107.緑の太陽

 数分続いた、昨日の『緑の太陽』は、果たして何だったのか。

 ファノンがこれに絡んでいる……とまでは人々もわかっていたが、それ以上に、話を掘り下げる余裕はなかった。

 それよりもまずは、支度したくをしなくてはならなかったからである。

 支度とはつまり、葬式である……。

「闇より宇宙へ旅立ち、星になり銀河の一部となり……」

 中央広場の静寂せいじゃくに、エノハの重々しく沈んだ声が波紋を立てる。

 セントデルタ中央広場には、まだ先日のツチグモ襲来によるレーザー裂傷が、ダイヤモンド敷石のそこかしこに溝を掘っていたが、町人たちが差し当たっての対応として、それらを土で埋め立てたため、式典をするぶんには通路としても祭場としても、かろうじて機能させることができていた。

「……不可視の次元をただよわん。ただしこれは永遠の惜別せきべつにあらず。宇宙をめぐり億年けい年を待ち、ふたたびわれらに巡回す」

 その日の空は、まばらに雲のたゆたう中に、地上の宝石の光が、雲に写し出されていた。

 いわゆる『ジュエルプリズム現象』である。

 その天候のもと、エノハの見下ろすアレキサンドライト台座には、2人の遺体が寝そべっていた。

 一人はノト。

 もう一人は、クリルである。

 フォーハードはひとつ、思い違いをしていた。

 この世の誰にも、怒りと悲しみにくれるファノンをしずめる人物が存在しない、と決めつけていたことである。

 そもそもフォーハードは、人間の英知も人情も信じていなかった(ただし信じたフリをするのには卓越たくえつしていた。おそらくフォーハードは『人間の英知を信じていたころ』に取っていた行動や動作、反応などを、思い出しながらやっていたのだろう……)。

 たしかに、この英知と人情の二つは、民族や国、社会や利権という、巨大なものを相手とするとなると無力になるが、目の前にいる人間同士では、すさまじい力を発揮するのだ。

 人間同士が和をもってたっとしとなすには、実のところ、これしかない。

 和を作るのは、新聞の情報操作でも、外交による手品でも、実のない噂話でも、真偽不明の伝聞でんぶんでもなく、顔と顔を合わせ、困った時に助けられるかどうか、なのである。

 人口1万人に絞られたこのセントデルタを、世間でも社会でもなく『世界』と名付けるなら、たしかに世界平和は実現しているのかもしれない。

 ただし――セントデルタが10万人となり100万人となり、やがてさらに増加をたどったときには、旧代と同じ問題が現れるだろう。

 残念ながら、一部の支配者は、人間同士を殺しあわせることで利益をむさぼるることを常とするからだ。イングランドのおこなった清朝への阿片アヘン販売をきっかけとする1840年の阿片戦争、米ソ冷戦下でのコスタリカ傀儡かいらい政権によるアメリカの国益享受きょうじゅ、同じく冷戦の中で起こされた1967年カンボジア内戦、『大量破壊兵器があるかもしれない』などと支離滅裂しりめつれつな理屈で始まった2003年イラク戦争……。

 ファノンは先日、殺して笑える人間のことを悪人だと言ったが……実のところ弊害となるのは、殺して笑う人間ではなく、人を死なせても隣人を苦しませても、何も感じない人間のほうなのである。

 このあたりはかつて喜劇王チャップリンがたん的に『一人を殺せば悪党だが、100万人を殺せば英雄になる』と、切れ味鋭く指摘している。

 エノハはどこまでも民主的に、そういうことが起こらない世界を築くことには、今の所は成功していると言えるのかもしれない……。

「――」

 ファノンは式のさなか、ずっとうつむいて、ぼんやりとしていた。

 式のしらせや段取りの確認で、疲れ切っていたのもある。

 その有様はまさに、心ここにあらず、といった風だった。

 ――クリルはしみったれた場所は嫌いだから、今はポワワワンの川でも見ているんじゃないか……。

 ――いや、喫茶きっさギフケンで酒か紅茶を飲んでるかもしれない。

 台座にそのクリルの遺体が横たわるのを目の前に認めながらも、そんな現実離れしたことを、ファノンは考えていた。

 ところで、ここに今、ファノンが無事に出席しているのは、リッカの手心てごころによるところが大きいことを付記する必要がある。

 本来ファノンは、自警団長リッカの右腕を奪い、その命さえ破壊しようとした人物。

 だが、その事実をこの式典の中で知るものはいない。

 自警団長に害をなすなど、充分に聖絶されるだけの理由になるが……その事実を自警団長当人が隠滅したのである。

 リッカが、そのことは不問とし、口を閉ざしたのだ。

 自分もファノンを不当な理由で殺そうとした。だからおあいこだ、という理由で。

 ファノンには力があるから危険だ、ゆえに殺す、という理屈はいつのまにか、引っ込めたらしい。

 おそらく、それをき付けてきたノトが死んだからだろう。

 それとは別に、緑の太陽を生み出したのはファノンで間違いない、ということは、リッカは公表していた。

 そのおかげで、やはりファノンを排斥はいせきしよう、という声がし返されはしたが……実行するものはいなかった。

 誰も、信管の生きた核爆弾をハンマーで叩きに行こうという人間は、いなかったのだ。

 ……ともかくこれで、日常が戻るかというと、そんなことはなかった。

 もとよりセントデルタは、火薬のまぶされた楽園だからである。

「エノハ様!」

「エノハ様!!」

「どうしてもお答え頂きたいことが」

 数人の男女が、葬儀中に席を立ち上がって叫び、葬式の静謐せいひつを断ち割ってきた。

「エノハ様……いつまでこんなことを続けられるんですか」

「いつまで……とは?」

 エノハは説法を中断し、振り返って、背後にいる男女数人を見下ろした。

「あなた様は人類の不道徳を恨み、われわれを二十歳の寿命に閉じ込めた。ですが、文明の復活を許さないことと、われわれの道徳の衰退すいたいは、関係ないでしょう」

 別の男が論を重ねる。

「それは、のちの議論だ。ここでする話ではない。後日の案件として、覚えておこう」

「のちの議論? いつもあなたは、クリル先生にセントデルタの悪弊あくへいかれても、すぐその場で答え返していた。それがなぜ、今回は言えないのですか。教えてください」

 席を立っている別の女が言葉で追いすがる。

「クリルはハノンの葬式のさなかで、あなたに異論をぶつけた。なぜあの時のようにやり返さない!」

「そうだ!」

「そうだ!」

「返答を!」

「議論を!!」

 人々の熱は、みるみる高まっていた。

「…………」

 エノハは、それを黙って見守るのみで、いっこうに口を開くそぶりを表さなかった。

 あきらかに、この時のエノハは歯切れが悪かった。

 少なくとも、騒ぎを傍観ぼうかんする大多数の人々は、そう受け取っていた。

「答えられないのか!」

「あなたはどういうお考えで、セントデルタを統治されているのですか!」

 質問は議論に、議論はやがて非難へと変わりつつあった。

 心のずいまで疲弊ひへいしきっているファノンやメイに、そんな喧騒けんそうに加わる気力はなく、ただただボンヤリ、その怒号をながめるだけで、何か行動を起こせるはずもなかった。

 その勢いはさらに増し、ついに人々のうちの数人が、エノハに組みかかろうとしたところで――つぎの展開が起こった。

 空席のトパーズの椅子が、激しい音とともに、砕け散ったのだ。

 どうやら、その空席の隣にいた男が、トパーズの椅子を投げ飛ばしたようだった。

 騒いでいた男女も、さすがに驚いて口をつぐみ、様子を見るために、そちらに注意を傾けた。

 椅子を広場に投げ飛ばしたのは――タクマスだった。

 タクマス。

 以前、ファノンを排斥はいせきするため、ノトの甘言かんげんに乗って300人集会を開いた男である。

 いまは、あっという間に手のひらを返し、ファノン擁護ようご派の急先鋒きゅうせんぽうに転じていた。

 彼については、のちの世でも評価が分かれている。

 理由としては、その転身の極端さのためで、今はなんと反エノハ派のリーダーでもあるのだ。

 今のところ、エノハを倒すべしとは表向きには唱えていないが、あくまでも表向きは、でのこと。

 タクマスはセントデルタ新聞社の主筆と社長を兼ねているが、その新聞はここ最近、名指しは避けているものの、エノハの批判であふれているのだ。

 数日後にモエクから教えてもらうのだが、今立ち上がっていた男女の全員が、300人集会の参加者だったり、あるいはツチグモに殺された者の身内であったり、セントデルタ外でアジンと交戦してツチグモに殺された人々の親族や友人だったのである。

 タクマスはひたすら、彼らの悲しみと怒りをあおり、それらをエノハに向ける記事を起こしていたのだ。

『ファノン遭難そうなんののちの、自警団員16人とカンザサ掘削人の死亡責任は誰か。計画性があればこの被害は食い止められた』

『ツチグモが中央広場を襲撃した時には、無策なだけでなく、その守護さえ放棄された。けっきょく80人も闇へ帰った』

『われわれはフォーハードが次の襲撃をする前に、彼と戦う準備をしなくてはならない』

『セントデルタの人々は、おのおのが自力で生きられるようになるべきである』

『このフォーハードの計略による約100名の死去(セントデルタ外での17名の死亡も、機械兵士との接触があったというから、おそらくフォーハードの手の一つだと筆者は断じる)。死んだのは100名だが、影響を受けたのは100名ではない。その人々の友が残り、恋人が残り、家族が残り、アポトーシスの日を越えても消えない思いを抱きながら、生きていかねばならない。それは未曾有みぞうの不幸である。われわれは団結し、セントデルタをこの不幸から解き放たねばならない』

 5日ほど前から、日を替え言葉を変え、セントデルタ新聞はそのようなことを連日、書きつらねていた。

 タクマスは、直情な気質で、裏表がない……と思い込まれているがゆえに、人気の集まる人物。

 300人集会を実行した立役者たてやくしゃはそもそも、ノトではない。

 ノトには、そんな能力はなかったのである。

 人の成長をねたみはするが、自分でそれに並ぶために努力する、という精神の持ち主ではなかったノトには、1万人のうち3パーセントもの人間をなびかせるだけの、弁舌の才能も、言いくるめの技能も、交渉の能力もなかったのである。

 それらを備えていたのは、すべてタクマスだった。

 タクマスがセントデルタ新聞社のトップだというプロフィールも、人々をまとめるのに役立っていた。

「わきまえろ。いまは寿命で闇に帰った人間の葬儀じゃない。暗殺された人の葬式なんだぞ」

「む、タクマス……」

 タクマスが仲裁に入ったものだから、人々はたぎるままの心を無理に抑え込むしか、なくなった。

 立ち上がっていた人々は、不満そうな表情のまま、ふたたび席についていったのである。

「……」

 それを見たタクマスもまた、何事もなかったかのように、台座のそばのエノハに首を戻した……。

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