112.black or white

 一週間後。

 カーネリアン・ファイアオパール通りに面するタクマスの自宅は(旧代の多くの個人商店などがそうだったように)仕事場と兼用である。

 4階建ての建築物のうち、最上階のみがタクマスの家で、残りは社員の仕事場となっている。

 セントデルタ新聞社。

 12人の従業員をともなう、セントデルタとしては大きな会社で、したがって大きな間取まどりをようしていた。

「タクマス、お帰りなさい」

「社長、お疲れ様です」

「ごくろうだね」

 一階オフィスで、記事を活版かっぱん印刷にかける従業員たちと、そんな言葉をかけあいながら、タクマスは3階執務室で小さな事務を終えたのち、その会社の地下室へと向かった。

 この家は100年前、ラストマンの襲撃を受けた直後に建築されたもの。

 ラストマンと戦い、籠城ろうじょうし、そして打ち勝つための拠点として用いるべく、ここに地下室が掘られたのである(もしもラストマンが本当に襲いかかってきたとしたら、この程度の地下室では、たいした戦果は上がらなかっただろうが)。

 今は篭城戦など出番はないから、この地下室はただの倉庫として用いられている……と、タクマス以外の社員はそう認識していた。

「どうだ、アイリッド」

「あっっ、タクマスさん~」

 細身の男が、桐の地下室扉の施錠せじょうをしているところで作業を中断して、タクマスと向き合った。

 アイリッドと呼ばれた男は、高音な声のために、優しそうではあったが、何となく頼りなげな印象もただよっていた。

 猫背であることも、そのマイナス印象を助長していた。

 アイリッドは、ふだんは農夫として生活しているが、たまにここで地下室の倉庫整理を手伝っている……ということになっている。

「進展はありません……今もヨタンさんが『仕事』してる最中です」

「俺も会いに行ってみるよ」

「でもタクマスさん、あそこは、え~とその……」

「なんだ、ハッキリ言え」

「臭いですから……タクマスさんは来られないほうが良いんじゃ……」

 アイリッドが心細げにたしなめる。

「匂いなんぞどうでもいい。お前も来い、アイリッド」

 タクマスはアイリッドの返事など待ちもせず、ふところからマスターキーを取り出すと、アイリッドが閉めたばかりの鍵を開けてから、さっさと先に見える階段を進んだ。

「タクマスさんん~~っ」

 アイリッドはあわてた様子で、タクマスの背に追従してくる。

 その地下室への階段は長く、しばらく降りてから突き当たりに行くと、二手に道が分かれていた。

 暗いはずの道のりには、壁掛けのオーソクレース(黄色の宝石)の燭台しょくだいがところどころに掛かっていて、足元をほんのりと照らしていた。

 元々、この地下通路もラストマンとの決戦を想定したものだからか、空調はないに等しく、空気はねっとりと湿気に満ちて、カビ臭かった。

 タクマスは突き当たりを迷いもせずに右に折れると、その先に現れたオレンジダイヤの扉と向かい合った。

 タクマスがその目の前の重い扉を押して中へ入ると、そこでまず、ひどい血の匂いが鼻腔びこうを刺激してきた。

 それから、人間が身体から出す、さまざまな汚物の刺激臭も。

 部屋は燭台の光によってわずかに照らされており、なんとか部屋全体の状況が読み取れた。

 明かりの下には、二人の人物が写っていた。

 一人はタクマスの部下ヨタンという、筋肉質な男。

 そして、そのヨタンがうろうろする中心に、一人の男がうしろ手にされた状態で、椅子に縛り付けられていた。

 その男は顔(おもに口)が血まみれで、全裸にされた有様ありさまで椅子にくくりつけられていたのである。

 そばの四脚テーブルには、黒ずんだ血のついたエメラルドのペンチと、黒曜石の包丁にダイヤモンドのノコギリ。おそらくその男のものだろう、切り取られた指が二本、置かれていた。

 ――人権蹂躙じゅうりんの最たる行為、拷問ごうもんである。

 その拷問のき目にあっている男には、ひとつ、際立った特徴があった。

 セントデルタ人にはない――白肌だったのである。

「おお、タクマス……来たか」

 男をにらみながら歩き回っていた男が、タクマスの到来に気づくと、無邪気なほど明るい声をあげた。

「うまくいっていないようだな、ヨタン」

「なかなか口を割らないんだわ、こいつ」

 そう語ったヨタンが、くるりとダンスでも刻むように身体を一回転させた。

 と、思ったのもつかの間、次には回し蹴りを、この白肌の男の頬に叩き込んでいた。

「グゥっ!」

 男はうめきながら、くくりつけられた椅子ごと、ぬめった石床に横倒しになっていった。

「……話す気にならないのか? 旧代の生き残りよ」

 ヨタンに転がされた白肌男のもとへ、タクマスが近寄って、その耳元に話しかける。

「は、な、す……?」

 男は寝そべったまま、ぶるぶると震えながら、見下ろすタクマスを睨んだ。

「しらばっくれるな。薄弱なる旧代人が、群れずに生きられるはずがない。お前の、他の、仲間はどこだ」

 印を踏みながら、当てつける口調でタクマスが語った。

「だから、それは……言いがかりだ……俺は肌が白いだけの、セントデルタの住民だよ」

「嘘をつけ。こんな肌のセントデルタ人がいれば、すぐに噂になる」

「旧代に、生きていたという……マイケル・ジャクソンという人物を……ゴホッッ……知らないのか? ギネス記録を打ち立てた歌手だが…………尋常じんじょう白斑はくはんって、病気にかかって……白くなった黒人だよ」

「マイケル・ジャクソンなら知ってるよ。彼はその病気を、生きている間はほとんど誰にも信じてもらえなかったな。君も同じだというわけか…………なるほどなるほど……なるほどね」

 タクマスはニコニコと相槌あいづちを打っていたかと思うと――いきなり、とがった黒曜石の千枚通しを、白人男の手の甲に突き立てた。

「ウガッ」

 白人のほうは、脂汗あぶらあせをブワっと顔中に染み出させたが、けっしてそれ以上に唸り声を出しはしなかった。

「悲しいな。俺が例えば君にケンカに負けたあとで、その言葉を聞かされたら信じたかもしれないが、残念ながらそうではない。

 いくら御託ごたくを並べようとも、信じる信じないは俺だけが持つ権利だし、今の君の状況では、何を喋っても嘘にしか聞こえないんだよ」

 タクマスは傷をえぐりながら、白人男のそばへ顔を近づけた。

「お前の名は? 住所は? 年齢は? 経歴は? 近所の友人の名は? 何ひとつ答えられまい。それが証拠なんだよ」

 タクマスは白人男から千枚通しを抜き放し、立ち上がると、その器具を横に立つ木製の四脚テーブルに置いた。

「セントデルタの外に、水爆の男フォーハードを産んだ蛮族ばんぞくがのさばり、徘徊はいかいし、ここを狙っているのは間違いない。その居場所を吐け。奴らの頭の中は戦争と侵略と保身だけだ。攻められる前に攻める必要がある。そして、奴らの技術は俺たちに今、必要なんだ」

「エ……エノハ様に進言すれば、いいだろう。なぜ、そんな空想論を……地下室でぶちまけている」

 白人男は、震える首をもたげてタクマスを見上げながら、ゆっくり語った。

「奴は専制君主だ、人の意見なぞに耳を貸しはしない」

「エノハ様が…………専制……君主? 彼女がそうなら……お前は5歳になる前に、殺されているよ」

 息もえに、白肌男はそう反論する。

 そのとたん、横たわるその白肌男の頭が、激しく、何度も踏みつけられた。

 ただし、踏みつけているのは、タクマスではなかった。

 先ほどまで扉のそばで泣きそうにしていた、アイリッドだった。

「この蛮族め! ばんぞく! ばんぞくぅっ! キィーヒャアーーっ!」

 アイリッドは発狂したように、細身の身体をじたばたとさせながら、白肌男の顔面に、なんども蹴りを加えていた。

 この気弱なアイリッドだけでなく、ヨタンや……いや、理知的なはずのタクマスまでが、みな、異様な高揚こうように顔を染めていた。

 タクマスもそれを止めるばかりか、脚をうしろに振りかぶって、白肌男のみぞおちを蹴った。

「ゲフッ!」

 白人男はさすがにそれにはき込んだ。

 そのさなかに、調子に乗りながら男の頭を踏みつけるアイリッドを、タクマスが少し乱暴にどかせて、再び男のそばにしゃがみこんだ。

 そしてタクマスは、白人男の血まみれの、れた頭を片手で持ち上げ、耳元でささやいた。

「お前の名前を知りたい。まずは、そこから仲良くしようじゃないか」

「……お…………俺は……名もなきセント……デルタのじゅうに……グブッ」

 最後まで言い切ることもできず、そこでまた男はタクマスの空いた手に殴られ、身体を地面に落とされた。

「明日は、お前のどれか一本の指が、お前の身体から離れていくことになる。愛おしんでおくことだな……行くぞ、ヨタン、アイリッド」

 タクマスは立ち上がると、椅子にいましめられたまま転がる白人男をほうって、その場を後にしていった……。

 その足音が響かなくなってから、白肌男は大きく咳き込んだ。

「ゲフッ……かはっ……失敗した……本当にこれは……潜入失敗だ…………」

 白肌男は、心底、自分の軽挙を後悔していた。

 ――男の名は、ゴドラハン。

 500年前、フォーハードが破滅させた世界で、再建方法をめぐってエノハと争い、破れ、そして背徳はいとくの象徴に祭り上げられた人物である。

 ただし、ここに今、とらわれているのは、ゴドラハンの独白するように、軽挙のためではない。

 この数週間、セントデルタはかなり乱れていた(ゴドラハンはいくつも隠れ家を用意しており、その全てに望遠鏡でセントデルタを監視できるようにしてあるから、こういう情報は、すぐに見つけ出せるのである)。

 500年間にわたるエノハの支配で、これほどの混乱は一度もなかった。

 2年前のラストマン襲撃でさえ、まだ秩序は保っていたが、今回はその時以上にすきだらけになっていたのである。

 セントデルタにとって大いなるきょを正確に突いたのだから、これが軽挙であるはずがなかった。

 しかもゴドラハンは、長い時間をかけて、いくつもの準備もしていた。

 その内で今回、ゴドラハンが選んだ方法は、地下に穴を掘って、セントデルタおよびアレキサンドライトの塔に肉薄し、エノハの首を取る、という作戦だった。

 穴はかねてから、セントデルタの地表ギリギリまで掘っていたから、すぐに侵入することができた(ちなみにゴドラハン自身はこれを『ボストークの光作戦』と呼んでいた。南極氷床の約3600メートル下にある氷底湖ボストークの調査方法にちなんだものだ。この湖は1998年に発見されたものだが、調査にあたっては、慎重を期しておこなわれた。掘削機によって氷のトンネルを開通させる直前のところで、2012年まで、わざと穴を開けきらずに止めていたのだ。こちらの理由は、掘削ドリルや空気中に漂う地上の微生物が、50万年にわたって地表からも海からも完全に隔絶された、謎の生態系に満ちているであろうボストーク湖に、どんな影響を与えるか、判明しなかったからだ)。

「何十年とかけた……この作戦が…………まさかこんな簡単にくずれ去るなんてな……」

 ゴドラハンは椅子にくくりつけられた身体を、立ち上がらせようとしたが、それがかなわず、再び石床に倒れこんだ。

 ゴドラハンがこんな目にあっている理由は、しごく単純だ。

 深夜3時に、満をしてセントデルタの空き家下に穴をうがち、侵入した矢先、たまたまそこで密談をしていたタクマスたちに見つかってしまったのである。

 ロナリオがいれば、赤外線カメラやソナーなどで、あらかじめ穴の向こうの気配を察知できたはずなのだが、そのロナリオはセントデルタに侵入を果たして以降、なんの音沙汰おとさたもなし。

 チャンスを活かすには、ゴドラハンは『開通させた穴のそばに誰がいるかわからないが、運だけを頼りに断行する』という、普段はやらないけに挑むしかなかったのだが……それは無残に裏目に出たわけである。

 かくしてゴドラハンは、穴から侵入を果たしたところで、ヨタンによって、うしろからいきなり椅子で殴りつけられ、気絶させられた後は、どうもこのタクマス家の地下に縛り付けられたらしい。

 捕縛ほばくを受けて初日の1時間は、看守長を気どるタクマスにしても、その小間使いのヨタンやアイリッドにしても、拷問どころか質問も及び腰だったが……それは1時間だけだった。

 きっかけはタクマスが『何が何でもそいつから情報を聞き出せ』と、ヨタンとアイリッドに命じたことだった。

 それからは、タクマスから少しでも栄誉を受けるためなのか、金のためなのか、自らの功名こうみょうのためなのか、始めにヨタンのほうから、大きな声でわめき散らしながら詰問きつもんが繰り返されるようになった。

 細身でどもり声のアイリッドのほうは、この初日はまだ、自分のおこないを恥じているところがあったが、タクマスが旧代にあった民族虐殺ぎゃくさつの話を一つ披露しただけで、少しずつ心の内の残虐さを完成させていった。

 ――スタンフォード監獄実験。

 西暦1970年、スタンフォード大学の地下に設けられた手作り牢獄で起こった、凄惨せいさんな虐待事件である。

 実験期間2週間、一日15ドルという触れ込みで、学生を集めて行われた実験だが、いざ始めてみれば、あまりにも残酷な状況が生み出されたために、1週間で中止されることになった事件である。

 その内容はというと、学生を無作為に看守と囚人に分けてみるとどうなるか(当初、実験参加者の全員が『囚人』をやりたがった)、といったものだったが、なんと、初日から無意味な虐待が呈された。トップによって『暴力は厳禁』と戒められていたから、暴行だけはおこなわれなかったが、それ以外のハラスメントは時間を問わず繰り返された。

 日を追うごとに看守は横暴に、囚人は従順に、無気力に、無思考になり、これらに携わるものさえ、その異常さに取り込まれていったのである。

 スタンフォード監獄実験を発案し、実行に移した大学教授フィリップ・ジンバルドーは、2003年のアブグレイブ刑務所での捕虜ほりょ虐待(イラクのアブグレイブ刑務所で、捕虜を日常的に裸にしたり殴りつけている事件。動画まで撮影していた)や、ルワンダでの大虐殺(アフリカ・ルワンダで多数を占めるフツ族が、少数派のツチ族を虐殺し、強姦まで暫定政府が許容した事件。しかも強姦を陣頭指揮していたのは、元来、性犯罪には拒絶反応を示しやすいはずの、女性だった)とも類似るいじしている……とも語っている。

 まさにタクマスたちの精神状態は、これにそっくりだ……と、ゴドラハンは朦朧もうろうとした意識で分析していた。

「たしかに他人とは不気味なものだ……何を考えているかわからない……それに加えて、俺たち旧代人間は、戦争と金儲かねもうけしかしてこなかったばかりにフォーハードを生み、首を絞められて殺された愚劣な種族と……セントデルタ人に教えられている……。

 そんな悪党には、何をしても良いという結論になるのは必定だ…………。

 ここはピラニアの住処だ……仲間は食わないが、形が違えば食い殺す……そんな場所に入り込んで、こうならないわけが……なかったんだ…………」

 ゴドラハンはそこでまたき込み、大量の喀血かっけつを地面にほとばしらせた。

「誰だったか……人間から凶暴な精神を取り去ることは、不可能だと言ったのは……」

 ゴドラハンはさらにつぶやいた。

「ロナリオ……お前は無事なのか…………」

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