翌日の夕方もまた、ダイヤモンド中央広場はかまびすしかった。
「エノハ様はセントデルタをお守りになることを飽きておられる! そんなお方に王位を持たせていいのか?
フォーハードの持ち込んだ騒乱によって、人々は家族を失い、子を亡くし、友を
結果として、フォーハードの
セントデルタ新聞社の記者ヨタンが、そまつな杉の壇に登って、気炎を吐いていた。
それを聞く聴衆は8人ほど。
ヨタンの扇動に足を止める人々は少ないが……それでも、いるにはいるわけである。
そしてこの街頭演説は、セントデルタのあちこちで、同時多発的におこなわれていたから、じっさいに効果を表しているのは、もう少し多いはずだ。
この有様は、数ヶ月前にはありえなかったことだった。
――また、やってるのか。
仕事を終えて、ルビー・ガーネット通りを戻るさなか、ファノンはその演説を通りすがりに見つけていた。
そのまま帰ろうかどうか考えあぐねていたが、演説者が知人であるヨタンだと気づいたファノンは帰宅を中断し、そちらに近づくことにした。
そもそもファノンにとってエノハは命の恩人であり、母であり、預かり親であり……クリルを出会わせてくれた、大事な人。
その悪口を、これほどおおっぴらに、目立つ場所でされて、気にならないわけがなかったのである。
「おいヨタン」
「ファノンか、少しは元気が出たな」
ヨタンは演説をやめて、壇下から見上げるファノンを見下ろした。
「何をやってる。エノハ様を責めて、俺たちに何の得があるんだ?」
「エノハ様はフォーハード襲来のおり、なんの対策も講じなかったばかりか、ツチグモ
「エノハ様が何もしなかったのは、事情があるんだろ。当人がいない場所で吠えていても解決しない。まずはエノハ様に
「クリルならそうするだろう。だが、クリルが何を変えた? 問題提起はしたが、何一つ変わりはしなかった。それはエノハ様が、人の意見を聞くふりをして、実質、何も変えなかったためだ。闇へ帰命したクリルが教えてくれたのは一つだ。体制は言葉では何も変わらない、とな。
変わるのは体制でもエノハ様でもなく、俺たち自身なんだよ。そうしない限り、セントデルタはこれからもセントデルタのままだ」
「それは……」
――それは甘えだ。
――けっきょく、民衆に優しいエノハ様の人格を知り尽くしてるから、これだけ街中で騒いでも、エノハ様は許してくれるとタカをくくってるんだ。
――旧代には、政府の悪口を言うだけで死刑になる時代や国が、たびたび存在した。
――タクマスたちが、その時代や場所でも、
――人々の多くは、ふつう、圧政に膝を屈するんだ。
――これは内紛でも議論でもない。甘えん坊の自己満足だ。
――それに。
――それに、エノハ様がフォーハードと密約をしてることは、セントデルタの人々に教えるべきじゃないが……この密約のために、エノハ様がどれだけ心を痛めたのか、お前ら……いや、俺たちぬるま湯の人種が、
「……っ」
ファノンは喉から出そうになったその言葉を、語らずに飲みこんだ。
自分がエノハとフォーハードの密約を
――やはりツチグモに対策をとらなかったのは、フォーハードとの密約が大事で、人命は二の次だったのだ……と、タクマスはそう
じっさい、エノハは確かに、人命よりも密約を重視している。
だがそれで多くの人間を守っているのも、事実なのである。
そこを分かっているファノンには、人々に真実を伝えることが正しいかどうか、この時点では判別できなかったのである。
「ほれ、言い返せまい。エノハ様のリーダーシップは地に落ちてるんだよ。俺はこのことを、もっと多くの人々に伝える義務がある。早く帰りな」
「……っ」
沈黙する間に押し切られた格好のファノンは、もはや、ほぞを
そして、ファノンがやるせなさに小さく震えていると、だった。
「ん、ファノンじゃないか」
にわかに、背後から声がかかった。
ファノンが
「タクマス」
「この演説が気に入らないのは、お前の経歴を少しでも知っていれば、想像もつくさ。すまなかったな」
タクマスは
「ここでは俺のファンが多いからな、少し歩きながら話さないか……そう、お前とクリルの好きだった、ポワワワンの川まで行きながら、な」
そう一人で語ったタクマスは、ファノンの返事など待たず、歩き出していった……。