「どうされたのですか? モエク」
あてがわれたベッドに横たわっていたロナリオは、ノックもそこそこに入室してきたモエクを、
「ロナリオ、単刀直入に言うよ……ゴドラハンが見つかった」
モエクはつい数時間前とは違い、はっきりとした態度で語った。
もう、そこに迷いはなかった。
「え……?」
ロナリオの顔は無表情のままだったが、明らかに驚いているようだった。
「本当なのですか? あの方は今、どこに」
「今、彼は監禁されている。今日の22時にセントデルタ新聞社で待ち合わせている人がいるんだが、そのゴドラハンの元へ手引きしてくれるそうなんだ」
「……すぐに私も行きます。セントデルタ新聞社ですね?」
「君には、ここにいてもらいたい」
「居ても立っていられません、私もお連れください」
「ダメだ」
あたかも病人のように、弱い動作で起きようとするロナリオに向けて、モエクが手のひらを見せて制しながら言う。
「なぜですか」
「ともかく、ダメだ」
モエクは
「では教えてください。なぜ、わたしにそれを話したのですか。黙っていれば良かったものを」
「……君にとって大事なことだろうから、真実を話したんだ」
「あの方は、わたしに必要な人です。わたしが行けば、本調子ではありませんが、きっとお役に立てるはずです」
「そう言うがね、ロナリオ。今の君では……その……足手まといなんだ。気持ちはわかるが、
「確かに、今の直りかけのわたしでは、人間の子供とさえ戦うことは難しいでしょう。ですが、顔なら変えられます。わたしはそもそも、セントデルタに
「覚えている、前に言っていたものな……自警団員ニニナだね。ファノン救出戦の折に亡くなった人だ、と言っていたか。君の
「わたしなら、骨格まで調整できるので、肌の色だけでなく、寸分たがわずニニナのふりができます。自警団員として行けば、たとえ彼らに見つかっても対処はしやすいと思います」
ロナリオは食い下がった。
「自警団っていう肩書きでは、今となっては彼らへの抑止力にはならないよ。彼らは
「ですがゴドラハンは……あの方はわたしの……」
「ゴドラハンを連れ出すだけだ。できるだけ目立たないようにするには、人数を減らすほうが良いんだよ。
それに安心してほしいんだが、ハナーニャさんという人の言うぶんには、あの会社は19時には
つまり、襲われる心配はないから、夜道でなるべく目立たないように、少人数で行くべきなんだ」
「しかし……」
「とにかく、決めたんだ。すぐに会わせてあげるさ」
ロナリオの言葉をふさいで、モエクは背を返した。
「必ず、君の前にゴドラハンを連れてくる」
――というのが、つい10分ほど前の、モエク宅での会話である。
モエクはロナリオに納得してもらえないまま、指定された22時に、このセントデルタ新聞社の木戸に立っていた。
と、ほとんどモエクが待つこともなく、その木戸にはめこまれた、ブルーダイヤの窓の向こうに、ぼんやりとした火の玉らしいものが浮かび上がってきた。
その火の玉はゆっくり近づいてくると、扉のそばで、ガシャッという、重い石の音を立てた。
アクアマリンの鍵が開いた音である。
宝石窓から火の玉に見えたものはどうやら、ハナーニャの握る、薄青に輝くベニトアイト製のランタンのようだった。
「モエクさん……良かった、来てくださったんですね?」
「ハナーニャさん……メモを見ました。いったい、どういう……」
「しっ……静かに。この建物の最上階はタクマス社長の家でもありますから……どうぞ中に。付いて来てください」
ハナーニャはあたかも闇にまぎれる
そうしてモエクにひとしきり注意をうながしてから、ハナーニャは背を返し、キシキシとひしめく木床を踏みしめながら、闇の満ちる新聞社内をまっすぐ歩いていったから、モエクもそれに追随した。
ハナーニャはそのまま進み、印刷機の並ぶ作業場を通り過ぎて、左手にある扉をあけると、そこには木床の通路が横たわっていた。
モエクがそこへ引率されるままに入ると、左のほうに、ルビーの鍵穴のついたドアと、それのノブと横の壁に打ち込まれたU字状のクギに、エメラルドの南京錠が絡められているのが見えた。
――倉庫にしては、あきらかに厳重すぎるセキュリティだ。
モエクがそんな感想をいだく間にも、ハナーニャは震える手で鍵を取り出し、南京錠をカチリと解除してしまうと、その扉をゆっくりと押し開いた。
「こちらです……急いで」
ハナーニャは扉の下に広がる石階段を、
モエクもまた、衛兵のように居並ぶオーソクレースの
左右に別れた道を右にくねり、さらに歩くと、重いオレンジダイヤの扉が現れた。
その扉の向こうからだろう、すでに何か鼻をつく異臭がするのを、モエクは感じ取っていた。
「この中に……?」
モエクの小声にハナーニャがうなずくと、その扉をゆっくり開けていった。
そこは薄暗い、4メートル四方の、居間ほどの広さの個室だったが、四隅にはミニテーブルが置かれ、ダイヤのノコギリやナイフ、ペンチやレンチなどが乗っていた。
それらはすべて、ドス黒い液体にまみれていたが……モエクですら、これが血液によるものだと
「これは……ひどいな……ひどいよ、これは」
モエクが絶句しながら前に進むと、この部屋の中心に、椅子に縛り付けられた、全裸の人影を見つけた。
その人影は、身体中が傷だらけで、足の指は何本か欠けており、片目からも
これに無反応でいられるモエクであるはずがなかった。
「おい……大丈夫か?」
モエクはすぐさま、男――ゴドラハンに駆け寄った。
靴がピチャッと水の音を起こしたが、それは血だまりのためだった。
「う…………俺は……セント……デルタ人……」
「聞こえるか、僕は君のパートナーと知り合いだ。ロナリオだ、わかるだろう?」
モエクはゴドラハンの背後にまわりこむと、後ろ手に縛られているロープを
その時に、モエクは否が応でも、ゴドラハンの手の指もまた何本もなくなっていることに気づいた。
固く結ばれたロープの
――これが、僕の夢を果たすかもしれない男……?
今のボロボロの男を見て、モエクはこの男を見かけるまでに抱いていた期待や希望が、とんと息をひそめているのを感じた。
いや、むしろ、
このゴドラハンという男が、モエクの人生において、人間の中で見たことがないほどに、醜く弱々しく貶められているからだが……モエクはそれに不思議な疑問を覚えていた。
――なぜ僕は、自分の意思で助けに来た男に対して、こんな
その気持ちを押し込めて、モエクは再び、うなだれるゴドラハンの前にしゃがみこんだ。
「おい、意識はあるか?」
モエクが上目遣いに、ゴドラハンを見上げると、やっとゴドラハンのほうも、わずかに反応を示した。
「ロナリ……オ……彼女が、ここに……? 無事に来れたんだな、彼女は」
ゴドラハンは
「そうだ、彼女のところへ連れて行く。お前さんは助かるぞ。立てるか?」
「ゆっくりだが……立てるよ。この何日間も、白米しか食べさせてもらえなかったからな……」
ゴドラハンはヨロヨロと椅子から立ち上がると、ハナーニャがランタンを持ちながら待っている出口のほうへ歩き出した。
ハナーニャは
おそらく、モエクが最初にゴドラハンに対して抱いた感想と、同じものを抱いたのだろう。
「急いで出るぞ。まずは僕の家に来てもらう、こっちだ」
モエクがゴドラハンを先導するように、前を歩き出した。
そしてモエク、ハナーニャ、ゴドラハンの順で部屋を出て、先ほど来た道を、ゴドラハンの足取りに合わせて、戻ろうとした時だった――
「あっっ、あ~~っっ」
いきなり、場に似つかわしくない、素っ頓狂な声が入り口のほうから登った。
そこにはアイリッドがわざとらしいほどに両手を広げ、驚いた顔色で、階段からモエクたちを見下ろしていた。
「ア、 アイリッドさん!?」
ハナーニャが青ざめる。
「み、み、なんです??? なんなんです????」
アイリッドはどもりながら眼下のモエクたちを見ていたが、なぜだか腰にはラピスラズリの小剣を下げていた。
あきらかに、臨戦態勢のいでたちだったのである。
「アイリッドさん……どうしてここへ」
ハナーニャが驚きながらたずねる。
「あっっ、えっっ、ハナ……ハナーニャさんっっ…………テメェ裏切りやがったな!!! ぶっ殺してやる!!!!」
アイリッドが血走った眼で、小剣をすらりと抜きはなつや、その切っ先をハナーニャに向けた。
「アイリッドさん?!」
アイリッドのいきなりの変貌ぶりに、ハナーニャが声を詰まらせた。
「どうしてここへ、じゃねェだろボケが! テメェが来るのァわかってたんだよオラ、わかれやカス!!!!」
アイリッドがわめき散らす。
「こいつが……率先して俺を
最後列のゴドラハンが、壁に寄りかかりながら説明した。
「テメェ、今日の昼に、そこのヒョロガリ野郎に話してただろ! 聞こえてたぞカス野郎テメェこら、お?? オラてめェ、コラ!!」
アイリッドがライオンのように低く声を
「テメェら全員、そこの部屋に戻れや! 全員に地獄を見せてやるァ!」
「あまり吠えるなよ、アイリッド……だったか?」
モエクがハナーニャとゴドラハンを守るように、その『ヒョロガリの』身体を盾にした。
――ハナーニャさんは女性だし、ゴドラハンもまともに動けない。
――僕がヤセ我慢をしなけりゃな……。
「なんだテメェこら! てめオラ! なめんなや言うこと聞けや!」
アイリッドがハナーニャに差し向けていた小剣を、モエクに変えた。
ふたりの細身の男が向き合い、
それはあたかも、二頭の老犬が
その身体能力には、明らかな格差があった。
いみじくもモエクのほうに、勝ち目などないのである。
だがそれでもなお、モエクのほうに、超然とした落ち着きは消えなかった。
その態度が、やたらとアイリッドを追い詰めた。
「かっ、監禁室へ行けやァァァ!!!!」
「いいや、ここから出させてもらうね」
モエクは恐怖の心をやりこめながら、ハナーニャをかばうようにして、前に出た。
「ブッ殺すぞテメェ!」
「やれるものなら、やってみろ。ここにいる人間は、暴力なんぞに屈しはしない」
「うるせっ……うるせェ! うるせェ、うるせェェ!!!!!!」
アイリッドは低く構えたかと思うと、モエクの右肩に小剣を突き入れていった。
それはかんたんにモエクの肩を貫通し、モエクの背から、刃先を血まみれにしながらラピスラズリの小剣が飛び出した。
クワを持つ握力と、作物を抱える腕力と、それを支える腰の力が繰り出す小剣の一撃に、モエクが反応できるはずもなかったのである。
「ウァッッ!」
モエクは
――痛みが、ほとんどない……。
――それに、身体も軽い気がする。
――アポトーシスの副作用か……いや、今だけは副産物と呼ぶべきか。
――だったら、今の状態を、できるだけ活用するべきだ。
モエクは無傷の左手を上げると、アイリッドの顔面に向けて、握りしめた拳を、力の限りぶつけていった――