122.復活

 翌日。

 あてがわれた部屋の中で、ロナリオは水の入った、青紫に輝くタンザナイトのコップを、ブルブルと震えながら掴んでいた。

「だいぶ、動けるようになったみたいだね」

 モエクが短くロナリオの回復を祝った。

 ――機械のロナリオに、水のコップ。

 べつにロナリオは水が欲しかったわけでも、水が飲みたかったわけでも、水が必要なわけでもない。

 たんに毎日、モエクによって、どのていどの握力が回復したかを検査するためにやっている日課に過ぎないのだ。

 ロナリオは3日前まで、コップをつかむことさえできなかったのだから、これはモエクにとってもロナリオにとっても、大きな躍進と精神的な希望になった。

「とはいえ、もう少し時間がかかりそうです。今の私では、このぐらいの動作が精一杯です……無理をなされましたね。ラストマンを埋めた地は、かなり遠く、放射線も多かったでしょうに」

 ロナリオはゆるい動きでモエクになおった。

「君と、僕の野心のためさ」

 モエクは言いながら、ロナリオのコップを受け取った。

「モエク……何か、急ぐ理由が? ここ最近、なにかと性急な気がするのですが」

「……」

 ロナリオが核心を突いたが、モエクは黙っただけだった。

 さすがのロナリオも、モエクの身にアポトーシスが迫っていることは、予想できずにいたのである。

 モエクの生年と、アポトーシスの来る日を記憶しているロナリオには、モエクの現実も内心も、その葛藤かっとうも、想像できるはずがなかった。

 500年の歴史を通して、モエクのように、2日で3時間の睡眠を続ける生活習慣を貫く人物は、一人も現れなかったからである。

 とうぜん、その人間の寿命がどうなるかなど、ロナリオにもデータはなかったわけだ。

「なあロナリオ、たとえば……たとえば、だよ。今すぐ、君が全快したとしよう。その場合、いま世間を賑わせているタクマスと組めば、反乱の成功率は上がると思うかい」

「奇なことを……タクマスと組むのはゴメンだと、あなたが言っていたではありませんか。彼は血の革命を望んでいるから……と。あなたはセントデルタの無血開城、もしくはエノハのみの暗殺を目指しているはずです」

「その通りだ。でも、仮定として、の話だよ」

「手数が多ければ、とうぜん成功率も上がります。ですが同時に、人というのは増えれば増えるほど、本来の目的から遠ざかりやすくなります。

 仲間として結ばれるには、どうしても、その相手に『うまみ』を与えなくては、付いてきてくれないからです。

 たいていの人が望むのは、お金や利権、地位、名誉などの成功報酬です。

 未来への安心、英雄としての名声、大量のお金……その形は、人によって様々です。

 自分の趣旨と正反対の目的を持つものと組むなら、ことさらに自分の権利を切り売りしなくてはならない時もあります。

 それをするごとに……仲間を増やすごとに……あなた自身の目的は薄れてしまうものです。これは国を作る時でも会社を建てる時でも……革命でも同じことでしょう」

「……タクマスと組むのは反対かい?」

「モエク……あなたがお持ちくださった、タクマスの新聞は、すべて目を通しました。彼の社説もすべて。

 彼は誠実ですが、危険でもあります。そのあたりは、あなたと同説だったと思っていましたが」

「彼は正しくはない。だけど……その正しくない力を、必要とすべき時が来ているのかもしれない。僕に力を貸して欲しい」

「モエク……」

 心配げにモエクを見つめていたロナリオは、しばらくうつむいて、考えこんだ。

 そして、顔をあげた時には、まっすぐモエクを見つめてきた。

「わかりました。わたしは、あなたに助けられた身です。あなたが決めたことなら、全力でサポートいたします」

「ありがとう、ロナリオ。助かるよ」

「今回だけです。いいですね?」

「わかってる。これは……僕のわがままなんだから」

 モエクは笑顔で何度もうなずいてから、すぐに真剣な面持ちにもどった。

「もう一度、確認させてもらっていいかい。前もって打ち合わせていた僕たちの計画を。

 君が全快したらまず、エノハの塔へ行く。入口を守るARLWSアールゥスを無効化したあと、そこら中にある端末のどれかに君のケーブルをつなぎ、塔のメインフレームへの接続経路を確保する……」

「あとは、わたしの所持するワーム・ウィルスを端末に流しこんで、管理者パスワードを探し当てれば、メインフレームは完全に掌握できます。そののち、アレキサンドライトの塔の保護からはじかれたエノハと、私が戦えばいいのです。接近戦での1対1ならば、わたしが負けるはずはないでしょう……あの、モエク」

「なんだい」

「この作戦のことを、タクマスに打ち明けるのですね? 現在のところ、わたしとあなただけでは、ロビーのARLWSを沈黙させる方法が浮かびません。さすがにわたしでも、ARLWSに正面から挑めば、勝てる見込みはありませんから」

「タクマスと組むなら、そのへんの問題も解決するよ」

 そう言って案を口ずさむモエクだが、その顔色は相変わらずすぐれなかった。

「解決……とは、どんなふうにお考えなのですか? 未来を開くための策のはずなのに、なぜあなたは、そんなにお暗い顔をなさるのですか?」

 ロナリオは上品に首をかしげた。

「やっぱりわかるんだね……その案は、僕の金科玉条きんかぎょくじょうとは大きく反しているからなんだ」

「金科玉条……あなたにとって大事な考え方のことですね」

「彼の人脈をフルで使えば、ARLWSを破壊することができる。だけど、それをするには、どうしても命をまきにくべなくてはならないんだ」

「人の命を危険にさらすのですね? たしかに、あなたらしくない作戦です」

「そういうことさ……」

 モエクはそこまで言うと、吐き出そうな思いを飲み込もうとするように、握っていたコップの水を一気にあおった。

軽蔑けいべつするだろう? あらゆる方法を考案したが、アレキサンドライトの塔には通じそうにない。僕のために万骨ばんこつ枯れるのだけは拒絶したかったのに、けっきょくは為政者が思いつきそうなことしかできそうにないんだ」

「それは……どんな内容なのですか?」

「今は語りたくないかな。先にタクマスに言おうと思うよ。そもそも、打ち明けたところで、君は反対しないだろう?」

「はい……その通りです。その通りですが……あの、モエク」

「なんだい」

「悪いことばかりでもないはずです。わたしは予感しています。そろそろ、あの方が合流してくれるはず。それが叶えば、きっと、さらにわたしたちの計画はうまくいきます……あの方なら、きっとくる」

「あの方? 前に話していた、ゴドラハンのことか?」

「はい」

 ロナリオは少女のように明るく頷いた。

 それはモエクが初めて見る、ロナリオの所作だった。

「ゴドラハン・カオス・クロノス。旧代の末期、一時的にフォーハードのいなくなった大地で、あなたがたの神エノハと覇を争い、敗れたあげく悪の根源に祭り上げられた人ですが、じっさいはそうではない……という話まではしましたね」

「ゴドラハン……このセントデルタを解放してくれるかもしれない人物ね……彼と組めればありがたい。もしかしたら、僕が今考えている、タクマスの人脈を生贄にした方法だって、やらなくて済むかもしれない。フォーハードのことだって、ファノンに任せなくてもいいかもしれない。フォーハードはいずれ戻るとファノンが言ったそうだが、僕達にも彼と戦うことはできるはずだ」

 モエクは少しばかり期待をこめてそう語った。

「ゴドラハンの名前を出して正解でした」

 ロナリオはモエクの表情をながめ、安堵あんどの表情を浮かべたが、またすぐに緊張したものになった。

「お忘れなく……たとえフォーハードやエノハを倒したところで、そのあとの世界は、きっと試練に満ちています」

「望むところだよ……それよりも、ゴドラハンのことをもっと教えてくれないか。味方になるなら、僕はもっと予習すべきだ。500年以上生きているなら、色々あるだろう?」

「わかりました――かいつまんで、ですが、お話しします」

 ロナリオは少しだけ嬉しそうに、話し始めた。

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