129.真理の荷

 ――同じ時間。

 静かな夜の沈む中、モエク家の扉に、ノック音が起こった。

「……どなたですか?」

 平和すぎるセントデルタでも、さすがにこの時刻の訪問はおかしいと感じるらしく、玄関に出たアエフは、おずおずと扉越しに誰何すいかした。

「……リッカだよ。ごめんね、こんな夜に」

「え……リッカさん?」

 アエフは疑問をただよわせながらも、とりあえず扉を内側から開けた(とはいえ、セントデルタではあまり鍵を閉めるという習慣はないから、文字通り、アエフから開けただけである。旧代の終わる数百年前、この島国の日本という国では、障子戸しょうじどで室内のプライバシーを仕切るだけで、セキュリティにはさして問題がなかった時代があったというが、それに似ているのかもしれない)。

「どうされたんですか?」

「いや、その、ね……モエクはいる?」

 リッカは左手をうしろに隠すようにして、恥ずかしげにたずねてきた。

 どうも、リッカはその手に何かを持っているらしい、ということはアエフにもわかったが、害意や敵意のあるものではなさそうなので、気にしないことにした。

「いえ……もう寝てます」

 タクマスの会社に不法侵入している真っ最中です、と話すわけにもいかず、アエフはもっともらしい嘘をついた。

 いや、厳密には、いつもならこの時間には眠るようになりました、とアエフは言葉を付け足したかった。

 最近のモエクは確かに、夜に眠るようになっていたのである。

 生誕から20年後にやってくるはずの、アポトーシスによる死が、モエクには1年も早く到来したからである。

 少しでも起きている時間を増やすために、モエクは2日に一度しか寝ない生活を続けてきたが、そのために体内時計が狂ってしまったらしい。

 それを知ったモエクは、あきらめがついたのか、覚悟ができたのか、それとも、通常の睡眠に戻せばアポトーシスも収まると考えたのか……それはともかく、一般のセントデルタ人のように、それなりに睡眠をとうとぶようになったのである。

 だがモエクの寿命が、予定よりも早いなどという話を正直に、リッカに伝えていいとアエフは感じていなかった。

 モエクは憐れまれるのが嫌いだと、知っていたからだ。

「あいつ、眠るようになったの?」

 リッカはそれに食いついた。

「ええ……健康に気を配ると言って」

 事情を知るアエフは複雑な顔で説明した。

「ふーん……せっかく踏ん切りがついたのになぁ……」

 リッカは残念そうにしながらも、アエフの話を鵜呑うのみにした。

 自警団は警察のようなものだが、セントデルタでは相手を疑ってかかることはめったに要求されなかったために、ほとんどの人々は、あっさり人の言葉を信じてしまうのである。

 その反応に、アエフは罪悪感をおぼえたが、顔色には一切出さなかった。

「踏ん切り……? どうされたんですか」

「あー……でも、会えなかったのは逆に良かったかも。ねえアエフ。モエクが起きたらこれ、渡しといてくんない?」

 リッカはそこでようやく、うしろに隠していた左手を、アエフに見せてきた。

 その手には、ピンク無地の風呂敷ふろしきに包まれた、何か長方形のものを持っていた。

「それは?」

「んー……なんて言えばいいんかな……とってもプライバシーに関わるもの? ともかく、モエクにしか見てもらいたくないものなんよ」

「そんな大事なものなら、僕を介したりしないほうが良いんじゃ。直接お渡しになるべきだと思いますよ」

「それをするのに勇気が必要だったから、こんな時間になったんよね……次はいつ勇気が湧くかわからないから、もうあんたにお願いしたいんよ。ね? お願いっ」

 下手に頼みながらも、リッカは有無を言わせない調子で、その風呂敷をアエフに押し付けた。

「は……はぁ…………」

 断るだけの理由もないので、アエフは結局、押されるままにそれを受け取った。

「あー、良かった、安心した。じゃあアエフ。頼んだよー」

 リッカは役目を終えたとばかりに、片手を上げて別れを切り出し、さっさと家路いえじに戻っていった。

「えっ……、いったい、何だったの」

 アエフはぽかんと口を開けっぱなしにしたまま、自分が我知らず、両手で大事に持ってしまっている、そのピンクの包みに目を落とした。

次話へ