111.反乱の誘い

 一方、喫茶きっさ『ギフケン』でクリルの鎮魂ちんこんをはかっていたゴンゲン、モエク、アエフは……とてもではないが、その鎮魂を続ける空気をなくしてしまっていた。

 これから本格的な酒盛さかもりを始めよう、という時に、タクマスが喫茶店の扉を開けて入ってきたからである。

「探したぞ、お前たち」

 タクマスは3人を見つけると、あたかも票を求める政治家のように、にこやかにそのテーブルに近づいてきた。

 その左手には、クシャクシャになった新聞紙をにぎって。

「タクマス……お前さん、大変なことをしでかしてるな」

 モエクが嘆息たんそくまじりに告げた。

「大変? なんのことだ」

「とぼけるのか。エノハのことをあれだけ悪く書いておいて、よくもまあ……」

「ああ……これのことか?」

 3人の向かい合うテーブル上に、タクマスは落ち着き払ったようすで、捕らえた獲物でも放るように、持っていた新聞紙を投げた。

 それは、先ほど印刷が終わったセントデルタ新聞の夕刊号だった。

 そこの見出しには『責はエノハ様にあり――クリルとノトの死因は、エノハ様の裁量不足に帰結する』とあった。

 これまでセントデルタ新聞社は、遠回しに為政者いせいしゃを批判はすれど、エノハの名指しは避け、どこかに逃げ場を設けていた論調だった。

 が、ついにこの日、セントデルタ新聞は、余すところなくエノハの攻撃に傾いたことになる。

「タクマス、あのな……これは明らかに不敬罪だぞ。これじゃ、言い逃れができない。聖絶モノだ」

 モエクが苦言くげんを吐いた。

「聖絶がなんだというのだ。俺たちは481年組。放っておいても……俺はあと8ヶ月もすれば闇に帰る」

 いまタクマスがつぶやいた481年組というキーワード。

 ようはその年に生まれた人々の通称だ。

 現在はセントデルタ開闢かいびゃくより499年と11ヶ月。

 リッカ、モンモ、モエク、ゴンゲンもこの481年の生まれだ(死んだクリルもそう)。

 つまり、来年……それも1年1ヶ月以内には、この全員が『闇に帰る』わけなのである。

「俺自身、死ぬ覚悟で書いた書面だった。だが見てみろ。通常ならすぐに聖絶される案件なのに、俺はまだピンピンしている。おそらく、この記事のことを、たくさんの住人が自警団やエノハに通報しているだろうに、だ」

「お前さんが聖絶されない理由は、何だと思う?」

「わからん……神意とは、俗人に想像が及ばないものだな」

「……そこは僕も気になっていた。殺さない理由がないのに、だ。エノハの刑罰はおそろしく速やかで、なおかつ確実だ。

 お前さんの部下がクリルの葬式の時にエノハにケンカを売った時にしても、エノハのほうに、どうも生彩が欠けていた。普段にはない反応だったよ」

「部下?」

「クリルの葬式の時、騒ぎ出した連中がいただろう。とても仲が良いんだな」

「わかるのか? さすがセントデルタの知恵袋だ」

 タクマスは笑顔のまま、モエクの断言をうけとめた。

「まあともかく……これを利用しない手はないね。俺は少なくとも、準備をすることはできるってことだよ」

「準備? 人々をあおり立てているのも、それの一環ですね? あなたが混乱を起こせば、フォーハードが便乗びんじょうするかもしれませんよ。2年前、ロゴーデン一派がラストマンを掘り起こした時も、いま思えば、フォーハードがからんでた感じがしますし」

 おずおずとアエフが意見をはさんだが、その指摘はかなり的確だった。

 これはアエフが状況証拠から思いついた想像にすぎなかったが、じっさい、あの事件には深くフォーハードが関わっていたことを、アエフは喝破かっぱしたことになる。

 実のところ、モエクが好んでアエフと語り合うのも、この利発さによるところが大きいのである。

「フォーハードの抜け目のなさは異常だ。しかし、それと戦うのはファノンの仕事だろう? 俺は集中して、自分のできることをやっていくよ」

 タクマスはにべもなく反応した。

「困りごとはファノンに押し付けるのか? 彼もクリルを失った。これ以上、彼の負担を増やすのに良心が痛まないのか?」

 タクマスのかわし方に、モエクが不快さをていした。

 ――そこでファノンに頼るというのか。

 ――彼は傷付ききっている。

 ――恋したクリルが死んだ僕より、おそらくずっとだ。

 ――そんな相手にすがるというのは、あまりにも非道に感じる。

 モエクはタクマスをにらみながら、そんなことを考えていた。

「おいタクマス」

 ゴンゲンが会話に入った。

「お前はヨイテッツの遺言ゆいごんを聞いたんだろう。俺はお前がヨイテッツの遺志を継いだと思っていたが……思い違いだったようだ」

「ファノンは守る。闇に帰ったヨイテッツと、約束は交わせたわけじゃないが、それは俺のケジメだ。だがフォーハードとの戦いにファノンが不可欠だというのは、異論はないだろう?

 俺たちは旧代の呪物じゅぶつを使えないのに、フォーハードは大陸からいくらでも、それら呪物を持ち込める。その結果が、この間のツチグモ襲撃だ。俺たちは500年前も、現在も、そして500年後も、殺人マシーンが来ても石槍と、動物のけんでできた弓矢で戦えと言われてるわけだよ。こんなハンディキャップがあるものか。その点、ファノンだけは、フォーハードにさえ優位を取れる」

 タクマスが呪物と呼ぶそれとは、つまり文明の利器のことである。

 ここでは経済、産業、高等学問や科学はすべて、あやまちを産む物だと教えられているから、その産物はすべて呪物、というわけだ。

 反エノハであるはずのタクマスにおいても、エノハの作ったこの考え方にどっぷりかっていることになる。

「まあ、わかるよ、そのへんは。で、お前さんはこれだけ人々をき付けて、何をやらかす気なんだ?」

 モエクが少しだけ前のめりになった。

「およそ想像がつくだろ? かじ取りをエノハではなく、俺たちの手に取り戻す」

「それはつまり……エノハを倒す、ということだね? 暴動をもちいて」

「想像の通りだよ」

崇高すうこうな理念だ、近くで聞いてると焼き尽くされそうだよ、タクマス。だがね、アエフの言葉じゃないが、フォーハードが邪魔をしないとは限らないぞ? 背後を突かれて、ツチグモをけしかけられたら、また被害が出る。お前さんは高い理想を抱えたまま、犬死いぬじにだ」

「ふふっ……」

 モエクの忠告に、タクマスは意味深に笑っただけだった。

 ――この男……。

 英明なモエクは、タクマスが考えていることを見抜いていた。

 ――フォーハードが襲うことは、望むところなんだ。

 ――フォーハードがまたツチグモを寄越よこして、人々が殺されれば、その責任をすべてエノハになすりつける気だ。

 ――そしておそらく、自分が死んでも、それが果たせる準備も完了しているんだ。

 ――いまタクマスは、エノハの不行ふゆき届きを新聞に書き立てて、その権威を攻撃している。

 ――こうすることで、たくさんの人間を共感させ、動かしてるんだ。彼の反乱が失敗しても、必ず統治に支障が残るだろう。

 ――この反エノハ運動には、すでに大量の人命が乗せられているわけだ。

 ――首謀者タクマスが死んでも、その罪はすべてエノハのせいになるように、大衆操作はすでに終えている。

 ――ただ、これの供物になるのはタクマスの命だけじゃない。

 ――人心と、その命を、その材料にしようというんだ。

 ――人間の命を、消費し、私有し、軽んじて。

 ――そうして最後には虫歯菌のように、セントデルタの土台をグラつかせ、やがてエノハを倒す、というわけだな。

 ――タクマスは闇に帰れど、その姿は人民の旗にいつまでも描かれ続ける、というわけだ。彼はセントデルタのほろんだ先の世界で、英雄となる……。

 ――だがこれは、賞賛できない考え方だ。

 ――僕の理想は、エノハの暗殺を最上とするから、彼のことを悪く言う資格はない。

 ――だがタクマスに賛同した人々は、全員が死ぬ覚悟で革命を果たしたいと考えているわけではない。

 ――いわば、タクマスに友や家族を失った悲しみを利用されているだけだ。

 ――絶対に、僕には許容きょようできない考え方だ。

 モエクはため息をついて、タクマスを前に無言になった。

「おいタクマス、あのな」

 論戦が終わったと見たゴンゲンが、たしなめる口調でまざってきた。

「モエクの顔色を見てわからんのか。今、このテーブルにいる連中はあれこれとセントデルタの未来を考える精神状態じゃあないんだよ。遠慮してもらいたいね」

「ならゴンゲン、比較的マシな顔色のお前に頼みたい。セントデルタを呪縛じゅばくから解放することこそ、俺の使命だ。俺に協力しろ、お前の力が……」

「お前の話に乗ることはできん! と言ってるんだ!」

 タクマスが全て言い終わる前に、酒が回ってきたゴンゲンが、大きな声でふさいだ。

 この突然の怒号どごうに、喫茶店で静かにコーヒーを飲んでいた他の客の雑談が、ピタリとやんで、モエクたちに視線が注がれた。

 だがゴンゲンが、人の目があるからという理由で、論の熱を下げるような男のはずがない。

 ゴンゲンは酒が好きではあるが、あまり強くはない、というのも手伝っていた。

 いつもクリルやモンモと酒を飲み比べても、酔い潰されるのは、ゴンゲンなのだ。

「なぜだ? ゴンゲン。エノハを倒せば、おそらく人間の寿命を元に戻す素地そじだけは取り戻せる……俺たちは二十歳で死ぬがね」

「お前は騒乱を起こそうとしている! それが問題だ!!」

「それで?」

 タクマスはまったく動じもせずに、ゴンゲンに先の言葉をうながした。

「騒乱が起きればどうなる。たくさんの宝石窓が割れる! 俺の預かり親が作ったものがある。闇に向かったヨイテッツの奴がこしらえたものもある。なぜ俺が、彼らの遺したものを破壊するようなことに、加担せねばならんのだ!」

「そこで最初の議論さ。俺たちに時間はない。エノハを倒せば、これから生まれる子供に、こんな思いをさせなくて済むんだ」

「それがどうした! 20年生きようが100年生きようが、残せるものは残せる! 人類はひとつ、本当に有効な武器を持っている……それは努力だ!!!!!」

「マーク・トウェインだな。努力の部分は『笑い』だが」

 余裕があるのだろう、タクマスは空いた席に腰掛けて、肩肘をついて、こめかみに人差し指をあてた。

「よく知ってるじゃないか! その通りだ!!!!」

「お前は相変わらずだな……なら同じマーク・トウェインから引用するとしよう。

 お前の目標をけなす人間とは距離を置け、小人しょうにんはいつも大いなる人間の目標の意味など理解できずに否定するものだ、だが偉大な人物なら、自らの目標の真価を信じることができる……とな」

 タクマスがいささか馬鹿にしたように、引用でやりかえす。

「ちょっと待ってください、タクマスさん……ゴンゲン親方が小人だと言うんですか」

 傍聴ぼうちょうしていたアエフが、その中傷は見過ごせないとばかりに、割って入った。

 尊敬する人を傷つけられた怒りが、その幼い声音にはこもっていた。

「がっはっは! タクマスの言う通りだアエフ! 俺は窓のことしか心配できない男なんだよ!!! ……だがな!」

 ゴンゲンは快活に笑っていた――と思ったのもつかの間、ふたたび凄まじい剣幕になって、タクマスを睨みつけた。

 それにはさすがのタクマスもどきりとして、腰を引いたようだった。

「俺はお前の反乱なんぞに手は貸さんし、邪魔もせんよ。ただし……1枚でも宝石窓を割ってみろ。俺はお前をぶん殴りに行く」

「仕方ないか……だが、お前とは始めから破談になると思ってたよ――だがモエク……ハッキリとわかったよ。あんたは俺に力を貸してくれそうだ」

「ん?」

 二人の言い合いを話半分に聞き流しながら、冷め始めたダージリン・ティーを飲んでいたモエクが、いきなり呼ばれて、ティーカップを持ったまま眉を上げた。

「どこらへんで、僕がお前さんの味方になると判断したんだ? 僕自身は、もうお前さんと話したくないと感じているのに」

「すぐ、気づくさ。あんたは変わる。必ずな」

「おかしいね、僕はお前さんと組むのだけはお断りだ。やるなら、もうちょっと他人の命を巻き込まない方法を考えるね」

 割れた黒曜石のようにするどいモエクの眼光と、タクマスの超然とした視線がぶつかり合う。

 そのまま数秒が流れたが――先に折れたのは、タクマスだった。

「……俺は、待っているからな」

 話も終わったとばかりに、タクマスは席を立ち、オパールのドアベルを静かに鳴らして帰っていった。

「……ふん、気に入らん奴だ!」

 ゴンゲンがいらだたしげに、タクマスの去ったドアに悪態をついた。

「しかしタクマスの奴……何か切り札でもあるのか?」

 モエクは取りまして、感想を述べた。

「切り札? どういうことだ」

 ゴンゲンがたずねる。

「いや……最終的にはエノハに暴動を起こすんだろうが……あの塔はセキュリティの怪物だ。徒党を組んだからといって、丸腰でエノハの塔は攻略できないはずなんだ。彼の使っていた単語を借りるなら、石槍で戦闘機と戦うようなものだ。たとえ、タクマスが命を投げうって、セントデルタ人の気持ちを反乱に集中させたとしても、結果は変わらない。いくら彼の情熱が強くても、死後のカリスマが輝こうとも、石槍はレーザー銃にかなわないからだ。ここセントデルタの元あった国では、精神さえ鍛えあげれば、どんな戦争にも勝てると考えていたようだが、それに似てるね」

 モエクはそこで天井をあおいだ。

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