116.街頭演説

 翌日の夕方もまた、ダイヤモンド中央広場はかまびすしかった。

「エノハ様はセントデルタをお守りになることを飽きておられる! そんなお方に王位を持たせていいのか?

 フォーハードの持ち込んだ騒乱によって、人々は家族を失い、子を亡くし、友を身罷みまかり、残ったものはその喪失感にあえぐ。ツチグモ襲来のおり、エノハ様は何をなさった? 腕の武器が壊れていたからと言って、アレキサンドライトの塔へこもられてしまっていたではないか。

 結果として、フォーハードの暴虐ぼうぎゃくを許し、干渉を見過ごし、むざむざと命を供物くもつにしたのだ。エノハ様の無力を、俺たちは是としていいのか!」

 セントデルタ新聞社の記者ヨタンが、そまつな杉の壇に登って、気炎を吐いていた。

 それを聞く聴衆は8人ほど。

 ヨタンの扇動に足を止める人々は少ないが……それでも、いるにはいるわけである。

 そしてこの街頭演説は、セントデルタのあちこちで、同時多発的におこなわれていたから、じっさいに効果を表しているのは、もう少し多いはずだ。

 この有様は、数ヶ月前にはありえなかったことだった。

 ――また、やってるのか。

 仕事を終えて、ルビー・ガーネット通りを戻るさなか、ファノンはその演説を通りすがりに見つけていた。

 そのまま帰ろうかどうか考えあぐねていたが、演説者が知人であるヨタンだと気づいたファノンは帰宅を中断し、そちらに近づくことにした。

 そもそもファノンにとってエノハは命の恩人であり、母であり、預かり親であり……クリルを出会わせてくれた、大事な人。

 その悪口を、これほどおおっぴらに、目立つ場所でされて、気にならないわけがなかったのである。

「おいヨタン」

「ファノンか、少しは元気が出たな」

 ヨタンは演説をやめて、壇下から見上げるファノンを見下ろした。

「何をやってる。エノハ様を責めて、俺たちに何の得があるんだ?」

「エノハ様はフォーハード襲来のおり、なんの対策も講じなかったばかりか、ツチグモ擾乱じょうらんの時にも、いっさい手を貸して下さらなかった。俺はそれが問題だと指摘してるのさ。何か間違ってるのか?」

「エノハ様が何もしなかったのは、事情があるんだろ。当人がいない場所で吠えていても解決しない。まずはエノハ様に直訴じきそに行けば良い話だろ」

「クリルならそうするだろう。だが、クリルが何を変えた? 問題提起はしたが、何一つ変わりはしなかった。それはエノハ様が、人の意見を聞くふりをして、実質、何も変えなかったためだ。闇へ帰命したクリルが教えてくれたのは一つだ。体制は言葉では何も変わらない、とな。

 変わるのは体制でもエノハ様でもなく、俺たち自身なんだよ。そうしない限り、セントデルタはこれからもセントデルタのままだ」

「それは……」

 ――それは甘えだ。

 ――けっきょく、民衆に優しいエノハ様の人格を知り尽くしてるから、これだけ街中で騒いでも、エノハ様は許してくれるとタカをくくってるんだ。

 ――旧代には、政府の悪口を言うだけで死刑になる時代や国が、たびたび存在した。

 ――タクマスたちが、その時代や場所でも、声高こわだかに叫ぶことができるなら、勇者に違いないが……ここセントデルタに、そんな人物がどれほどいるだろうか。

 ――人々の多くは、ふつう、圧政に膝を屈するんだ。

 ――これは内紛でも議論でもない。甘えん坊の自己満足だ。

 ――それに。

 ――それに、エノハ様がフォーハードと密約をしてることは、セントデルタの人々に教えるべきじゃないが……この密約のために、エノハ様がどれだけ心を痛めたのか、お前ら……いや、俺たちぬるま湯の人種が、し量れるわけがないだろ。

「……っ」

 ファノンは喉から出そうになったその言葉を、語らずに飲みこんだ。

 自分がエノハとフォーハードの密約を暴露ばくろすれば、それこそ人々はタクマスにきつけられやすくなるからだ。

 ――やはりツチグモに対策をとらなかったのは、フォーハードとの密約が大事で、人命は二の次だったのだ……と、タクマスはそう吹聴ふいちょうするだろう。

 じっさい、エノハは確かに、人命よりも密約を重視している。

 だがそれで多くの人間を守っているのも、事実なのである。

 そこを分かっているファノンには、人々に真実を伝えることが正しいかどうか、この時点では判別できなかったのである。

「ほれ、言い返せまい。エノハ様のリーダーシップは地に落ちてるんだよ。俺はこのことを、もっと多くの人々に伝える義務がある。早く帰りな」

「……っ」

 沈黙する間に押し切られた格好のファノンは、もはや、ほぞをむしかなかった。

 そして、ファノンがやるせなさに小さく震えていると、だった。

「ん、ファノンじゃないか」

 にわかに、背後から声がかかった。

 ファノンが疲弊ひへいした表情で振り返ると、そこにはこの騒動の元凶、タクマスが立っていた。

「タクマス」

「この演説が気に入らないのは、お前の経歴を少しでも知っていれば、想像もつくさ。すまなかったな」

 タクマスは会釈えしゃくかというような、小さな動作で頭をさげたのち、すぐに話題を切り替えた。

「ここでは俺のファンが多いからな、少し歩きながら話さないか……そう、お前とクリルの好きだった、ポワワワンの川まで行きながら、な」

 そう一人で語ったタクマスは、ファノンの返事など待たず、歩き出していった……。

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