ホログラフィックとは、空気中に立体映像を投影することで、情報を
ホログラフィックの前身であるホログラムは、ギリシャ語で「完全な」を意味するホロスと、メッセージを意味する「グラム」が重なって生まれた。
そこから写真技術「フォトグラフィック」とつなげられ、ホログラフィックという単語が誕生したのである。
1960年代にはミシガン大学、続いてマサチューセッツ工科大学などで研究がおこなわれていたのが、映画などに登場したことで、一躍メジャーな存在となる。
フォーハードの左手首には、その技術をもちいた『リスト・ディシプリン』なる、最大14インチのホログラフィックを発生させる腕時計が巻かれていた。
フォーハードはこれまで、そこから露光するホログラフィ型キーボードを叩くことで、ツチグモやアジンに命令を下していたのだが……そのディスプレイに映る、ツチグモの泥まみれの視界が、にわかにノイズに支配されたのである。
かわりに、フォーハードの腕時計から、赤い糸のような光の直線が現れた。
その『運命の赤い糸』は、まっすぐダイヤモンド中央広場に伸びていた。
そう、ツチグモの後頭部に向けて、である。
そして当然、そのかたわらには、ファノンがフォーハードのほうをにらんで立っていた。
「……!」
フォーハードは息を詰まらせながらも、すぐにその現象の意味を悟っていた。
リスト・ディシプリンが用いる電波の波長は、通信衛星が使うものと同じ、2.5センチ。3万キロ上空からでも情報の伝達が可能な波長である。
その2.5センチの波長を、ファノンは人間が視認できる700ナノメートルの光へ変えたのである。
700ナノメートルと言えば、可視光でいえば、赤い光だ。
「ロナリオ」
フォーハードは、身体の
「フォーハード……あなたは」
ロナリオはゆいいつ関節の生きている首をもたげて、フォーハードを見つめ返した。
「すまんなロナリオ。ずっと、お前を
フォーハードはそう言い残すと、意識を短く集中させた。
フォーハードの見る景色に、ダイヤモンド中央広場と、緑に覆われた遺跡のふたつが重なる。
だがその遺跡はフォーハードからは
地面から、かなり離れた位置ということだ。
そこへそのまま飛べば、かなり派手に地面に身体を叩きつけることになるだろう。
とはいえ、強大な何かが迫っていると直感しているフォーハードに、その位置ずれを修正する余裕はなかった。
ここに残れば確実に死ぬが、行けばもしかしたら死なないかもしれないのだ。
この選択を悩むフォーハードではなかった。
フォーハードが力をこめた瞬間、フォーハードの五体は瞬時にして、その木々に侵食された遺跡のほうへ移動していた。
どっちつかずだった景色が、木々に絡みつかれた廃墟のほうに収まった。
だが、そこへ着いたとたん、フォーハードは強い無重力感に引かれた。
もう一度、瞬間移動を試みようとしたフォーハードだったが、それは間に合わなかった。
フォーハードの身体は少しの間ののち、接地したが……ただしそこは、海面だった。
着水した瞬間、視界満面の泡と、ゴボゴボとやかましい水音が、フォーハードの
「……っ」
フォーハードはなかば混乱しながら、手足をばたつかせ、落ちる前に見えていた、目の前にあるはずの、
フォーハードは泳げないのである。
だが必死になれば、とりあえず
かなり時間を使って、そして無用に海水を肺に飲み込んで、フォーハードは数メートルしか離れていない宝石塔に、指を触れることができた。
フォーハードにとって幸運だったのは、そして世界にとって不運だったのは、宝石塔の
おかげでフォーハードは、魔王と
「ぶはっ! げほっ、ゲほぉっ!」
フォーハードはその五体を宝石塔の上にもちあげると、茶色く変色した支柱に背中をあずけ、ひとしきり
「くッ、くっそ……ファノンのやつ……」
悪態をつきながらも、フォーハードはしばらく、肺の中身を裏返したような痛みに苦しみながら、咳を続けた。
「ハァっ……はぁ……っ」
やがて咳はやみ、やっとフォーハードは冷静さを取り戻していった。
数刻ぶりに吸い込む酸素を、なんども身体の中にありがたく飲み込んでから、顔をあげる。
その瞬間、フォーハードはここがどこなのか、すぐにわかった。
まず、おのれがへばりつく宝石塔。
あたかも地面からつねりあげたかのように、四つ足を踏ん張った、おそらくダイヤモンドでできた塔(おそらく、というのは、ほぼ全体を苔とノリが覆っていて、ほんらいの塔の肌が見えないからだ)。
北西のほうには、整列するように建築物の高さを統一した、種々の宝石で作られた放射街路と、ごつい
フォーハードがいるのは(水没しかけてはいるが)、シャン・ド・マルス公園――フランスの首都パリだった。
そしてフォーハードに助け舟を出したダイヤモンドの塔は……エッフェル塔。
海からかなり離れた位置にあるパリだが、ここがみごとに海辺の遺跡になっている理由のひとつは、旧代の人々が幾度となく歌詞にしたため、恋文に混ぜ、たたえてきた悠久の川、セーヌ川のためである。
かつてフォーハードが南極を水爆で破砕したあの日、世界を巨大洪水が襲い、かつ、水位の上昇によって、文明に破滅と混乱が巻き起こった。
地球の海岸……つまり砂浜はこの一撃ですべて海へ溶けだしたわけだが、ほかに水位の上昇をはげしく味わった場所があった。
河川である。
川はそもそも、水が低いところへ集おうとして形成された場所。
その低いところを、海の水がかけのぼり、周囲の都市や街を襲ったのである。
パリもまた、美しくたゆたうセーヌのほとりの建築物が、みな海水にこそぎとられていったわけだ。
皮肉なことに、ほぼすべてが宝石になっているからこそ、パリの街はパリの街をとどめたまま、こうして判別できているわけだ。
世界中のあらゆる建築物は、ほとんどがこうして宝石化しているのである……。
「……」
フォーハードはそこで、わずかな違和感をおぼえて、みずからの左手首に巻かれている、リスト・ディシプリンを見た。
そのリスト・ディシプリンは、まるでヨーグルトをスプーンでほじくったように、丸くえぐれて内部の基盤をさらしていた。
おそらく、ファノンのヘリウム化攻撃によるものだろう。
もう一息、タイミングを遅れさせれば、フォーハードの身体がこのようになっていたはずだ。
「……あいつ、すでに何倍も俺より強くなってるな」
フォーハードはそこで、パリの
――もはや、ファノンに近づいて挑発することは諦めたほうがよさそうだ。
――今回は運良く逃げられただけだからな。
――だが、こうなることは予測していたから、しっかり種まきはしておいた。
――たしか、名前はノトだったか。
そこでフォーハードは、すっと顔をあげて空を眺めた。
「あとのことは頼んだぞ。俺だけの英雄さま」