125.告発

 翌日のセントデルタ新聞社、三階応接室。

「案内ありがとう……あー……ミス・ハナーニャ」

 モエクはこの部屋へ案内してくれた、16歳の女性社員ハナーニャに礼を述べた。

 ハナーニャはルビー縁のメガネをかけ、前髪は横一直線に切り下ろし、紺の膝下スカートをまとっていたため、一言でいうなら地味な印象の強い女性だった(ただし人種を織り交ぜたセントデルタでは、なぜだか端正な顔立ちが多いから、彼らの言う『地味な顔』は旧時代では、厳しすぎる評価に見えることだろう)。

「いえ……どういたしまして」

 ハナーニャが謝辞を述べる。

 執務室の前にあつらえたその部屋は、タクマスの意図がふんだんに盛り込まれた空間だった。

 5脚の個人掛けソファが向き合っているほかは、中央にミニデスクが一つのみ。

 だいぶん小規模ではあるが、この部屋は旧代のアメリカ大統領府が用いていた小応接室のレイアウトを参考に作られたのである。

 タクマスに言わせるなら、大統領とは、民意の結晶にして、力の象徴にして、強烈な名声と名誉の持ち主……だそうだ。

 旧代の大統領が必ずしもそうだったかといえば違うのだが、少なくともタクマスの理想はそうだったのである。

 ただ、他の多くのセントデルタ人と同じく、タクマスもまた、宝石を見飽きているために、この部屋の壁にはダークブラウンの壁紙が用いられていた。

 フローリングも木材がふんだんに使われ、壁も木製(素材はすべてセントデルタ内で養殖されている松)だった。

 電気のないセントデルタだから、四隅の壁にはターコイズの燭台しょくだいが架かっていた。

 よく密談に使われているからなのか、太いロウソクには火が何度も灯されているようで、溶けたロウソクが床にこぼれて固まっていた。

「もどってくれると信じていたよ」

 大して待つこともなく、タクマスが奥の執務室の扉から、外交官のように、歓迎的に両手を広げてモエクに面会しにやってきた。

「お前さんは、必ず僕がここに来ると確信していたようだった。僕の身体の変化に気づいてたんだな」

 モエクはタートルネックの上から首筋をなでた。

 その下に白化したアザが隠れていることを、よくもまあ見抜いたものだ、というメッセージを、タクマスにそれとなく伝えたのである。

「……?」

 その仕草の意味のわからない女社員ハナーニャが、わずかに首をかしげるが、タクマスが黙ったまま、扉のほうを指差したので、ハナーニャのほうは気をきかせて、そのまま出ていこうとした。

「あーそうだ、ハナーニャ、俺とモエクに飲み物を頼む」

 タクマスは退室しかけるハナーニャを呼び止め、雑務を課す。

「わかりました、社長」

 ハナーニャはこくりと頷くと、応接室の扉を開けて、下階のほうへ出て行った。

「……恩に着るよ」

 モエクが苦々しい顔色で礼を述べた。

「なあに……新聞記者なんてやっているおかげかな。この人生で、アポトーシスの迎えを待つ人々を、多く見てきたからな」

 タクマスはここで笑顔を維持するのは不謹慎だと悟ったのだろう、ふと顔色を消した。

「ついでに頼むが……特にファノンとアエフには言うなよ」

「言わないさ……」

 タクマスはモエクの念押しにうなずいた。

「――で、モエク。お前もエノハを倒すための具体的な算段を、すでに組み立てているんだろう?」

 タクマスが漆黒のソファに腰掛けるよう片手でしめすから、モエクはすすめられるまま、それへ座りこんだ。

 見た目は重厚そうだったが、意外と固いソファだった。

「その前に、お前さんがどうするつもりだったか、教えてほしいものだね」

「俺か?」

 そこでタクマスも腰をソファに沈める。

「人々をき付けて反乱を起こさせる……ってところまでは決まってるんだが、その手勢でエノハを袋叩きにできると確信はできずにいる。あいつは強いからな。腕のレーザーを放ったまま一回転されれば、取り囲んでいたところで俺たちは全員まっぷたつだ」

「エノハとの決闘については心配ない。何とかできる人物を仲間に引き入れることができたんだ。その人は今、怪我をしているから、治るまで待たないといけないがね」

「エノハを……あのレーザーを何とかできる奴とか?」

「信じられないだろうね……だけど、会えばわかるはずさ」

「興味があるね。ぜひ会わせて欲しいもんだ」

「それはいずれ……だよ。今はダメだ。この交渉がまだ、まとまっていないだろう?」

「その通りだな。まあエノハとの戦いはともかく、それ以前に計画の支障になるのは、エノハの塔のエントランスに敷設されたARLWSアールゥスだ。あればかりはな……」

「タクマスたちに人数がそろっていれば、ARLWSのことは解決するよ」

 そう提案を始めるモエクは、そこで眉間みけんにしわを寄せた。

「本当か?」

「桶と、大量の湯と……それからロープを使うんだ。あそこの一階の通気つうきは悪いからね。ここまで言えばわかるかな」

「いや、わからん」

 タクマスの反応は正直なものだった。

 このあたりの性質が、人を惹きつけているのかもしれない……とモエクは考えながら会話を続ける。

「ところでタクマス、協力してくれそうな人間は、今の段階でどれぐらいいる?」

「500人くらいだろうな」

「ずいぶん集めたものだ。では、彼ら全員に沸騰ふっとうした湯の入った大きな桶やバケツを持たせるんだ。それをエノハの塔の中へ持ち込み、流す。おのおのの家庭のカマドで湯を沸かすのだから、前もってエノハにバレる心配もない。そうして、カメラのくもったARLWSを、ロープでぐるぐる巻きにして、動けないようにするんだ。沸騰した湯だし、うまく全員でばらまくことができれば、霧のようにARLWSのいる場所じたいを包むこともできるかもね」

ARLWSアールゥスのカメラを曇らせる……か。だが、湯気が充満するまでARLWSが黙って見守るのか?」

「見守るはずがないね……だから犠牲は覚悟しなくちゃならない。幸い、ARLWSの燃料源は核融合ではなく、超電導電池にたくわえた太陽エネルギーだから、速射はできない。その間に生き残った者が、蒸気を作るんだ」

 モエクは苦々しく告げた。

 これこそ、モエクの気分を落ち込ませる原因だった。

 モエクの金科玉条に反する作戦。

 ――自分の本懐のために人の命を犠牲にするなど、もってのほかだ。

 ――僕の理想は、無血開城か、エノハの暗殺。

 ――だが、見つからなかった。

 ――クリルがこんな提案をする僕を見たら……確実に軽蔑けいべつするだろう。

 ――それでも、あの塔の攻略には、人の血を捧げないと、道がひらけないんだ。

 ――だったら、捧げてやるさ……手始めに、僕の血を。

「彼らが……死ぬだと。彼らは、俺の友人だ」

 モエク以上に、タクマスが鼻じろんだ。

「その通りだ。だから、彼ら自身に選んでもらうべきだ。もちろん、それの実行には、僕とタクマスも加わらなくてはならない」

「カミカゼや自爆テロみたいなものだよ、それは」

「では、他に方法は? 僕たちにできる武装といえば、槍を持つか、弓を引くか、ぐらいだ。あの一枚岩の塔には勝手口はないし、壁をぶち破るには8メートルの厚さの、1400度まで耐えられるクリソベリルの壁をどうにかしなくてはならない。僕たちが率先して死に……その後のことを、他の人々にまかせるべきなんだ」

「俺たちの死んだ後のかじ取りか……彼らにできるだろうか」

 タクマスは自分が率先して死ぬ、ということに異論はないらしく、モエクの案の後のことを憂え始めた。

「大丈夫、セントデルタには過去の成功と失敗を記してきた書物がたくさんある。図書館と、エノハの塔にね。それを使えば、文明の復活はたやすいよ」

「成功をたどり、失敗を回避することが彼らにはできる、というのだな?」

「逆だよ。結局のところ、誰がやっても同じさ。僕かタクマスが死なずに生き残ったところで、100年もすれば旧代と同じ、利権と既得権益きとくけんえきの上に正義という名前の幕をかぶせた、欺瞞の世界が現れるんだ」

「それだけ聞くと、今のほうがマシに思えてくるな。エノハは確かに、そういった物を排除することはできているからな」

「たしかにこのセントデルタは、鍵をかけずとも物は盗まれず、探すに困れば誰もが答え、食うにきゅうすれば手を施し、病に伏せばエノハが動く――理想の世界だよ」

「もしそれを本気で信じているなら、お前はそれを破壊して悪と既得権益の世界を呼びもどそうとしている、という理屈になるぞ」

「僕はそれでも、悪と既得権益の世界がマシだと考えているからさ。善人だけが生きる世界とは、ようは無菌室の植物と同じだ……いざ外界に放り出されれば、百戦錬磨の野生生物に敗北する。宇宙から見れば、このセントデルタは脆弱すぎる」

「温室のセントデルタ人を野生に解き放つ、か。面白いな」

 タクマスはふっと微笑んでから、続ける。

「俺は俺の野心のために命を捨てる覚悟がある。その道中がたまたま、お前と同じだとは思っていたが……いま、やはりそれは間違いなかったと確信したよ」

 タクマスは席を立ち、モエクの前に右手を差し出した。

 セントデルタでは馴染なじみのない、友好を示すときにおこなう、握手という旧代の習慣である。

 旧代を取り戻そうとする二人には、うってつけのコミュニケーション方法と言えた。

 それに気づいたモエクもまた、立ち上がり、タクマスの右手を掴みかえした。

「交渉は成立だね」

「ああ、実はどうなるかと思っていたが、これで肩の荷が降りたよ」

 そう言ってタクマスはおちゃらけた。

「お前さんでも緊張することはあるのか」

「俺を何だと思ってる? これでも血は通ってるよ」

 二人は笑いながら、ゆっくりその手を離し、再びお互いが向き合って腰掛けた。

「文明の利器を取り扱える人物に心当たりがある、と先ほど言ったけど、彼女には明日にでも引き合わせるよ」

 モエクが嬉しげに語った。

「ほう……どんな人物なんだ?」

「それは、だね……」

 そう言ってモエクが少しばかりもったいぶって、ロナリオの存在を吐露しようとした――その時だった。

 先ほどモエクをここへ案内した女社員ハナーニャが、瑪瑙のトレーにコーヒーカップを乗せて戻ってきたのである。

「む……? おい」

 だが、その香ばしい匂いを嗅ぎ取ったタクマスが、いきなり眉間にしわを寄せた。

 その形相には、般若のような怒りがこびりついていた。

「客人のいるときは紅茶だと言っただろう? どういうつもりだ?」

「え? すいません、忘れておりまして……」

「忘れた、だと? お前は俺に恥をかかせるために入社したのか? そんなことで、これからの革命戦士になれると思っているのか? どこまで話が覚えられないんだ、お前は……どんな教育を受けたらそんな知能に成り果てるのだ!」

 タクマスは怒鳴りながら席を立ち、怖じ気づくハナーニャへ詰め寄っていく。

 ハナーニャはすっかり萎縮して、泣きそうになっていた。

 そして近づききると――タクマスはトレーに乗るコーヒーカップを片手で弾き飛ばした。

「ひゃっ!」

 ハナーニャは悲鳴をあげて、身を守るように自分の身体を抱きしめ、たたらを踏むようにしてから、尻餅をついていった。

 こぼれたコーヒーが、黒い水たまりをつくって、床の匂いと混ざり、おかしな匂いを放ちはじめた。

「おい、タクマス……待て、なんの真似だ」

 モエクがタクマスの豹変ひょうへんぶりに内心では慌てながらも、とどめに入るべく、立ち上がってタクマスの肩を掴んだ。

 そこでタクマスは、モエクの手を反射的に振り払いそうになったところで――ハッと我に返ったように、動きを止めた。

「お、俺は何てことを……すまない。すまない……すまなかった…………大丈夫か? ケガはないか?」

 タクマスは囁くような声になって、へたりこむハナーニャのそばで、コーヒーがズボンに染み込むのも構わずに片膝をついた。

 しかし、ハナーニャのほうは、いじめられっ子のように顔をうつむけ、とつぜん浴びせられた怒号と罵りによって、すでに顔を両手で覆って、嗚咽を始めていた。

「もういいだろう、タクマス」

 モエクが青ざめながら制しつつ、続ける。

「僕も今ので話す気力が失せた。彼女をこの部屋から出しておくからな」

「ん……そ、そうだな……その通りだ。すまない……ここは俺が片付けるから、彼女を連れて行ってくれないか」

「タクマス……ストレスでも抱えているのか? だったら革命なんかより先に、そっちを片付けるべきだ」

 モエクはハナーニャの仇とばかりに、ちくりと皮肉を突き刺してから、ハナーニャの手を優しく引いて立ち上がらせ、応接室を後にした。

 タクマスのほうは、ぼんやりと立ち尽くしたままだった。

「まったく、タクマスの奴……大丈夫なのか、あれで」

 ギシギシとうなる、古い木製階段を降りながら、モエクは不満をこぼした。

「違う……違うんです、モエクさん」

 横に追随していたハナーニャが、にわかに、ブルブルと首を振った。

「ん? 違うとは……何がです?」

 モエクが横のハナーニャに問うが、そのハナーニャは涙目のままだった。

「私たち新聞社の社員は……あの場所のことはタクマス社長から教えられていないのですが……でも、私だけは知ってます……」

「あの場所? 知っている? 何の話ですか?」

「たまたま地下室前の扉に、印刷機の替えの部品を取りに行った時でした……ここの地下から、低い声が聞こえてきたんです……不気味なほどにくぐもった声が……」

「声? 地下室で生活なんて、気の狂いそうな話ですね。旧代には核シェルターという物があったそうですが、どう頑張っても快適にはならないはずです」

「たぶん……住んではいません。捕まってるんだと思います」

「……この会社の同僚には話したんですか?」

「いえ……みなさん、タクマス社長に心酔してらっしゃるので、怖くてできてません。誰が告げ口をするかわかりませんから。だから、モエクさんに……タクマス社長と顔がききながら、ここの出入りが許されそうなあなただから、お話ししたのです」

「僕の人脈はほぼゼロですからね。その点では安心して下さい……ところで地下室の声の正体は、確認されたんですか?」

「はい……」

 このあたりで、少しだけハナーニャの顔色は落ち着きを取り戻していた。

「私はタクマス社長の秘書でもありますから……その……地下室のスペアキーの場所も知っておりましたので、みんなに黙って、そこへ行ってみたんです……そしたら――」

 ハナーニャがためらいがちに先を語ろうとしたとき、だった。

「あっっ、おつかれさまです~~~~っ」

 ひときわ高い声が、階段下に現れた細い男から発されてきた。

 農夫でありながら、この新聞社の小間使いとして立ち回る男、アイリッドだった。

「アイリッドさん……」

「あっっ、どうもです~~~~っ、なにか大声がしましたから、来てみたんですけど……あっっ、何かありましたか??? あっっ、あっっっ……ハナーニャさん、お泣きになって…………あっっ、僕、お邪魔でしたか???」

「いえ、別に……」

「あっっ、そうなんですかぁ~~~~??」

 同情するでもなく怒るでもなく、アイリッドは作り笑いとともに、そう受け答えた。

「では御用もお済みで?」

「ええ……これから帰るところです」

 ハナーニャが短く答える。

「あっっ、なら僕が、そちらの方をお見送りします~~~っ」

「いえ、結構ですよ、アイリッドさん。さあモエクさん、参りましょう」

「は、はぁ……」

「行きましょう、モエクさん」

 そこでいきなりモエクはハナーニャに手を引かれ、階段を足早に駆け下りることになったため、モエクのほうは足をもつれさせそうになりながら従った。

 そのまま会社の出入り口にあつらえてある、インクと紙の匂いの強い印刷工場まで歩いたあと、ハナーニャはモエクに待つよう頼んでから、その場をひとりで離れていった。

 そうしてモエクが放置されて少ししてから、ハナーニャは戻ってきた。

「お待たせしました……モエクさん、これを」

 ハナーニャは言いながら、拳を握れば隠れるほどに小さくたたまれたメモ紙を、モエクにわたしてきた。

「これは?」

「誰も見ていないところで読んでください。必ず、今日の夕方までにです。ご無礼なことが書いていますが、読んでいただかないといけないものなんです」

「……わかりました」

 モエクはすぐに頷いた。

 地下室に誰かが囚われている……ということについて触れた『何かの情報』を渡されたのだ、ということを、気取ったからだ。

「それじゃ、ハナーニャさん」

 モエクは簡単に頭を下げ、今のところは、おとなしくハナーニャと別れ、その場を離れる。

 そしてひとり、モエクは往来を歩きながら、思案を重ねた。

 地下室にいる人間の話が、いやに気になったが、どうしてもモエクには、先ほどタクマスがハナーニャに現した残虐さが、それと無関係とは思えなかったのである。

 ――タクマスのことは昔から知っている。同級生だからな。

 ――なごやかな会談をしていたはずなのに、ハナーニャさんへの、あの変貌ぶりは……いったい何だ?

 ――彼は寛大な人間だったはずだが。

 ――彼を知る人間も、彼が怒ったのを見たことがないと言うほどなのに。

 ――人々を束ねるプレッシャーで精神でも病んだか……もしくは、ふだん人に見せない日常生活が表出したか……。

 ――公共の場で横暴な人物が、プライベートの場で、つい横暴さをあらわすのに似ている……。

 ――あの地下室と関係が?

 ――かつてスタンフォード監獄実験というものがあった。監獄という特殊な環境が、いかに人に影響を与えるか調べるための実験だ。

 ――参加した看守役に選ばれた大学生は、すぐに囚人役をたびたび虐待するようになったという。

 ――その看守役の大学生の一人は、自宅にいるとき、母親にも強圧的な命令をするようになったそうだ。

 ――タクマスの『さっき見せた顔』とは、どこで、誰にぶつけているものだ?

 ――彼には妻も子もいないはずだ。

 そこでモエクは、右手に握ったままの、ハナーニャにもらった紙を開いた。

「……!」

 モエクはそれを読んだとたん、道の真ん中で、思わず立ち止まってしまった。

 そこには、モエクの予想通りのことが書かれていたのだが……予想もしなかったことも、記されていたのである。

「地下室に人間が閉じ込められ、虐待を受けている。その男の肌が白いことが理由のようだ、だと……?

 ――白い肌、だと……?!」

 モエクは震える声でつぶやいたのち、乏しい脚力を奮い立たせ、家路へと急いだ。

 ――だが。

 そのモエクの背中を見つめる、恐ろしく冷酷な視線があったことを、モエクはこのとき、気づけなかったのである……。

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