セントデルタの街を上空からながめると、あたかも何かの
ファノンたちの住む家のそばにはルビー・ガーネット通り。
ルビーの赤と、ガーネットの紅茶色の敷石が特徴の大通りである。
道路の周囲にはルビーやガーネットを筆頭とした、パイロープやスピネルといった、赤みの強い宝石の使われたレンガや屋根が用いられている。
説明の通り、ここらの道路は赤で彩られているわけだが、エノハは敷石にあしらう宝石こそ法で定めてはいたものの、そこに列する家の素材まではどんな物かまでは指定していなかった。
マイホームぐらいは、自分の好きな形をしてよいと尊重したのである。
だがエノハを敬愛する人間が多かったためだろう、ルビー・ガーネット通りの家は壁も屋根も、木で作られていない部分はほぼルビーやパイロープ、そのほか赤みの強い宝石で、こしらえられていた。
そしてそれは、ほかの宝石通りでも、同じ様相だった。
ルビー・ガーネット通りの隣に位置する、
「う……うっぐ……あの女」
フォーハードは人目のない裏路地に身を逃がすと、オレンジスフェーンの家壁に体をあずけ、歯がみの隙間から怒りをひり出した。
血はあたかも岩清水のように、いまだフォーハードの脇からこぼれている。
「くそ……血が止まらん…………やばいぞこれ……」
フォーハードはそこで、視界がにわかに、まるで白黒テレビの景色のように、見える世界のすべてが灰色に暗転しかかった。
それとともに、体が数百倍の重さにでもなったかのような脱力感に襲われ、たまらずフォーハードは、どしゃりと乱暴に片膝をついた。
典型的な貧血症状だ。
「この俺が、こんな所で……」
フォーハードは耐え切れなくなって、
このまま謎の変死体として、死後にエノハに報告されるのだろうか。
そうでなくとも、動けなくなった状態で誰かに見つかり、彼らの善意で病院にでもかつぎこまれれば、話はかくじつにエノハの元まで行くだろう。
まさかエノハも、フォーハードが女に蹴られて死にかけているとは考えていないだろうが、悪事の限りを尽くしたそのフォーハードが生きながらえて、のさばっていると知れば……そしてその世紀の悪党が弱っていると知れば、おそらく、ここぞとばかりに殺しにくるだろう。
自分ならば、目の前に手負いのアドルフ・ヒトラーがいれば、迷わずトドメを刺す。
戦うにしても抗うにしても、今のフォーハードには、時空の力は具現できない。
遠くなってきた意識が、燃料である悪感情……つまり憎悪の想いをさらっていっているのだ。
「どうしたの?」
名案も浮かばないまま横たわっていると、フォーハードのうしろ、というより、頭上から声がかかった。
男女の区別のつかないハイトーンの声色から、子供のものであることだけは、フォーハードのうつろな頭脳でもわかった。
「動けないんだね? 待ってて、お医者さんを呼んでくるから」
「ま……待て……医者はまずい。医者は呼ばないでくれ」
約90億人を
「どうしてさ、そんなに死にそうじゃないの」
子供は横にうつり、うつ伏せのフォーハードの、土のこびりついた横顔をのぞきこんできた。
「……動かなければ……なんとかなる……血も止まる……」
いや、ならないかも、と内心では考えていたが、ともかく今のフォーハードには医者から処方を受けないことが、もっとも長生きできる選択肢だった。
「そっか……なら仕方ないな」
子供はあっさり引き下がったかと思うと、フォーハードの横から顔を引っこめ、立ち去っていった。
「…………」
適当に自分をなだめすかして、医者を呼びに行ったのだろう、これで終わりか、と、フォーハードが覚悟を決めたときだった。
子供は何分かして、ひとりで戻ってきた。
「お待たせっ」
「待ってない……向こうへ行ってくれ」
「うん、テーブルの上に熱湯消毒したシーツを敷いてたから手間取ってたんだ。お湯を沸かしてて良かった。今から始めるよ」
「始めるって、何をだよ……」
「その傷口の
「ガキは
「――その傷、負ってからかなり長いでしょ」
「……なぜ、そう思う」
「包帯ににじんでる血。変色して茶色くなってる部分がある。つまり、その包帯は、ちゃんと処置をした証拠でもあるんだ。
流血は多いけど、そっちは傷口が開いたためであって、内臓から出てるものじゃあない。もしそうなら、もっとひどい顔をしてるはずだし。そこは脇腹だし、その場所に大動脈はないんだよ。だったらその出血は大量の毛細血管性出血だよ。まずは安静にして傷を5分間、圧迫止血してからの処置になるね」
「……で?」
「僕が傷口を縫ってあげる。まだ失敗したことないから、大丈夫」
「縫合をするのが初めてだ、という意味だな?」
「たしかに初めてだけど、手順は知ってるよ」
「断る」
「医者の世話にはなりたくないんでしょ? 僕はまだ医者じゃないから、安心してよ」
「……なるほどね」
フォーハードは数秒、目をつぶって言葉をためてから、ふたたび口を開いた。
「……言っておくが、金はないぞ」
「望むところさ。立てるかい」
「辛いが、なんとか」
フォーハードは、よろよろと起き上がった。
「麻酔はできないけど、我慢してね」
「最高にイヤだぞ……それしかないんだな?」
「クロロホルムくらいなら、本物のお医者さんから借りることならできるよ。何に使うかは、聞かれるけどね。そうなれば当然、僕には無理だとお医者さんは判断するだろうね」
「いや、いい……」
「決まりだね。それでだけど……あなたの名前は?」
「俺の名前か……フォ……マハト。マハトだ」
フォーハードは
「マハト……奇な名前を付けられたね。虐殺者フォーハードのファーストネームじゃないか。肌もすごく白いし、本人だったりして」
「……」
フォーハードは落ち度を踏んだと感じていた。
いまのフォーハードには、まさかマハトの名前だけで自分のことを連想されるとは、考えるだけの余力がなかったのである。
思えば、このセントデルタは白人・黒人・黄色人のまざった
フォーハードのような白肌がいれば目立つし、マハトの名前からフォーハードまで行き着くのはしごく当然だったのである。
幸いだったのは、この少年も、フォーハードが過去に水爆に巻き込まれて死んだと思っていることである。
「俺ばかり聞かれるのはつまらん……お前の名を聞きたい」
「僕? アエフ・ミンモン。お礼は生きるメドがついてからで」
そう言うとアエフは、そろいたての永久歯を見せびらかすように、大きくほほえんだ。