119.教唆

 時を同じくして……喫茶『ギフケン』。

「モエク……? 何だか今日は、スッキリした顔をしてるな」

 窓際のテーブルについて、真向かいのモエクにメイが問うた。

 オパールの遊色効果による、七色の光の差すこの窓際は、実のところ、けっこう人気の場所である。

 メイもよくこの席を狙っているが、ここで紅茶を飲むのは久しぶりだった。

「ああ……わかるかい? 昨日は思う存分、寝たんだよ」

「眠った? あんたが? どういう風の吹きまわしだ。寝るのは2日に一度、それも3時間とか言ってたような」

「あー……まあ、結局、起きても寝ても、大して変わらないことを、身をもって知ったからね……でも、今日からはまた、あまり寝ないかもね」

 モエクは微笑んでいたが、うつむいていて、あきらかにそれが作り笑いだということがメイにもわかった。

 ――首のあたりに包帯を巻いてるが、それと関係あるのか……?

 ――まさかアポトーシス?

 ――いや、そんなはずはない。モエクは19歳になったばかり。二十歳まであと1年はあるはずだ。

 ――モエクにはまだ、アポトーシスは早いんだ。

 ――きっと、別の理由だ。

 メイがそう考えるのは、メイにとって、知人の死亡宣告は受け入れがたいほどの恐怖だからだ。

 しかも、メイはつい最近クリルを亡くしたのだから、そんなことが頭によぎることさえ、耐えられないのである。

 メイにとっても、そういう精神状態だったから、この時モエクの悩む表情に、いつもの『毒舌のフリをした』歩調で、踏み込むことができなかった。

 このことは、メイを死ぬまで後悔させることになるが……それは、別の話である。

「ゴンゲン親方から聞いたよ。タクマスの誘いを断ったんだってな。モエクが話に乗らなかったのは意外だったよ。てっきり、すぐに賛同するかと思ってた。クリルさんに、あんな話を持ちかけてたくらいだし」

「なんのことはないさ……僕が彼を、気に食わないからだ。気に食わない奴と一緒だなんて、罰ゲームでない限り無理だね……」

「ん……? そのセリフ……」

「ああ、クリルの受け売りだ。僕の告白のあと、クリルが僕についてそう言っていた……と教えてくれたものな、君が」

 モエクが観念したように肩をすくめて認めたが、また言葉を続けた。

「クリルの葬式という、僕が一生でいちばんナイーブな日を選んでなければ、まだ違う答えも言ったかもしれないね」

「モエク……あんたは、あの運動に参加しないのか? あんたの意見に近いことを言ってるじゃないか」

「あからさまに武力を使うという向きもあるからね。僕も使うには使うが、もっと賢い方法を選ぶね。僕ならそう……僕がやったとわからない形で実行するな」

「おいおい、暗殺かよ」

「ただし、誰がやったのかわからないように、だ。1963年のケネディ暗殺なんか、誰がやったのか、けっきょく論争になるばかりで決着がつかないまま、旧代は閉じられた」

「ケネディ暗殺犯を褒めてるようなものだぞ……賛同できない。かつてこの国には、赤穂あこう浪士という、忠義に死んだ47人がいたそうだ。当時から末に至るまで、彼らは命を賭けた英雄だ、という流れのほうが強かった。だが批判もあった。彼らのおかげで、一般大衆に、気に入らないことがあれば暗殺や強襲に訴えればいい、というメッセージを残してしまったんだ」

「知ってるよ、福沢諭吉という男の話だな……その話の続きだが、こうじゃなかったかい?

 相手はまともな判決もできない悪政府だ、1人訴えても、けっきょく捕まって殺されるだろう。だが、また別の四十七士で裁判を起こすべきだった。それを47回も繰り返せば、どんな悪政府でもやがては彼らの行いに涙を流して、裁判を改めもするだろう……というものだ」

「やっぱり知ってるんじゃないか。でもあんたは、暗殺をするってんだろ?」

「僕は47個も、捨てる命を持っていないからね……まあ理想はそうなんだが、ともかく内乱はいけない。暗殺より下策げさくだ。なにより内乱じゃあ、関係のない人が巻き込まれる」

「まあ……たしかに、タクマスのほうは、だいぶ血生臭いものな」

「人々を無責任にき付けても、その結果は大量の死者だ。そもそも80名の死者が出たのは、エノハのせいではなく、主筆のタクマスが人々をあの場にかき集めていたからだ」

 そこでまた、モエクの顔色は暗く落ちた。

「そう……僕は、そんなことはしたくないんだ……」

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