133.立てこもり

 そうしてハナーニャは深夜に自警団へ走ったものの……モエク宅で余分なステップを踏んだせいか、それとも、初めからタクマスがこうなることを見越して準備していたためか、全てが手遅れとなった。

 ハナーニャから報告を受けたリッカが、セントデルタ新聞社に乗り込んだ時には、すでにタクマスはそこから失踪しっそうしていたのである。

 エノハの塔の外壁にはいくつも監視カメラが備わっているから、せ物の捜索も犯罪者の探索もたやすいもの……とセントデルタ民には思われがちだが、タクマスはそれらがカバーできていない、わずかな間隙を縫って、新聞社から脱出したのである。

 おそらくそれからは変装を繰り返し、タクマスの支持者の家で潜伏を続けたのだろう。

 そして自警団もエノハも、タクマスを見つけることができないまま、3日が過ぎた。

 その日の深夜3時。

 ――セントデルタじゅうに聞こえるほどの、大きな爆発が起こった。

 アレキサンドライトの塔の建つ、エメラルド・ペリドット通りとは反対の、アメジスト通りで、人質たてこもり事件が発生したのである。

 大通りから奥まったアパートの三階に住む、14歳の少年が、複数のタクマス派の男女に暴れ込まれて、囚われの身となったのだ。

「俺たちが望むのは一つ! エノハ様のご退位だ! 神位をわれわれ全ての人類に譲りわたすのだ! 人を統べるのは人であるべきだ!!」

 捕虜となった少年の頸動けいどう脈にルビーのナイフを押し当てつつ、藍色のタンクトップを着た強壮きょうそうな男が、三階ベランダから身を乗り出し、爆音に誘われて駆けつけた自警団員数人を見下ろしながら、そう叫んでいた。

「ここへエノハ様を呼べ! これは交渉ではない!! 来なければセントデルタの未来に深い傷跡を残すだろう!」

 男は大仰おおぎょうな口上をわめき散らし、アメジスト通りの人々を刺激し、逆撫さかなでし、挑発を続ける。

 そうして、タクマス派の主張が、エノハに無視され続け、ひたすら空を切っているうちに朝を迎えた。

 そのころには、自警団員の大半が鎮圧のために、そこへ集まっていた。

 タクマス捜索を預かる団長リッカもまた、弓矢に自信のある者を4人ほどあつめ、現場から100メートルほど離れた家の屋根に陣取っていた。

「あの中にタクマスがいるのかな」

 リッカは、みずからが率いる4人の部下とともに、テロリストのこもる家から死角にある、アメジストとロードライトのないまぜになった屋根の平部ひらぶにしゃがんで、つぶやいた。

「団長。いつでも狙えます」

 リッカと同じく屋根のうしろに隠れる副官の女が、弓の弦に矢をあてがいながら、うなずいた。

「白兵戦担当の団員は、ギリギリまで人質の家に近寄れてる?」

 リッカが副官にたずねる。

「はい、われわれの合図があれば、いつでも突入ができます」

「そっか……じゃあ、始めるかね」

「弓矢の技術では、リッカ団長のようにはいかないかもしれませんが、それでも頑張ってみせます」

「ごめんね、こんな身体でなければ、あたしも前線で暴れるんだけどね」

 リッカは包帯にくるまれた右腕に、はばかりながら目くばせした。

 もはやリッカは、往年に見せた神業かみわざのごとき弓術や槍術を披露ひろうすることは、できなくなっていた。

 部下たちはこれを心底悲しんだが、それ以上に打ちのめされているのは、リッカ当人だ。

 だが今のリッカは、最後の日まで、自警団長を続ける気になっていた。

 クリルを失い、ノトを身罷みまかったリッカにとって、自警団の仕事は、リッカ最後の持ち物だからだ。

 ――と言っても、こう考えられるようにしてくれたのは、モンモの奴なんだけどね……。

 ――たとえ、それをあたしが捨てても、モンモはあたしに優しくしてくれるだろうけど……でもやっぱり、人間に必要なのは、尊厳だと思うんよ。

 ――あたしはたぶん、自分の最後の尊厳のために、ここにいるんだ……。

 ――クリル……あんたは、そう言ったらどう返すの?

 ――笑うの? 怒るの?

 ――両方やりそうだよね、あんたなら。

「言わないで下さい。私にとっては、あなたのお役に立てるチャンスなんです」

 そう言ってから副官は、部下の男女に短く指示をすませると、3人で並ぶように匍匐ほふく姿勢になって、ギリギリまで屋根の平部へ近づいた。

 ――彼女たちは、あたしを信じてくれてる。

 ――クリルを殺した、ぶきみな自警団長として、あたしを嫌う人も増えてるのに。

 ――捨てる神あれば拾う神……か。

 ――弟殺し、親友殺しのあたしでも、目標にしてくれる人はいるんだ……。

「なら……やりきらないとね」

 リッカは心に浮かぶ感慨かんがいを口にしてから、左手をあげた。

 それにあわせ、4人の部下はうつ伏せをやめて片膝で立ち、弓をつがえて目標へ狙いを定めた。

「……撃て!」

 その言葉とともに、リッカが手を下ろすと同時に、団員たちは前方で人質を取るタンクトップの男に向けて、矢を放った。

 先陣を切った誰かの1本の矢は、はずれて窓枠に突き立てられる。

 だが、残りの三本の矢は、人質のうしろで、あたかも世界でも手に入れたように息巻いているタンクトップ男の両目と、口の中に突き刺さっていった。

 すると、ベランダ下で、まんじりともせずに戦闘態勢に入っていた団員たちが、タンクトップ男に突き刺さった矢を見たとたん、「突撃!」と叫んだ。

 そうして地上の自警団員はいっきに人質宅へ乗り込んで、もみあいになりながらタクマス派への攻撃を始めていった。

 狭い家屋での戦闘を想定しているからだろう、自警団員はみな槍ではなく小剣やなた、ダガーなどで武装していた。

「第2射、用意!」

 リッカは屋根から敵陣を監視しながら、厳しい声で命じた。

 人質にナイフを当てていたタンクトップ男の殺害には成功したが、立てこもり犯の数は不明なまま。

 あとから出てくる他の犯人に、いつでも対処できる状態を維持する必要があったのだが……その目論見もくろみは、うまく機能しなかった。

 団員たちが矢を弓につがえる動作を終わらぬうちに、別の、細身に黒い長袖を着た男が鬼の形相ぎょうそうで、ふたたびベランダに立つ少年の背後に組みかかり、人質の権利を奪おうとしたのである。

 もう一度、部下が弓矢を放つには――あまりにも時間が足りない。

 その上、眼下に展開している自警団員の突入も、ほとんど完了していない。

 このまま少年が人質の立場に引き戻されれば、自警団員はいったん、全員が退くしかなくなる。

 最悪の場合、少年の命も危うくなるだろう。

 そう結論づけたリッカの行動は、すさまじく俊敏しゅんびんで、大胆だいたんだった。

 リッカは自警団長として任務につくとき、必ずベルトをタスキがけにして、それにアメジストの投げナイフを数本、差していた(クリルとの戦いの時にも、もちいた武装である)。

 リッカはそのベルトに縫い付けた牛皮シースからナイフを抜き放つと、100メートル近く離れている目標へ向けて、指の間にそれを構え、思い切り、もっとも飛距離が稼げると言われる45度角の向きで投げつけた。

 投げナイフの射程は、せいぜい20メートルほど。

 100メートルというのは、150グラム程度のアメジストのナイフで飛び切るのは不可能ではないが、あまりにも現実離れした距離だった。

 にもかかわらず、リッカの投げたアメジストのナイフは、まるで車輪かと疑いたくなるほど激しいスピンを描きながら、大きな放物線をたどって、少年に組みかかる男の左腕に食い込んでいったのである。

 ――当たった!

 リッカはそれを見るや、すぐさま屋根の雁振がんぶりに足をかけ、叫んだ。

「飛び降りろ!! 団員が受け止める!」

 聞こえるはずがないとリッカは悟っていたものの、人質にされた少年は、リッカの声に操られたかのようなタイミングで、身投げでもするように、三階ベランダから身体を放り出した。

 その身体は、たまたまその下にいた自警団員の中でも、とりわけ体力自慢の男に受け止められた。

 だがさすがに、三階から40キロはありそうな人間を抱きとめたためだろう、受け取るほうも受け取られるほうも、アメジストの敷石に、張り付いたもちのように倒れていった。

 リッカや部下たちが固唾かたずを飲んで見守っていると、受け止めた男がゆるやかに片手をあげて、親指を立てた。

 それが、再突入の合図となった。

 固まっていた自警団員たちは、まるで土石流のような流れで建物に突っ込んでいった。

「良かった……あたしたちも行くよ」

「ダメです」

 発奮はっぷんしきったリッカに、副官からストップがかけられた。

「団長はダメです! まともに戦える身体じゃないでしょう?」

「関係あるかい。今のナイフ見たでしょ? あたしも行くんよ!」

 けっきょくリッカも、小剣を部下からふんだくって、戦地へと突っ込んでいったが、その頃にはほとんど鎮圧ちんあつは完了していた。

 ――そう、タクマス派の人々が8人で犯行におよんだのは判明したのだが、肝心かんじんのタクマス本人はいなかったのである。

 これは、陽動だったのだ。

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