さらに3日後。
ファノンは仕事を休んで、ひとり、クリルの使っていたベッドに、その身を投げ落としていた。
――あ! ファノン! 男臭くなるから、あたしの布団に寝ないでよ! もうヤダきも! しね!
もしかしたら、クリルがそう叱りに来てくれるような気がしたが……30分経っても1時間経っても、そんなことは起こらなかった。
その事実が、ファノンをことさらに悲しみに落とし込む。
泣き疲れては寝て、思い出しては泣き、見るもの、嗅ぐもの、触るものにクリルの影を見つけては、また泣く。
葬儀の忙しさから解き放たれてから、ずっとファノンはこうだった。
この家にはもはや、メイもいない。
なぜなら、メイは町長就任をきっかけとして『町長の家』へと引っ越したからだ。
このことも、ファノンを沈ませる要因になっていた。
実のところ、メイが町長になることは、かなり以前から決まっていたらしい。
だからファノンがどれほど、この水色のシーツに身体をうずめていようとも、どうこう文句をぶつける人間はいない……はずだった。
「こら、ファノン!」
にわかに、ズバンッと乱暴な音を立てて、桜木の扉が開いた。
ファノンがビクリとして首をあげると、そこには、メイがいた。
「メイ……? どうしてここに」
ファノンはうつ伏せに寝そべったまま、訝りの表情を浮かべた。
今のメイは町長として、慣れない執務に追われ、寝る暇もないほどの忙しさ。
こんな所に来て時間を浪費している余裕は、いまのメイにはないはずなのだ。
「お前に用があるからに決まってんだろデブ……居間にも部屋にもいないと思ったら、ここかよ変態。この家に来客が何度もあったはずだが、誰もいなかったと言って、町長の私のところまで来たぞ。居留守なんかして、何をやってるのかと思えば、未練がましくオネーチャンの匂いを嗅いでたのかよ」
「うるさい、ほっとけよ」
ファノンはボフッと音をさせて、再びクリルの枕に顔をつっこんだ。
「ほっとけねぇよ。今のお前、ただのシスコンみたいだぞ」
「ああ、俺はシスコンさ。それも無力な、役立たずのシスコンだ。クリルが好きで仕方なかった。
仕方なかったのに、好きだとも愛してるとも伝えられないまま、生と死に別れることになった。
何であいつが闇に帰る? 今からでも俺とあいつの命を交換してくれよ……超弦の力なら、そういうこともできるはずなんだけど、俺がバカなせいで、その方法がわからないでいるんだ」
「ファノン……あのな、私はお前のウジムシ理論をまじめに聞くために来たんじゃない。クリルさんが生きていれば、どんな言葉をお前にぶつけるかはわからない。だが、今のお前を見ても、褒めることはないだろうさ。それとも、私が褒めてやろうか? 良いヘコみっぷりだ、これからもそのヘコみっぷりを続けて下さい、と」
「……」
「お前はクリルさんを失った。だが、それは私にとっても同じだ。私はクリルさんに町長になることを望まれたから、いま意地になって続けてる。クリルさんに託されたからだ……きっと、私ならうまくやると信じてくれたはずだ。お前にもあるだろ。クリルさんから受け継いだものが。5年も一緒だったんだ。ないとは言わせねぇぞ」
「メイ…………」
ファノンはそこでやっと、
メイの瞳は、真っ赤に染まっていたのだ。
その視線を受け止めたメイは、自分の目がどんなふうになっているか想像できたのだろう、ふいっとまなざしを天井に逃がした。
「私だってギリギリなんだ。お前もヤセ
「…………ありがとな、お前はいつも、俺を助けてくれるよ」
「助ける気なんかねぇよハゲ」
メイはそこで口をとがらせて悪態をついた。
しかし今度は、赤いのは目だけではなかった。
「……あー、そもそも私は、別件でここに来たんだ。お前にお客さんを連れてきた。ちったぁ叱られてからでないと、お前の頭じゃついてけないからな、良い発破になったろ」
「そういえば、来客がどうのって言ってたな……」
ファノンはやっとベッドから身体を上げて、座り込む姿勢になった。
「……どうなんだ、会えるか?」
「2年後の冬まで忙しいって伝えといてくれ……ってのは、俺たちの場合、通じないよな」
「それじゃあ、僕の寿命が尽きてしまうよ」
メイの背後から声が上がったかと思うと、そこから柳のようにひょろりと細長い男、モエクが現れた。
「モエク……? メイ、会わせたい人間っていうのは、モエクのことか?」
「違う。会わせたい人間がいるのは、モエクらしい」
メイが簡単に付言すると、モエクが前に進み出てきた。
「単刀直入に言うぞ、ファノン……今ここに、ロナリオが来ている」
「ロナリオ? なんでその名をお前が……まさか」
「彼女は今、僕の家にいる。もっと早く、お前さんとコンタクトを取りたかったんだがね……混乱が治まらないうちにクリルが死んだりで、なかなか果たせなかった。
彼女もお前さんに会いたがっているが、世間の事情と……何よりも彼女自身が動けないから、お前さんのほうから来てほしい」
「ロナリオが……生きてたんだ……」
ファノンは安堵した。
ゴドラハンとロナリオの生死は、ずっと頭の片隅で気になっていたことだった。
あのTNTダイナマイト爆破の日から、まったく音信がなかった2人。
それが生きていると知って、少しなりとも、消耗したファノンの心はなぐさめられた。
「彼女に会ってくれるね? 僕自身のためにも、二人には話し合ってほしいんだ」
モエクの言葉に、ファノンが頷かないわけがなかった。
「彼女とは、メイとも会わせておきたい。君も行ってくれるね?」
「誰だよその人は」
メイがたずねる。
「賢い君に隠してもしょうがないから言うが……彼女を一言で表すなら、セントデルタの敵かもね。ただし、一度会っておくべき人物なのは間違いない」
「敵だと? 私は町長だぞ。私たちに実害があるなら、すぐさまエノハ様か自警団に通報する義務があるのに、なぜ私とその人を会わせようとする」
「だからこそ、だよ。君がヒラの町民だったら、こんな提案はしなかった。前から言ってるが、僕はセントデルタの風習を終わらせたい。だけどそのためには、賭け事もいくらかしなくてはならないんだ。君が彼女のことを気に食わないと叫んで通報すれば、僕の夢と人生も終わるが……いま思いつくのは、これぐらいなんだ」
「そんな話を最初にされたら、人情として通報しにくくなるに決まってるだろ。卑怯な奴め」
「見抜かれたかい、さすがだね。で、ロナリオと会ってくれるかい?」
モエクはメイに結論だけをうながした。
この時、ファノンもメイも、気づかなかったことがある。
普段からは考えられないほど、モエクが強引だということに。
モエクは本来、どのような決断も、当人自身におこなわせるタイプで、そこに行き着くまで辛抱強く待つ性格である。
そのはずなのに、モエクは今回、かなり性急に返事を求めたことになる。
――モエクは、何かを焦っている……。
この事実を、この時点では、ファノンもメイも、悟ることができなかった。
「仕方ねぇな……だけど、私は自分のセンスに照らし合わせて、本当にやばい奴と判断したら、すぐ帰るからな」
「ありがとう、メイ……じゃあ僕は出かけてくるから、そっちは任せたよ。僕は別に行くところがあるから」
そう言うとモエクはにわかに、背をひるがえした。
「おい、一緒に行くんじゃないのかよ」
「流れからして、普通はお前も同伴するもんだろ」
ファノンとメイが驚いたようにモエクを呼び止める。
だがモエクのほうは、首を少しかしげただけで、振り向きもしなかった。
「今日、絶対に行かないといけない場所があるんだ。相手のことを考えて、かなり時間を置いたつもりなんだが、正直、そのおかげでリミットは過ぎてるかもしれないんだ。
だから内心やきもきしててね……悪いけど、僕はそっちを片付けさせてもらうよ」
そこでやっとモエクは振り返った。
「ああそうだ。今日、アエフも初めてロナリオと掛け合わせてみたんだ。あの子も不安がってるかもしれないから、早めに僕の家に向かってくれよ」