131.ホロコースター

「ハ、ハッ、ハナーニャ! ててててメェ、通報しやがったのか! 自警団員を連れてくるとか……おまっっ、テメっっ、おまっっ!」

 アイリッドが裏返った声でハナーニャを責める。

「覚悟はしてただろ、アイリッド、騒ぐな」

 ヨタンが首めによって力なくうなだれるモエクを、石床の地面に捨てるように落とし、ニニナ(ロナリオ)をにらんだ。

「これはこれは……自警団のニニナさん。こんな夜更けに、何のご用で?」

「わからないはずがないでしょう? セントデルタで私刑は禁止。にもかかわらず、なぜそこの白人はそんなにボロボロでやつれているのですか? なぜモエクは肩から血を出して、あなたに首を絞められていたのですか?」

 ロナリオは階段から降りながら、ヨタンたちに詰問きつもんをあびせた。

 だがロナリオのその両手には槍も剣もなく、身体には防具もなく、どこからみても、丸腰中の丸腰だった。

 その上、ロナリオはよたよたとしながら、あたかも一夜明けた酔いどれのような足取りで、階段を歩いてくるのである。

 その頼りなさは、モエクとハナーニャに不安を、ヨタンとアイリッドには増長を芽えさせた。

「あー、わかってんだろ? めんどくせぇなあ」

 ごまかしや申し開きなど不可能だと判断したのだろう、ヨタンがすぐに、先ほどモエクたちと話していた粗野な口調に戻った。

拷問ごうもんだよ拷問。白人は旧代の罪人なんだから、このやりかたでモノを訪ねるのは普通だろ? そこに倒れてるモエクはまあ……ムカつくから、殺そうとしてたわけだわ」

「議論の余地などありませんね……タクマス社長にも話を聞かねばなりません。タクマスはどこです? あなたがたのリーダーなのに、なぜここに来ないのですか?」

「あいつの手をわずらわせる問題でもないんだわ。あいつには明日、捕虜ほりょが増えたことを事後報告する気だからな」

「この件にはタクマスにも関わりがある、と認めるわけですね。では、まずは、あなたがたを捕縛ほばくします」

「大人しく付いていくと思ってんのかコラ! 槍試合で3位の俺に、いつだってランク外だったお前が勝てるわけねェだろが!」

「あなたはクリルにもリッカにも勝てたことはありませんからね。3位と言いましたが、それはトーナメントのクジ運が良かった時だけで、モンモにも負けていたはずですが? ゴンゲンやヨイテッツが参加していれば、もっと影が薄くなったでしょうね」

 セントデルタの知識がゼロに等しかったロナリオは、モエクから聞いた情報をそらんじることで、ヨタンに対して揺さぶりをかけた。

 そしてそれは案のじょう、ヨタンから冷静さを奪った。

「ぬぐ……っ、テメェよりゃ強いってだけで充分だろが!!!」

 ヨタンはロナリオに向けて飛びかかり、お得意の『暴力』での問題解決をこころみる。

 普段の殺人マシーンとしてのロナリオなら、いかなる人間の打撃も効きはしないが……今回だけは、それも不可能だった。

 ロナリオの関節は、細い回線でつなぎあわさったばかりなのだ。

 ヨタンはロナリオのほおに肘を食らわせてよろめかせたのち、その無防備になった腹を、思いきり蹴飛ばした。

 ロナリオはいずれも防ぐこともできず、背中から地をうことになった。

「弱え! 正義を語るんなら、まずは力を付けなきゃなぁ!」

 ヨタンはロナリオの腹に、体重80キロの五体で腰掛け、馬乗りになった。

「い……痛い……離しなさい」

 ヨタンにのしかかられたロナリオが、言葉で強く命じるが、ヨタンのほうに聞く耳はなかった。

「拒絶するね。相手の権利も主張もはねのける……わかるか、これが力だ!」

 ヨタンはいきなり、いやらしく笑ったかと思うと、次にはロナリオの服の襟元えりもとに両手を差し込み、思い切り左右に引っ張って、その服を破り去った。

 小麦色の、大きな両乳房が、この強権者の前にさらけ出される。

 ロナリオは抵抗しようとしたが、こんどはヨタンによって、両方の手首をつかまれてバンザイの格好にされてしまった。

「! ヨタン、貴様!」

 モエクが叫んで、ヨタンに飛びかかろうとしたが、その目前に、またもアイリッドが割って入ってきた。

 先ほど逃げた時に、武器を調達したのだろう、アイリッドは黒曜石のナイフをちらつかせていた。

「お、お前はゆっくり、そこで待ってろコラハハハ! アハッ、ハハッ、ハハハハハッッ!」

 笑いをこみ上げさせながら、アイリッドはモエクとゴドラハンを食い止める。

「お前たち……その手慣れぶり……こういうのは、今回が初めてじゃないだろう……これがセントデルタだというのか。これが、理想の世界の申し子か」

 ゴドラハンがひざまずいた格好で、背を屈めながら、アイリッドと、そのうしろのヨタンをにらみつけた。

「はっ! お前らはそこで叫んでるがいい。俺のお楽しみシーンでも見てな!」

 そう言ってヨタンは、ねじ伏せるロナリオに向けて、まずは接吻せっぷんとばかりに、顔を近づけた。

 ――だが、ヨタンは……いや、モエクさえ知らなかった。

 たしかに現在のロナリオには四肢ししに力など入らない。

 しかしその中で、一ヶ所だけ、ホロコースターのエネルギーをぞんぶんに発揮はっきできる部位があった。

 そして、それをこそ、ロナリオは狙っていたのである。

 ロナリオが唯一、人間を一撃で倒すのに使える場所。

 ――すなわち、首である。

 ロナリオはヨタンの顔が近づくや、前振りも予兆もなく、その鼻っ柱に向けて、強烈なヘッドバットを食らわしていた。

 常温核融合をエネルギー源とした、超火力を実現できる体力。

 それは細い首から振るわれたとしても、恐ろしい破壊力を見せた。

「アコッ……?!」

 ヨタンの鼻やあごに埋まるように、ロナリオの頭が、まさに『食い込んだ』。

 横から見ると、ヨタンの頭は杓子しゃくし状に変形したのである。

 その衝撃波はヨタンの脳髄のうずいにまで伝わり、ヨタンはほとんど何もわからないまま、絶命してロナリオの横にくずおれていった。

「アヒッッ……??? ヘヒヒャーーーーーッッ!!??」

 いきなりの展開に、アイリッドがまたも金切かなきり声を発した。

 おのれの逃げ道のほうに寝そべる、ロナリオの横を通るのを恐れたのだろう、アイリッドはモエクやゴドラハン、ハナーニャの脇をすり抜けて、監禁室の扉へ向かって、みずからドカンと乱暴に扉を閉めてしまった。

「そこは袋小路だぞ、アイリッド」

 動けないながらも、膝を折ったままのモエクが助言する。

「ヘヒッッ! くるな! ばけもの!!! くるなーーーっ!」

 アイリッドのほうに、耳を貸す傾向は見られなかった。

「…………」

 そんなアイリッドのことは、もはや気にならないらしいゴドラハンは、真っ先にニニナのほうを注視していた。

「……その力、お前はまさか」

 ゴドラハンはやっとの事で立ち上がりながら、ヨタンの死体に潰されるロナリオのほうへ歩み寄った。

「ええ……やっとお会いできたのに、こんな形式とは残念でなりません」

 ロナリオはニニナの顔のまま、小さく微笑ほほえんだ。

「いいさ……お互い、生きていたんだ」

「再会を喜ぶのはこのへんまでだ。ヨタンを動かすよ。ニニナを助けないとね。ハナーニャさん……手伝ってもらえるかい」

 モエクもロナリオに近づき、うしろのハナーニャに投げかける。

「は……はい!」

 ハナーニャは混乱していたが、モエクに静かに声をかけられたおかげで、なんとか茫然自失に陥るのだけは防げた。

 ハナーニャは大きく返事してから、右肩に傷を負ったモエクとともにヨタンの巨体を横に押して、なんとかロナリオを救出した。

 やっと動けるようになったロナリオの身体を、ハナーニャは何とか起こして、自分の上衣を羽織らせて、破れた服を隠してやった。

「ニニナさん……助かりました。あなたがいなければ、私たちは……でも、ヨタンさんは一体、どうやって……」

 ハナーニャは無残な扁平へんぺい顔になったヨタンから目を背けたまま、たずねた。

「それには秘策があったのです。ともかく、今はそれを話す余裕がありません。一刻も早く、脱出しましょう」

 ロナリオはその場しのぎで語っただけだが、この逼迫ひっぱくした状況がそれを許した。

 じっさいハナーニャとしても、命も奪われそうになった場所で、頭突きで敵を倒すマジックの種明かしを、のんびりと聞くゆとりはなかったのである。

「そ、そうですね……立てますか? ニニナさん」

「何とか……それより、そこの男性を助けてあげてください」

 そう言ってロナリオはハナーニャの肩越しに、ゴドラハンのほうを一瞥いちべつしてから、続ける。

「まずはモエクの家へ行きましょう。ハナーニャさんもかくまわないとなりませんし……それから後のことは、おいおい考えましょう」

 ロナリオが提案すると、全員がそれに頷いた。

 ハナーニャは『白人』ゴドラハンに寄ると、おずおずとその手首をとって、自分の肩に回した。

「すまないね……血まみれな上に、ちと臭いのにな」

「言わないで下さい。でも……」

「でも?」

「臭いのは耐えられないです……」

 ジョークなのかどうなのか、ハナーニャは苦々しく、ゴドラハンの横で、そうつぶやいた。

「ははっ……、すぐに風呂に入るよ」

 ゴドラハンはそう笑いかけた。

「僕が先頭に立つ。みんなは少し遅れて付いてきてくれ、いいね?」

 モエクが半分に折れたラピスラズリの小剣を拾いながら提案した。

「これは持っていく。折れた剣だけど、まあ、ないよりはマシだろうからね」

「その通りですね、モエク」

 ロナリオが顔色を変えずにうなずいた。

 それからは、四人はみな無言で、帰途きとについた。

 冷たい通路を戻り、ぬめった階段をたどり、地下室を区切る扉を開き、ついに地上に戻り、なんとなく安心しかけた時――

「!」

 前を歩くモエクが、にわかに足を止めた。

 印刷機の並ぶ一階玄関に立ちはだかるように、タクマスが腕組みをしながら立っていたのである。

「タクマス社長!」

 モエクのうしろにいたハナーニャが叫んだ。

「アイリッドから、全てを聞かされていたよ」

 タクマスは腕組みをやめて、地下室から出てきた4人を正面に見据えてきた。

「タクマス……お前さん、なんてことをしてくれてるんだ……やっぱり、ヨタンとアイリッドの裏で糸を引いていたんだな。彼らだけに任せて、お前さんは高みの見物か」

「そっちに行かなかったのは、ヨタンが一人いれば、何とでもなると踏んでいたからなんだが……ヨタンはどうした?」

「ヨタンか?」

 モエクが折れた小剣を突きつけながら、タクマスと向き合った。

「彼は死んだよ。油断しすぎだったんだ」

「信じられんが……そうなんだろうな。しかし残念だよ、モエク、ハナーニャ。お前たちなら、理想の使徒となれるはずだったんだが」

「見当違いだよ、タクマス。初めから腐った世界を作ってしまえば、それは未来において、ただの地獄となるよ」

「それこそ幻想だ。たとえモエクが世界を作っても、ハナーニャが世界を組み立てても、いずれは同じ世界ができあがる。人間が人間である限り、人間から残虐な本性は消えはしないよ。お前が地下室で見たものは、旧代では当たり前に行われてきた。法の目の届かないところ、道徳の言葉の聞こえないところ、理屈ではなく感情が支配するところ……それらは常におこなわれた。お前なら、それがわかると思ったんだがな」

「だからと言って、初めから前世界になることを悲嘆して、何もしないのはどうなんだ。賄賂がいずれ、法の抜け穴からまかり通るからと言って、立国の初めから賄賂を許すのか? 核兵器が世界を覆うからといって核兵器を許すのか? 初めからそれを放棄すれば、旧代よりも悪い結末になるんだよ」

 モエクが高ぶった表情で持論じろんをぶちまける。

「モエクさん……ここは私にまかせて」

 ハナーニャが割り込んだ。

「タクマス社長……もうやめましょう。自警団にも話が伝わってしまいました。私も一緒にエノハ様の元へ参りますから……罪を認め、裁きを待ちましょう。私はこれ以上あなたが……」

 ハナーニャの言葉に、タクマスは微笑みながら、首を振ったのみだった。

 そしてタクマスは玄関の鍵を開けると、外向きにその扉を開いて、四人に外へ出るよう、動作でうながした。

「タクマス社長、お話を……」

 ハナーニャが残って食い下がろうとしたが、その肩をモエクがつかんだ。

 ハナーニャが唇を震わせながらモエクに振り返ると、モエクはただ黙って頷いた。

「自警団の仲間を呼ぶのだろう? 良いだろう、俺はここで待っているから、早く連中を寄越すんだな」

 ドアのかたわらに立つタクマスが、静かに語った。

「タクマス社長……私は自警団員ですが、ひとまず彼らを安全なところまで運ぶ義務があります。あなたを一人で放っておくことになりますが、それまで、必ず、ここから動かないこと。良いですね?」

 ロナリオがニニナとしての言葉で念を押して、この場の沈静化をはかる。

 ほんらいはタクマスを縛り付けて動けないようにすべきだと、ロナリオもわかっていたが、モエクもゴドラハンも歩くのがやっと(知人のハナーニャにタクマスを縛れ、とは命じにくかったし、それをする過程でタクマスが危険な賭けに出るかもしれないので、ハナーニャに頼むことは難しかった)。

 ここにいる誰もが、もはや戦闘を継続する状態にはなかったのだ。

「当たり前だろう? このセントデルタでは、他に行き場などないのだからな」

 タクマスは顎をしゃくってみせてから、出口への道を譲った。

「……行こう、みんな」

 モエクの号令で、四人はゆっくりと、タクマスの見送る横を通って、新聞社を後にした……。

 だが、脱出を果たした全員が悟っていた。

 ――タクマスは何も諦めてなどいない。

 モエクたちを逃したのは、たんにタクマスのほうにもまた、とどめるだけの戦力が、その時にはなかったからである。

 彼は必ず、何かをやる気でいる、とモエクは感じていた。

 そしてその想像は、正しかったのだ――

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