深夜3時のセントデルタ大病院。
パケプケモンテンがまんじりともせずに、廊下の長椅子に腰掛けて腕組みして、何時間か経過したころ、ターコイズの
「やった……やった!」
パケプケモンテンは長椅子から立ち上がると、横開きの扉に張り付きたい気持ちを抑えながら、その寸前の位置で待ち構えた。
10分ほどしてから、目の前の分娩室扉が開かれ、そこから女の看護師が手招きをしてきた。
「ついに生まれたんですね! 俺たちの子が!」
「はい、元気な男の子です。どうぞこちらへ」
疲れと、それ以上の興奮をこめて、マスクと
「はい……はいっ!」
パケプケモンテンは、しっかりとした足取りで室内へ入った。
そこでは、ピンク色の毛布をかけられた妻が、同じ色の毛布にくるまれた、ひとりの赤い顔の小さな小さな赤ん坊を、柔らかく抱きしめていた。
「よく頑張った……本当に……」
パケプケモンテンはこぼれる涙を片腕でこそぐように拭うと、妻と子のかたわらへ近寄った。
すぐに看護師が横に椅子を持ってきてくれるから、パケプケモンテンはそれへ腰掛け、子供を見つめる。
生まれたばかりだからだろう、まだ、父母のどちらに似ている、とも言えない顔立ちだった。
――となりの旦那さんは、生まれた時から俺たちにソックリだった……とか言ってたけど、この子はそうでもないな。
――まあでも、そういう話も多いし、そのうち似てくるだろ。
よぎった考えを洗い流し、パケプケモンテンは改めて妻のほうを見つめた。
「なあ、俺ずっと考えてたんだ。この子の名前」
「前から言ってたよね……やっと決まったの?」
「そうさ、エノハ様に敬意を示して、可愛い名前にしたんだ……パヨヨだ。いいだろ?」
「パヨヨね……可愛い響き……エノハ様もそういうネーミング、大好きだろうし、良いんじゃないかな」
妻はやつれた顔に、満足の色を浮かべた。
「よし、決まりだ。お前の名前はパヨヨ。パヨヨ・パケプケモンテン……」
そこまでパケプケモンテンが話したところで、だった。
いきなり分娩室の扉がバンっと開いて、見知らぬ女が乱入してきたのである。
――いや、見知らぬ女ではなかった。
その女は異常なほど無表情ではあったが……このセントデルタの女神エノハだったのである。
「間に合ったか……?」
エノハは周りを見渡しかけたが、すぐにここにいる夫婦と子供に気づき、そちらへ近づいた。
「な、なんですか……?」
この異常さを
これが朝であったり、病室であったりすれば、夫妻も喜んでエノハを迎えたはずだが、今は深夜の上に、場所も分娩室。
エノハの行動には異常さと非礼さが満ちていたのである。
だが、当のエノハに、そこを気にしている様子(というより、気にする余裕)はなかった。
「奴の言う通りだった……産まれた瞬間に私に教える、とは、このことだったか」
エノハはあたかも何かの亡者のように、ヨロヨロとパケプケモンテン夫妻へ……いや、パヨヨに歩み寄っていく。
「エ、エノハ様! いったい何事ですか」
父の使命を果たすために、パケプケモンテンがエノハの前に立ちはだかった。
そこでようやく、エノハの足はとまった。
心なしか、我に返った感じもあった。
「あ、ああ……不躾だった、すまない。あ……その、な。その子の名前はもう決まったのか?」
「はい、パヨヨと決まりました」
けげんな表情を崩さず、父パケプケモンテンは説明した。
子供が生まれるのは、長い時間を生きてきたエノハにとっては、きわめて日常的なことであり、業務的なもののはずである。
べつにパケプケモンテン家はエノハと近しいわけでもないから、この時間にエノハが祝いに来る理由など、何一つないのだ。
一国民の出産に、時間もわきまえずに国王が訪れることの、違和感。
旧代で例えるなら、まさにこれだった。
「パヨヨか……それなんだが、私が考えた名前にしてもらえんか」
「え……いや……それは光栄ですが……」
父母は困惑した顔で、たがいに目配せした。
明らかに迷惑なことだったが、それを断れる相手でないことも、二人は承知していた。
だから、二人はためらいがちながらも、ゆっくり頷いたのである。
「良かった……ならば、この子にはファノンと名付けてほしい」
「ファノンですか……?」
「そう、ファノン・ノモス・クロノスと」
「えっ? ファノン・パケプケモンテンじゃなくて?」
「あっ、いや……それでいい。そう、それがいい。そうだった」
エノハは慌てた様子で、何度も首を振った。
「エノハ様、いったい……」
「そうだ……その……その子を、少しだけ私に抱かせてもらえないか」
「パヨヨ……ファノンを、ですか?」
「うむ、ダ、ダメならいい」
エノハは終始しどろもどろだった。
相手が自分以上に自信のなさそうなリアクションをしていると、見ているほうは少しばかり冷静になれるものである。
父パケプケモンテンは、じっとエノハの様子を見守っていた母をもう一度見た。
母のほうは、どっしりと落ち着きを取り戻していた。
「構いませんよ」
母はファノンの首を支えるようにしながら、ゆっくりとその五体を、エノハに差し出した。
エノハはおそるおそる、あたかも
「ファノン……やっと……やっと……会えた」
エノハは眠りにつくファノンの小さな顔を見つめ、言葉をさらに重ねた。
「私のすべては、お前のために……お前が、お前こそが、私の全てなのだ」