134.カリスマ

「もうすぐだ。もうすぐ、人類の世界が帰ってくるぞ」

 タクマスが、みずからの率いる人々にそう語る場所は、リッカたち自警団がアメジスト通りの隅で戦っている所とは正反対の、アレキサンドライトの塔。

 人間2人分の高さの門口前に、タクマスは200人もの人々を連れて立っていた。

 500人以上いたタクマス支持層のうち、この戦いへの決意をしたのは、200人もいることになる。

 200名。

 これは平和きわまりないセントデルタにおいて、異様な数と言えた。

 人が血と生命をして革命に参加する状況とは、実のところ、かなり限られる。

 恋人や家族、生きるだけの財産や仕事があれば、政府が何をしても、少しぐらいの不満は、たいてい腹の底に飲み込まれるのである。

 富裕な国では政治家が汚職を働いたからといって革命は起きず、政治家が陰謀いんぼうで市民を殺そうとも革命は目覚めず、官僚が警察を操って情報をもてあそんでも、革命に発展はしない。

 陰謀いんぼうで他国を滅ぼしても自分の生活に弊害がなければ革命は芽吹めぶくことはないのである(ただし、これらにはデモなら起こる。とはいえ、デモ止まりである)。

 おのれの生活に迷惑さえかからなければ、人々は革命などに参加しないのである。

 隣国の圧政に苦しむ国民のために、裕福な国の他国民が一丸となり、私生活を捨て、冨を捨て、家族を捨て、故郷を捨てて救出に行ったことは、歴史の中で一度もないことが証明している(ただし富裕な国の文物が、他国の革命に影響を与えることは良くあった。ジャスミン革命では旧代で流行していたTwitterという媒体ばいたいがきっかけとなったが、これがなければ、ジャスミン革命は大きな火種とはならなかった)。

 革命の起爆剤きばくざいは、いかに多くの人々の生活や生命活動が阻害そがいされているか、にかかっているのである。

 タクマスが利用したのは、そこだ。

 タクマスは彼らをたばねるのに際して、使ったものがあった。

 ――ヨタンの遺体である。

 モエクたちとの衝突しょうとつのあと、タクマスは自宅から自警団の手を逃れて落ち延び、支持者の家に転がり込むことで、戦力を集めていったわけだが、そのさいにヨタンの死体を用いたのである。

 そして逃げ込んだ先で、支持者に向けて、怪死体にひとしいほどに、顔面のつぶれたヨタンの遺体を見せ、自分は暗殺されかけた、たまたま社内にいたヨタンはエノハに殴られて殺された……とタクマスが言い張ったのである。

 こうすることでタクマスは、この運動に参加する全員が、等しくエノハの聖絶の対象だと曲解きょっかいさせたのだ。

 旧代でも行われていた、戦時下の国民教育と同じだ。

『敵はお前を捕まえれば拷問死させる気でいる。それがイヤなら戦いに加担し、勝て。勝てなければ、死ね』である。

 かくして、その200人は、みごとにタクマスの手足となった。

 そしてタクマスの指示する通り、彼らは自らが生き残るため、おのおのの手に沸騰ふっとうした湯桶ゆおけを持ったのだ。

「ただ……この作戦は」

 と、タクマスは、誰もそばにいないことを確認してから、不安を口にする。

 実のところ、あの日の会談でモエクがタクマスに語ったこの作戦は、全容まで話し尽くされていないのである。

 湯桶をひっくり返して、その湯気によって、塔内のARLWSアールゥスの目くらましを試み、あるいはカメラ自体をくもらせ、その間に脚立きゃたつを用いてARLWSを縛り上げ、つちで破壊する……というところまではモエクは教えてくれたが、それ以降はどうするか、までは聞けなかった。

 その話を聞く前にタクマスが、コーヒーを持ってきたハナーニャを、ほとんど恫喝どうかつする勢いで怒鳴り散らしたことで、モエクとの話し合いを中断してしまったからだ。

「……ハナーニャのやつ……邪魔をしてくれたものだ。次に見つけたら……許してはおかんぞ」

 イライラしながらタクマスが独白どくはくしていると――

「あっっ、タクマスさんん~~~~!」

 さらにイライラをつのらせる声が鳴り渡った。

 タクマスのうしろから、アイリッドが耳障みみざわりなほど高音の声をかけてきたのである。

「アイリッド……」

 タクマスは怒りをなんとかコントロールしながら、つとめて普通に返事する。

「入口の両サイドにっ、杭を打ち終わりました~~~~~~~っっ~~っっっ~~~~~~っ」

「よし……なら、始めるぞ。俺にも湯桶を」

 タクマスが決意をこめて、アイリッドの足元の湯桶を指差すと、アイリッドは農夫らしい屈強くっきょうさで、それを軽々と持ち上げ、タクマスに渡してきた。

「タクマスさん~~~~っ、僕は行かなくて……行かなくていいんですか???」

 アイリッドが不満そうな顔をするが、声音こわねはわずかに明るいことを、タクマスは見抜いていた。

 アイリッドは、自分が死地に向かわなくていいことを、内心では喜んでいるのだ。

 好んで命を捨てる人間ばかりを置いておけば、これだけの勢力になりはしなかったことを、タクマスは心得こころえていた。

 自分の危険にさえならなければ、いくらでも他人に便乗してくる、軽薄なタイプ。

 ――こういう人間も、俺には必要だったんだ。

「お前はいい。ここに、大事な役目があるだろう?」

 タクマスはアイリッドの握っている、大きな木槌きづちに向けてあごをしゃくった。

 アイリッドには、塔の入り口の両脇に杭を打っておくように命じてあった。

 タクマスたちが『進軍』したのちには、この二つの杭に麻で編んだロープを多重に張らせるためである。

 タクマスのために参加する200人の反エノハ派だが、やはり目の前のアイリッドのように、いざという時に逃げ出しそうな人間は、山ほどいるだろう。

 アイリッドは、それを防ぐため、ここにロープを結ぶことで、人々の退路を断つのが役目となる。

 ――背水はいすいの陣。

 人々が、いかなる感情を表そうと、タクマスの思った方向に押しやるには、これしかないのである。

「……みんな、すまんな。だが、こうしないと、俺たちに未来は開けない。誰か1人が生き残り、エノハの死体の上に立っていれば良い――未来のために」

「未来のために」

「未来のために」

「未来のために!」

 タクマスが簡単にめくくった言葉を、従う人々が、強い口調で唱和しょうわした。

 そして、誰からともなく、おのおのが腰にわえつけていたビールボトルをつかむと、それを一気にあおっていった。

 酒は、古代から恐怖を和らげるために使われてきた。

 戦争におもむく兵士も、昔はこうやって闘志を維持したのである。

 ただし、この場でタクマスだけは、しらふで指揮しきをしなくてはならなかったため、酒は飲まなかった。

「行くぞ、みんな」

 全員が飲み終わるのを見てから、タクマスが大声で述べると、200人の男女も、沸騰ふっとうした湯桶を持ち、ARLWSの待ち構える一階エントランスへ、ゆっくり進んでいった。

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