128.ステルス

「どうされたのですか? モエク」

 あてがわれたベッドに横たわっていたロナリオは、ノックもそこそこに入室してきたモエクを、いぶかりもせずに、笑顔で迎え入れた。

「ロナリオ、単刀直入に言うよ……ゴドラハンが見つかった」

 モエクはつい数時間前とは違い、はっきりとした態度で語った。

 もう、そこに迷いはなかった。

「え……?」

 ロナリオの顔は無表情のままだったが、明らかに驚いているようだった。

「本当なのですか? あの方は今、どこに」

「今、彼は監禁されている。今日の22時にセントデルタ新聞社で待ち合わせている人がいるんだが、そのゴドラハンの元へ手引きしてくれるそうなんだ」

「……すぐに私も行きます。セントデルタ新聞社ですね?」

「君には、ここにいてもらいたい」

「居ても立っていられません、私もお連れください」

「ダメだ」

 あたかも病人のように、弱い動作で起きようとするロナリオに向けて、モエクが手のひらを見せて制しながら言う。

「なぜですか」

「ともかく、ダメだ」

 モエクはかたくなに首を振った。

「では教えてください。なぜ、わたしにそれを話したのですか。黙っていれば良かったものを」

「……君にとって大事なことだろうから、真実を話したんだ」

「あの方は、わたしに必要な人です。わたしが行けば、本調子ではありませんが、きっとお役に立てるはずです」

「そう言うがね、ロナリオ。今の君では……その……足手まといなんだ。気持ちはわかるが、自重じちょうしてくれ」

「確かに、今の直りかけのわたしでは、人間の子供とさえ戦うことは難しいでしょう。ですが、顔なら変えられます。わたしはそもそも、セントデルタに潜入せんにゅうするに当たって、ここに暮らしていた女性の顔に変化したのですから」

「覚えている、前に言っていたものな……自警団員ニニナだね。ファノン救出戦の折に亡くなった人だ、と言っていたか。君の表皮ひょうひ細胞は、海のタコと同じ擬態ぎたいができるんだったな」

「わたしなら、骨格まで調整できるので、肌の色だけでなく、寸分たがわずニニナのふりができます。自警団員として行けば、たとえ彼らに見つかっても対処はしやすいと思います」

 ロナリオは食い下がった。

「自警団っていう肩書きでは、今となっては彼らへの抑止力にはならないよ。彼らは捕縛ほばくされることまで覚悟して動いている。信念とやらは、面倒なものだね」

「ですがゴドラハンは……あの方はわたしの……」

「ゴドラハンを連れ出すだけだ。できるだけ目立たないようにするには、人数を減らすほうが良いんだよ。

 それに安心してほしいんだが、ハナーニャさんという人の言うぶんには、あの会社は19時には施錠せじょうされるらしくて、それ以降、誰もいなくなるそうなんだ。ゴドラハンの見張りをするという連中も、普段は朝から別の仕事をしてるから、夜は眠くなるんだね。

 つまり、襲われる心配はないから、夜道でなるべく目立たないように、少人数で行くべきなんだ」

「しかし……」

「とにかく、決めたんだ。すぐに会わせてあげるさ」

 ロナリオの言葉をふさいで、モエクは背を返した。

「必ず、君の前にゴドラハンを連れてくる」

 ――というのが、つい10分ほど前の、モエク宅での会話である。

 モエクはロナリオに納得してもらえないまま、指定された22時に、このセントデルタ新聞社の木戸に立っていた。

 と、ほとんどモエクが待つこともなく、その木戸にはめこまれた、ブルーダイヤの窓の向こうに、ぼんやりとした火の玉らしいものが浮かび上がってきた。

 その火の玉はゆっくり近づいてくると、扉のそばで、ガシャッという、重い石の音を立てた。

 アクアマリンの鍵が開いた音である。

 解錠かいじょうされた木戸がゆっくりとモエク側に開くと、その向こうには、ロングスカートにニットセーター姿のハナーニャが立っていた。

 宝石窓から火の玉に見えたものはどうやら、ハナーニャの握る、薄青に輝くベニトアイト製のランタンのようだった。

「モエクさん……良かった、来てくださったんですね?」

「ハナーニャさん……メモを見ました。いったい、どういう……」

「しっ……静かに。この建物の最上階はタクマス社長の家でもありますから……どうぞ中に。付いて来てください」

 ハナーニャはあたかも闇にまぎれる野盗やとうのように背をかがめ、モエクの背後を確認しながら、小声でしゃべった。

 そうしてモエクにひとしきり注意をうながしてから、ハナーニャは背を返し、キシキシとひしめく木床を踏みしめながら、闇の満ちる新聞社内をまっすぐ歩いていったから、モエクもそれに追随した。

 ハナーニャはそのまま進み、印刷機の並ぶ作業場を通り過ぎて、左手にある扉をあけると、そこには木床の通路が横たわっていた。

 モエクがそこへ引率されるままに入ると、左のほうに、ルビーの鍵穴のついたドアと、それのノブと横の壁に打ち込まれたU字状のクギに、エメラルドの南京錠が絡められているのが見えた。

 ――倉庫にしては、あきらかに厳重すぎるセキュリティだ。

 モエクがそんな感想をいだく間にも、ハナーニャは震える手で鍵を取り出し、南京錠をカチリと解除してしまうと、その扉をゆっくりと押し開いた。

「こちらです……急いで」

 ハナーニャは扉の下に広がる石階段を、くようにしながらも、しっかりと足音を控えさせて降りていった。

 モエクもまた、衛兵のように居並ぶオーソクレースの燭台しょくだいに挟まれながら、ハナーニャの背後を追う。

 左右に別れた道を右にくねり、さらに歩くと、重いオレンジダイヤの扉が現れた。

 その扉の向こうからだろう、すでに何か鼻をつく異臭がするのを、モエクは感じ取っていた。

「この中に……?」

 モエクの小声にハナーニャがうなずくと、その扉をゆっくり開けていった。

 そこは薄暗い、4メートル四方の、居間ほどの広さの個室だったが、四隅にはミニテーブルが置かれ、ダイヤのノコギリやナイフ、ペンチやレンチなどが乗っていた。

 それらはすべて、ドス黒い液体にまみれていたが……モエクですら、これが血液によるものだと合点がてんするには、少しばかりの時間がかかった。

「これは……ひどいな……ひどいよ、これは」

 モエクが絶句しながら前に進むと、この部屋の中心に、椅子に縛り付けられた、全裸の人影を見つけた。

 その人影は、身体中が傷だらけで、足の指は何本か欠けており、片目からも血涙けつるいしはかられた。

 これに無反応でいられるモエクであるはずがなかった。

「おい……大丈夫か?」

 モエクはすぐさま、男――ゴドラハンに駆け寄った。

 靴がピチャッと水の音を起こしたが、それは血だまりのためだった。

「う…………俺は……セント……デルタ人……」

「聞こえるか、僕は君のパートナーと知り合いだ。ロナリオだ、わかるだろう?」

 モエクはゴドラハンの背後にまわりこむと、後ろ手に縛られているロープをほどきはじめた。

 その時に、モエクは否が応でも、ゴドラハンの手の指もまた何本もなくなっていることに気づいた。

 固く結ばれたロープのばくを、難渋なんじゅうしながらもモエクが解きはなつと、ゴドラハンの両手はだらりと、椅子の下に垂れていった。

 ――これが、僕の夢を果たすかもしれない男……?

 今のボロボロの男を見て、モエクはこの男を見かけるまでに抱いていた期待や希望が、とんと息をひそめているのを感じた。

 いや、むしろ、あわれな捕虜ほりょを見て、恥ずべきことだが……不快さしか湧かなかったのである。

 このゴドラハンという男が、モエクの人生において、人間の中で見たことがないほどに、醜く弱々しく貶められているからだが……モエクはそれに不思議な疑問を覚えていた。

 ――なぜ僕は、自分の意思で助けに来た男に対して、こんな不躾ぶしつけな気持ちを抱いているんだ……? 本末転倒じゃないか。

 その気持ちを押し込めて、モエクは再び、うなだれるゴドラハンの前にしゃがみこんだ。

「おい、意識はあるか?」

 モエクが上目遣いに、ゴドラハンを見上げると、やっとゴドラハンのほうも、わずかに反応を示した。

「ロナリ……オ……彼女が、ここに……? 無事に来れたんだな、彼女は」

 ゴドラハンは満身創痍まんしんそういのはずなのに、血まみれの顔で、小さく笑った。

「そうだ、彼女のところへ連れて行く。お前さんは助かるぞ。立てるか?」

「ゆっくりだが……立てるよ。この何日間も、白米しか食べさせてもらえなかったからな……」

 ゴドラハンはヨロヨロと椅子から立ち上がると、ハナーニャがランタンを持ちながら待っている出口のほうへ歩き出した。

 ハナーニャはおびえた表情で、亡者もうじゃのように歩くゴドラハンを見て、わずかにうしろずさった。

 おそらく、モエクが最初にゴドラハンに対して抱いた感想と、同じものを抱いたのだろう。

「急いで出るぞ。まずは僕の家に来てもらう、こっちだ」

 モエクがゴドラハンを先導するように、前を歩き出した。

 そしてモエク、ハナーニャ、ゴドラハンの順で部屋を出て、先ほど来た道を、ゴドラハンの足取りに合わせて、戻ろうとした時だった――

「あっっ、あ~~っっ」

 いきなり、場に似つかわしくない、素っ頓狂な声が入り口のほうから登った。

 そこにはアイリッドがわざとらしいほどに両手を広げ、驚いた顔色で、階段からモエクたちを見下ろしていた。

「ア、 アイリッドさん!?」

 ハナーニャが青ざめる。

「み、み、なんです??? なんなんです????」

 アイリッドはどもりながら眼下のモエクたちを見ていたが、なぜだか腰にはラピスラズリの小剣を下げていた。

 あきらかに、臨戦態勢のいでたちだったのである。

「アイリッドさん……どうしてここへ」

 ハナーニャが驚きながらたずねる。

「あっっ、えっっ、ハナ……ハナーニャさんっっ…………テメェ裏切りやがったな!!! ぶっ殺してやる!!!!」

 アイリッドが血走った眼で、小剣をすらりと抜きはなつや、その切っ先をハナーニャに向けた。

「アイリッドさん?!」

 アイリッドのいきなりの変貌ぶりに、ハナーニャが声を詰まらせた。

「どうしてここへ、じゃねェだろボケが! テメェが来るのァわかってたんだよオラ、わかれやカス!!!!」

 アイリッドがわめき散らす。

「こいつが……率先して俺を拷問ごうもんしてくれたんだよ」

 最後列のゴドラハンが、壁に寄りかかりながら説明した。

「テメェ、今日の昼に、そこのヒョロガリ野郎に話してただろ! 聞こえてたぞカス野郎テメェこら、お?? オラてめェ、コラ!!」

 アイリッドがライオンのように低く声をすごませる。

「テメェら全員、そこの部屋に戻れや! 全員に地獄を見せてやるァ!」

「あまり吠えるなよ、アイリッド……だったか?」

 モエクがハナーニャとゴドラハンを守るように、その『ヒョロガリの』身体を盾にした。

 ――ハナーニャさんは女性だし、ゴドラハンもまともに動けない。

 ――僕がヤセ我慢をしなけりゃな……。

「なんだテメェこら! てめオラ! なめんなや言うこと聞けや!」

 アイリッドがハナーニャに差し向けていた小剣を、モエクに変えた。

 ふたりの細身の男が向き合い、にらみ合うという構図になった。

 それはあたかも、二頭の老犬が喧嘩けんかをするのを見るような、しょぼくれた光景だったが……実のところ、五体の滋養じようを捨てたモエクとは違い、アイリッドは五体をフル活用してきた農夫。

 その身体能力には、明らかな格差があった。

 いみじくもモエクのほうに、勝ち目などないのである。

 だがそれでもなお、モエクのほうに、超然とした落ち着きは消えなかった。

 その態度が、やたらとアイリッドを追い詰めた。

「かっ、監禁室へ行けやァァァ!!!!」

「いいや、ここから出させてもらうね」

 モエクは恐怖の心をやりこめながら、ハナーニャをかばうようにして、前に出た。

「ブッ殺すぞテメェ!」

「やれるものなら、やってみろ。ここにいる人間は、暴力なんぞに屈しはしない」

「うるせっ……うるせェ! うるせェ、うるせェェ!!!!!!」

 アイリッドは低く構えたかと思うと、モエクの右肩に小剣を突き入れていった。

 それはかんたんにモエクの肩を貫通し、モエクの背から、刃先を血まみれにしながらラピスラズリの小剣が飛び出した。

 クワを持つ握力と、作物を抱える腕力と、それを支える腰の力が繰り出す小剣の一撃に、モエクが反応できるはずもなかったのである。

「ウァッッ!」

 モエクは苦悶くもんの表情になったが……その瞬間、モエクは気づいた。

 ――痛みが、ほとんどない……。

 ――それに、身体も軽い気がする。

 ――アポトーシスの副作用か……いや、今だけは副産物と呼ぶべきか。

 ――だったら、今の状態を、できるだけ活用するべきだ。

 モエクは無傷の左手を上げると、アイリッドの顔面に向けて、握りしめた拳を、力の限りぶつけていった――

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