「下火? いままで風呂のぞきくらいにしか使えなかったのは、エノハ様のおかげであって、本当はあれぐらいできるってこと?」

「わからないよ……あたしにも。少なくともエノハは、ファノンが5歳から10歳まで一緒に暮らしてたんだから、何かできたでしょ」

「……クリルの言う通りだとすると、エノハ様は頑張って、ファノンの暴走を食い止めてたってことだね」

「あたしは、あの子には普通にこのセントデルタで暮らしてほしい。だから本人にも、力を使うなって約束させといた。あんな力を振り回す人間が、まともに人々の輪に入れるわけがない……ファノンの力のことは、メイにも黙っておくつもりだよ」

「ん……あたしも、無駄に騒いだりして、セントデルタの治安を騒がせるようなことはしたくない。でもねクリル……ファノンがあの力を、ここの人たちに使わないと確約できるの? そして確約したからといって、どうやってそれを守るの?」

「……リッカ……それができなかった場合のことを考えてるの?」

「ごめん」

 いったんリッカはそこで、クリルから目をそらしたが、すぐにまたクリルを正面に見据えた。

「だってあたし、自警団長だもん。エノハ様から授かった、大事な最高権威。セントデルタが乱れて、たくさんの人が死ぬ原因になるかもしれない子を、そのままにしておくことはできない」

「そう、エノハが言ったの?」

「いんや。あたしの独断」

 リッカのいう『独断』には、かなりの重みがあった。

 自警団長には、多くの権限が与えられている。

 刑事罰も民事罰も、リッカは自分の思うままに処断できるという、強大な権力を持っていた。

 だがリッカはそれを重責として、疎んだフシがある。

「独断ね……セントデルタでは充分、裁きの理由になるんだよね、残念ながら」

「あたしは、こんなの振るいたくないよ。だいたい、何であたしが自警団長に選ばれたのか」

 自警団長。

 この役職の選任は、エノハみずから指名するものだが、実のところ、その判断基準ははっきりしていない。

 リッカのように、エノハへ敵意も羨望も持っていない人間が選ばれることもあるが、人間を裁くことに何のためらいもない人物が登用されることもある。

「ファノンを殺すの?」

 クリルがうつむき加減に勘ぐった。

「それは……したくない。ファノンのことは良く知ってる。あの力を人に使って喜ぶ奴じゃないことも」

「エノハがあなたを自警団長にしたのも、そう考えられる人だからかもしれないね」

「約束して、クリル。あいつの力を、もう発現させないって。あの力はたぶん、あんたを守るために発揮されたもの。あんたが危険になれば、ファノンはまた、あの力を使うかもしれない」

「……わかった。もう小さな理由でセントデルタ外に出たりしないよ」

「ありがとう……その約束だけでも、少しは楽になれるよ」

 二人はそこでやっと、この日初めて、声をあげて笑うことができた。

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