「ハ、ハッ、ハナーニャ! ててててメェ、通報しやがったのか! 自警団員を連れてくるとか……おまっっ、テメっっ、おまっっ!」
アイリッドが裏返った声でハナーニャを責める。
「覚悟はしてただろ、アイリッド、騒ぐな」
ヨタンが首
「これはこれは……自警団のニニナさん。こんな夜更けに、何のご用で?」
「わからないはずがないでしょう? セントデルタで私刑は禁止。にもかかわらず、なぜそこの白人はそんなにボロボロでやつれているのですか? なぜモエクは肩から血を出して、あなたに首を絞められていたのですか?」
ロナリオは階段から降りながら、ヨタンたちに
だがロナリオのその両手には槍も剣もなく、身体には防具もなく、どこからみても、丸腰中の丸腰だった。
その上、ロナリオはよたよたとしながら、あたかも一夜明けた酔いどれのような足取りで、階段を歩いてくるのである。
その頼りなさは、モエクとハナーニャに不安を、ヨタンとアイリッドには増長を芽
「あー、わかってんだろ? めんどくせぇなあ」
ごまかしや申し開きなど不可能だと判断したのだろう、ヨタンがすぐに、先ほどモエクたちと話していた粗野な口調に戻った。
「
「議論の余地などありませんね……タクマス社長にも話を聞かねばなりません。タクマスはどこです? あなたがたのリーダーなのに、なぜここに来ないのですか?」
「あいつの手を
「この件にはタクマスにも関わりがある、と認めるわけですね。では、まずは、あなたがたを
「大人しく付いていくと思ってんのかコラ! 槍試合で3位の俺に、いつだってランク外だったお前が勝てるわけねェだろが!」
「あなたはクリルにもリッカにも勝てたことはありませんからね。3位と言いましたが、それはトーナメントのクジ運が良かった時だけで、モンモにも負けていたはずですが? ゴンゲンやヨイテッツが参加していれば、もっと影が薄くなったでしょうね」
セントデルタの知識がゼロに等しかったロナリオは、モエクから聞いた情報をそらんじることで、ヨタンに対して揺さぶりをかけた。
そしてそれは案の
「ぬぐ……っ、テメェよりゃ強いってだけで充分だろが!!!」
ヨタンはロナリオに向けて飛びかかり、お得意の『暴力』での問題解決をこころみる。
普段の殺人マシーンとしてのロナリオなら、いかなる人間の打撃も効きはしないが……今回だけは、それも不可能だった。
ロナリオの関節は、細い回線でつなぎあわさったばかりなのだ。
ヨタンはロナリオの
ロナリオはいずれも防ぐこともできず、背中から地を
「弱え! 正義を語るんなら、まずは力を付けなきゃなぁ!」
ヨタンはロナリオの腹に、体重80キロの五体で腰掛け、馬乗りになった。
「い……痛い……離しなさい」
ヨタンにのしかかられたロナリオが、言葉で強く命じるが、ヨタンのほうに聞く耳はなかった。
「拒絶するね。相手の権利も主張もはねのける……わかるか、これが力だ!」
ヨタンはいきなり、いやらしく笑ったかと思うと、次にはロナリオの服の
小麦色の、大きな両乳房が、この強権者の前にさらけ出される。
ロナリオは抵抗しようとしたが、こんどはヨタンによって、両方の手首を
「! ヨタン、貴様!」
モエクが叫んで、ヨタンに飛びかかろうとしたが、その目前に、またもアイリッドが割って入ってきた。
先ほど逃げた時に、武器を調達したのだろう、アイリッドは黒曜石のナイフをちらつかせていた。
「お、お前はゆっくり、そこで待ってろコラハハハ! アハッ、ハハッ、ハハハハハッッ!」
笑いをこみ上げさせながら、アイリッドはモエクとゴドラハンを食い止める。
「お前たち……その手慣れぶり……こういうのは、今回が初めてじゃないだろう……これがセントデルタだというのか。これが、理想の世界の申し子か」
ゴドラハンが
「はっ! お前らはそこで叫んでるがいい。俺のお楽しみシーンでも見てな!」
そう言ってヨタンは、ねじ伏せるロナリオに向けて、まずは
――だが、ヨタンは……いや、モエクさえ知らなかった。
たしかに現在のロナリオには
しかしその中で、一ヶ所だけ、ホロコースターのエネルギーをぞんぶんに
そして、それをこそ、ロナリオは狙っていたのである。
ロナリオが唯一、人間を一撃で倒すのに使える場所。
――すなわち、首である。
ロナリオはヨタンの顔が近づくや、前振りも予兆もなく、その鼻っ柱に向けて、強烈なヘッドバットを食らわしていた。
常温核融合をエネルギー源とした、超火力を実現できる体力。
それは細い首から振るわれたとしても、恐ろしい破壊力を見せた。
「アコッ……?!」
ヨタンの鼻や
横から見ると、ヨタンの頭は
その衝撃波はヨタンの
「アヒッッ……??? ヘヒヒャーーーーーッッ!!??」
いきなりの展開に、アイリッドがまたも
おのれの逃げ道のほうに寝そべる、ロナリオの横を通るのを恐れたのだろう、アイリッドはモエクやゴドラハン、ハナーニャの脇をすり抜けて、監禁室の扉へ向かって、みずからドカンと乱暴に扉を閉めてしまった。
「そこは袋小路だぞ、アイリッド」
動けないながらも、膝を折ったままのモエクが助言する。
「ヘヒッッ! くるな! ばけもの!!! くるなーーーっ!」
アイリッドのほうに、耳を貸す傾向は見られなかった。
「…………」
そんなアイリッドのことは、もはや気にならないらしいゴドラハンは、真っ先にニニナのほうを注視していた。
「……その力、お前はまさか」
ゴドラハンはやっとの事で立ち上がりながら、ヨタンの死体に潰されるロナリオのほうへ歩み寄った。
「ええ……やっとお会いできたのに、こんな形式とは残念でなりません」
ロナリオはニニナの顔のまま、小さく
「いいさ……お互い、生きていたんだ」
「再会を喜ぶのはこのへんまでだ。ヨタンを動かすよ。ニニナを助けないとね。ハナーニャさん……手伝ってもらえるかい」
モエクもロナリオに近づき、うしろのハナーニャに投げかける。
「は……はい!」
ハナーニャは混乱していたが、モエクに静かに声をかけられたおかげで、なんとか茫然自失に陥るのだけは防げた。
ハナーニャは大きく返事してから、右肩に傷を負ったモエクとともにヨタンの巨体を横に押して、なんとかロナリオを救出した。
やっと動けるようになったロナリオの身体を、ハナーニャは何とか起こして、自分の上衣を羽織らせて、破れた服を隠してやった。
「ニニナさん……助かりました。あなたがいなければ、私たちは……でも、ヨタンさんは一体、どうやって……」
ハナーニャは無残な
「それには秘策があったのです。ともかく、今はそれを話す余裕がありません。一刻も早く、脱出しましょう」
ロナリオはその場しのぎで語っただけだが、この
じっさいハナーニャとしても、命も奪われそうになった場所で、頭突きで敵を倒すマジックの種明かしを、のんびりと聞くゆとりはなかったのである。
「そ、そうですね……立てますか? ニニナさん」
「何とか……それより、そこの男性を助けてあげてください」
そう言ってロナリオはハナーニャの肩越しに、ゴドラハンのほうを
「まずはモエクの家へ行きましょう。ハナーニャさんも
ロナリオが提案すると、全員がそれに頷いた。
ハナーニャは『白人』ゴドラハンに寄ると、おずおずとその手首をとって、自分の肩に回した。
「すまないね……血
「言わないで下さい。でも……」
「でも?」
「臭いのは耐えられないです……」
ジョークなのかどうなのか、ハナーニャは苦々しく、ゴドラハンの横で、そうつぶやいた。
「ははっ……、すぐに風呂に入るよ」
ゴドラハンはそう笑いかけた。
「僕が先頭に立つ。みんなは少し遅れて付いてきてくれ、いいね?」
モエクが半分に折れたラピスラズリの小剣を拾いながら提案した。
「これは持っていく。折れた剣だけど、まあ、ないよりはマシだろうからね」
「その通りですね、モエク」
ロナリオが顔色を変えずに
それからは、四人はみな無言で、
冷たい通路を戻り、ぬめった階段をたどり、地下室を区切る扉を開き、ついに地上に戻り、なんとなく安心しかけた時――
「!」
前を歩くモエクが、にわかに足を止めた。
印刷機の並ぶ一階玄関に立ちはだかるように、タクマスが腕組みをしながら立っていたのである。
「タクマス社長!」
モエクのうしろにいたハナーニャが叫んだ。
「アイリッドから、全てを聞かされていたよ」
タクマスは腕組みをやめて、地下室から出てきた4人を正面に見据えてきた。
「タクマス……お前さん、なんてことをしてくれてるんだ……やっぱり、ヨタンとアイリッドの裏で糸を引いていたんだな。彼らだけに任せて、お前さんは高みの見物か」
「そっちに行かなかったのは、ヨタンが一人いれば、何とでもなると踏んでいたからなんだが……ヨタンはどうした?」
「ヨタンか?」
モエクが折れた小剣を突きつけながら、タクマスと向き合った。
「彼は死んだよ。油断しすぎだったんだ」
「信じられんが……そうなんだろうな。しかし残念だよ、モエク、ハナーニャ。お前たちなら、理想の使徒となれるはずだったんだが」
「見当違いだよ、タクマス。初めから腐った世界を作ってしまえば、それは未来において、ただの地獄となるよ」
「それこそ幻想だ。たとえモエクが世界を作っても、ハナーニャが世界を組み立てても、いずれは同じ世界ができあがる。人間が人間である限り、人間から残虐な本性は消えはしないよ。お前が地下室で見たものは、旧代では当たり前に行われてきた。法の目の届かないところ、道徳の言葉の聞こえないところ、理屈ではなく感情が支配するところ……それらは常におこなわれた。お前なら、それがわかると思ったんだがな」
「だからと言って、初めから前世界になることを悲嘆して、何もしないのはどうなんだ。賄賂がいずれ、法の抜け穴からまかり通るからと言って、立国の初めから賄賂を許すのか? 核兵器が世界を覆うからといって核兵器を許すのか? 初めからそれを放棄すれば、旧代よりも悪い結末になるんだよ」
モエクが高ぶった表情で
「モエクさん……ここは私にまかせて」
ハナーニャが割り込んだ。
「タクマス社長……もうやめましょう。自警団にも話が伝わってしまいました。私も一緒にエノハ様の元へ参りますから……罪を認め、裁きを待ちましょう。私はこれ以上あなたが……」
ハナーニャの言葉に、タクマスは微笑みながら、首を振ったのみだった。
そしてタクマスは玄関の鍵を開けると、外向きにその扉を開いて、四人に外へ出るよう、動作でうながした。
「タクマス社長、お話を……」
ハナーニャが残って食い下がろうとしたが、その肩をモエクがつかんだ。
ハナーニャが唇を震わせながらモエクに振り返ると、モエクはただ黙って頷いた。
「自警団の仲間を呼ぶのだろう? 良いだろう、俺はここで待っているから、早く連中を寄越すんだな」
ドアの
「タクマス社長……私は自警団員ですが、ひとまず彼らを安全なところまで運ぶ義務があります。あなたを一人で放っておくことになりますが、それまで、必ず、ここから動かないこと。良いですね?」
ロナリオがニニナとしての言葉で念を押して、この場の沈静化をはかる。
ほんらいはタクマスを縛り付けて動けないようにすべきだと、ロナリオもわかっていたが、モエクもゴドラハンも歩くのがやっと(知人のハナーニャにタクマスを縛れ、とは命じにくかったし、それをする過程でタクマスが危険な賭けに出るかもしれないので、ハナーニャに頼むことは難しかった)。
ここにいる誰もが、もはや戦闘を継続する状態にはなかったのだ。
「当たり前だろう? このセントデルタでは、他に行き場などないのだからな」
タクマスは顎をしゃくってみせてから、出口への道を譲った。
「……行こう、みんな」
モエクの号令で、四人はゆっくりと、タクマスの見送る横を通って、新聞社を後にした……。
だが、脱出を果たした全員が悟っていた。
――タクマスは何も諦めてなどいない。
モエクたちを逃したのは、たんにタクマスのほうにもまた、とどめるだけの戦力が、その時にはなかったからである。
彼は必ず、何かをやる気でいる、とモエクは感じていた。
そしてその想像は、正しかったのだ――