104.追放

 天窓からのぞける遠くの夜空(日本とブラジルでは時刻が違うから、こちらでは始めから夜である)から、大量の人間の悲鳴のようなものが聞こえてくるが、人間が一掃いっそうされたこのブラジルに、そんなことが起こるはずはないから……これは何かもっと『まずいものの叫び』だと、フォーハードは直感していた。

 もう少し長く夜空を観察していれば、その星々の光が、みるみる翳っているのにも気づいただろうが、フォーハードはそんなものに興味を示す時間も余裕もなかった。

「マスター……これは……この現象は……計測不能です。予測も不能です」

「そうだろうな」

 アイドリングするガソリン車のように、揺れ続ける工場の鉄パイプにしがみつきながらも、フォーハードは不敵に笑おうとしたが……それは引きつっていた。

「反粒子が生成されているなら、通常粒子とのぶつかりあいで、大爆発が起こっているはずだ。だが、どうも、そうじゃない感じがする。目の前でのクリルの死。それが奴の感情を徹底的に追い込んだ。怒りでキレすぎて、言葉もでない状態だ。そんなときの超弦の力は、もっとも強いエネルギーを選択するってのは、さっき説明した通りだが……その前段階で、この星は消滅するかもしれないな」

「マスター……マスター……わたしは、死にたくありません。どうか、助けて下さい」

 フォーハード同様、パイプを掴んでいたラストマンが、すぐ横にいるフォーハードの片腕にしがみついてきた。

「俺だって助からないよ。あきらめてくれ」

 フォーハードは邪魔なその手を、次元の力で断つために右手をかざした。

 そこに、野球ボールほどの異次元空間が開く。

「……離せよ、ラストマン」

 離さなければ殺すぞ、という意味を言外げんがいに含めて、フォーハードは再度、命令した。

「わたしも一緒にお連れください」

 ラストマンはまったく、引き下がらなかった。

「行っても死ぬんだぞ。ここにいるほうがいい、まだ他の仲間もいるからな。俺の進む先は、おそらく孤独な闇の中での死だ」

「それでもわたしは、1分先でも長らえるのなら、そちらを選びます。火砕流かさいりゅうに襲われた人間は、逃げる先に崖があっても、人はわずかな生きる望みをかけて、その崖に飛び込むものなのです。

 それが生きるものの本懐でしょう。あなたがわたしたちに魂があるとおっしゃるなら、その思いを尊重すべきだ」

 ラストマンの言葉はもはや、意見ではなく、主張だった。

 だがかんじんのラストマン当人に、どうもその自覚はなさそうだった。

 それに気づいたフォーハードは、短く息をついてから、会話を再開した。

「――良いだろう、もしもその先が闇の世界だった場合、俺は死ぬ……いや、そうでない世界だったとしても、俺は生きてはおれまい。だがもしかしたら、お前は生き延びて、そのさらに先の未来を見届けることができるかもしれないからな」

「マスター……それでは」

「一人くらい、俺の体に引っ付いていても、50億年や100億年、ジャンプしてみせるさ。もっとも、この爆発のあとで時間という概念が残っているかは知らないが――ん?」

 フォーハードはそう決意を述べてから、異変に気づいた。

 先ほどラストマンを破壊するために自分の意思で開いたはずの、手の平にくすぶる次元のエネルギーが、閉じていないことを。

「なんだ、これは……俺の力が……制御が効かん」

 フォーハードは手のひらのエネルギーに念をこめるが、その意思とは裏腹に、勝手に次元のエネルギー体が肥大していた。

 そのエネルギー体の向こうはおそらく真空なのだろう、強い風とともに、フォーハードの身体はその次元の穴に吸い込まれ始めた。

「こ、これは……俺の力じゃない。ファノンの力だ……信じられん、あいつ、俺の力にまで干渉している」

 台風の中にいるかのように、髪の毛を逆毛に舞わせながら、フォーハードはみずからの手の中にくすぶる強いエネルギーのために、目をつぶって叫んだ。

「マスター……一体なにが」

「離せよラストマン。俺はこれから、地獄に行くようだ」

「いいえ、わたしはそれでも、あなたに付いて行きます……ここよりはマシかもしれませんから」

「ああ……あくまでも、ここよりはマシだから付いてくるだけなんだな……人間のエゴに似ていて鬱陶うっとうしいが……それさえ今となっちゃ、愛おしい気がするよ」

 フォーハードが心細げにしゃべった瞬間。

 そのフォーハードの手の中で小さく揺れていた力が、一気に膨れ上がって、2人をつつんでいった――

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