113.コンタクト

 さらに3日後。

 ファノンは仕事を休んで、ひとり、クリルの使っていたベッドに、その身を投げ落としていた。

 ――あ! ファノン! 男臭くなるから、あたしの布団に寝ないでよ! もうヤダきも! しね!

 もしかしたら、クリルがそう叱りに来てくれるような気がしたが……30分経っても1時間経っても、そんなことは起こらなかった。

 その事実が、ファノンをことさらに悲しみに落とし込む。

 泣き疲れては寝て、思い出しては泣き、見るもの、嗅ぐもの、触るものにクリルの影を見つけては、また泣く。

 葬儀の忙しさから解き放たれてから、ずっとファノンはこうだった。

 この家にはもはや、メイもいない。

 なぜなら、メイは町長就任をきっかけとして『町長の家』へと引っ越したからだ。

 このことも、ファノンを沈ませる要因になっていた。

 実のところ、メイが町長になることは、かなり以前から決まっていたらしい。

 だからファノンがどれほど、この水色のシーツに身体をうずめていようとも、どうこう文句をぶつける人間はいない……はずだった。

「こら、ファノン!」

 にわかに、ズバンッと乱暴な音を立てて、桜木の扉が開いた。

 ファノンがビクリとして首をあげると、そこには、メイがいた。

「メイ……? どうしてここに」

 ファノンはうつ伏せに寝そべったまま、訝りの表情を浮かべた。

 今のメイは町長として、慣れない執務に追われ、寝る暇もないほどの忙しさ。

 こんな所に来て時間を浪費している余裕は、いまのメイにはないはずなのだ。

「お前に用があるからに決まってんだろデブ……居間にも部屋にもいないと思ったら、ここかよ変態。この家に来客が何度もあったはずだが、誰もいなかったと言って、町長の私のところまで来たぞ。居留守なんかして、何をやってるのかと思えば、未練がましくオネーチャンの匂いを嗅いでたのかよ」

「うるさい、ほっとけよ」

 ファノンはボフッと音をさせて、再びクリルの枕に顔をつっこんだ。

「ほっとけねぇよ。今のお前、ただのシスコンみたいだぞ」

「ああ、俺はシスコンさ。それも無力な、役立たずのシスコンだ。クリルが好きで仕方なかった。

 仕方なかったのに、好きだとも愛してるとも伝えられないまま、生と死に別れることになった。

 何であいつが闇に帰る? 今からでも俺とあいつの命を交換してくれよ……超弦の力なら、そういうこともできるはずなんだけど、俺がバカなせいで、その方法がわからないでいるんだ」

「ファノン……あのな、私はお前のウジムシ理論をまじめに聞くために来たんじゃない。クリルさんが生きていれば、どんな言葉をお前にぶつけるかはわからない。だが、今のお前を見ても、褒めることはないだろうさ。それとも、私が褒めてやろうか? 良いヘコみっぷりだ、これからもそのヘコみっぷりを続けて下さい、と」

「……」

「お前はクリルさんを失った。だが、それは私にとっても同じだ。私はクリルさんに町長になることを望まれたから、いま意地になって続けてる。クリルさんに託されたからだ……きっと、私ならうまくやると信じてくれたはずだ。お前にもあるだろ。クリルさんから受け継いだものが。5年も一緒だったんだ。ないとは言わせねぇぞ」

「メイ…………」

 ファノンはそこでやっと、毒舌どくぜつを吐き散らかすメイの顔を見据えてみてから、気づいたことがあった。

 メイの瞳は、真っ赤に染まっていたのだ。

 その視線を受け止めたメイは、自分の目がどんなふうになっているか想像できたのだろう、ふいっとまなざしを天井に逃がした。

「私だってギリギリなんだ。お前もヤセ我慢がまんの一つくらい、やってくれよ」

「…………ありがとな、お前はいつも、俺を助けてくれるよ」

「助ける気なんかねぇよハゲ」

 メイはそこで口をとがらせて悪態をついた。

 しかし今度は、赤いのは目だけではなかった。

「……あー、そもそも私は、別件でここに来たんだ。お前にお客さんを連れてきた。ちったぁ叱られてからでないと、お前の頭じゃついてけないからな、良い発破になったろ」

「そういえば、来客がどうのって言ってたな……」

 ファノンはやっとベッドから身体を上げて、座り込む姿勢になった。

「……どうなんだ、会えるか?」

「2年後の冬まで忙しいって伝えといてくれ……ってのは、俺たちの場合、通じないよな」

「それじゃあ、僕の寿命が尽きてしまうよ」

 メイの背後から声が上がったかと思うと、そこから柳のようにひょろりと細長い男、モエクが現れた。

「モエク……? メイ、会わせたい人間っていうのは、モエクのことか?」

「違う。会わせたい人間がいるのは、モエクらしい」

 メイが簡単に付言すると、モエクが前に進み出てきた。

「単刀直入に言うぞ、ファノン……今ここに、ロナリオが来ている」

「ロナリオ? なんでその名をお前が……まさか」

「彼女は今、僕の家にいる。もっと早く、お前さんとコンタクトを取りたかったんだがね……混乱が治まらないうちにクリルが死んだりで、なかなか果たせなかった。

 彼女もお前さんに会いたがっているが、世間の事情と……何よりも彼女自身が動けないから、お前さんのほうから来てほしい」

「ロナリオが……生きてたんだ……」

 ファノンは安堵した。

 ゴドラハンとロナリオの生死は、ずっと頭の片隅で気になっていたことだった。

 あのTNTダイナマイト爆破の日から、まったく音信がなかった2人。

 それが生きていると知って、少しなりとも、消耗したファノンの心はなぐさめられた。

「彼女に会ってくれるね? 僕自身のためにも、二人には話し合ってほしいんだ」

 モエクの言葉に、ファノンが頷かないわけがなかった。

「彼女とは、メイとも会わせておきたい。君も行ってくれるね?」

「誰だよその人は」

 メイがたずねる。

「賢い君に隠してもしょうがないから言うが……彼女を一言で表すなら、セントデルタの敵かもね。ただし、一度会っておくべき人物なのは間違いない」

「敵だと? 私は町長だぞ。私たちに実害があるなら、すぐさまエノハ様か自警団に通報する義務があるのに、なぜ私とその人を会わせようとする」

「だからこそ、だよ。君がヒラの町民だったら、こんな提案はしなかった。前から言ってるが、僕はセントデルタの風習を終わらせたい。だけどそのためには、賭け事もいくらかしなくてはならないんだ。君が彼女のことを気に食わないと叫んで通報すれば、僕の夢と人生も終わるが……いま思いつくのは、これぐらいなんだ」

「そんな話を最初にされたら、人情として通報しにくくなるに決まってるだろ。卑怯な奴め」

「見抜かれたかい、さすがだね。で、ロナリオと会ってくれるかい?」

 モエクはメイに結論だけをうながした。

 この時、ファノンもメイも、気づかなかったことがある。

 普段からは考えられないほど、モエクが強引だということに。

 モエクは本来、どのような決断も、当人自身におこなわせるタイプで、そこに行き着くまで辛抱強く待つ性格である。

 そのはずなのに、モエクは今回、かなり性急に返事を求めたことになる。

 ――モエクは、何かを焦っている……。

 この事実を、この時点では、ファノンもメイも、悟ることができなかった。

「仕方ねぇな……だけど、私は自分のセンスに照らし合わせて、本当にやばい奴と判断したら、すぐ帰るからな」

「ありがとう、メイ……じゃあ僕は出かけてくるから、そっちは任せたよ。僕は別に行くところがあるから」

 そう言うとモエクはにわかに、背をひるがえした。

「おい、一緒に行くんじゃないのかよ」

「流れからして、普通はお前も同伴するもんだろ」

 ファノンとメイが驚いたようにモエクを呼び止める。

 だがモエクのほうは、首を少しかしげただけで、振り向きもしなかった。

「今日、絶対に行かないといけない場所があるんだ。相手のことを考えて、かなり時間を置いたつもりなんだが、正直、そのおかげでリミットは過ぎてるかもしれないんだ。

 だから内心やきもきしててね……悪いけど、僕はそっちを片付けさせてもらうよ」

 そこでやっとモエクは振り返った。

「ああそうだ。今日、アエフも初めてロナリオと掛け合わせてみたんだ。あの子も不安がってるかもしれないから、早めに僕の家に向かってくれよ」

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