136.理を超えて

 ――同じ頃。

「タクマスが……アレキサンドライトの塔へ行った、と?」

 自宅で、布団をかぶって仰向あおむけになるモエクが、横で見守るアエフを見ずに、あたかも天井を凝視ぎょうしするようにつぶやいた。

「はい……」

 アエフがかすれた声とともに、うなずく。

 2日前、モエクはとつぜん、食べた食器を片付けようと廊下を歩いていたところ、強い脱力感に襲われて、倒れこんでしまったのである。

 それからというもの、モエクの容態ようだいは、みるみる悪くなっていった。

 そして今日の昼、ついに身体を起こすことさえできなくなってしまったのである。

「タクマスにはすべてを語れなかった…………ARLWSアールゥスの、突破方法しか話せなかったんだ……それがやまれる」

「ARLWSさえ倒せば、エノハ様と決着はつけやすくなるんじゃ?」

「それだけじゃダメなんだ……あの塔は、原始的な武器を持つ僕たちには落とせないような、とんでもない武装を控えさせているんだよ……おそらく、フォーハードが世界をこんな目に遭わせなければ、今頃の主力はあれだったかもしれない」

 モエクは強い息苦しさを隠しながら、アエフに説明する。

 ――ギリギリまで、彼には強がらなきゃな……。

 ――僕がせ我慢する理由をくれた、大事なアエフ。

 ――お前さんがいなければ、僕はたぶん、ここまで頑張ることもなかっただろう……。

「ARLWS以外にも、武装が? 聞いたことがありません」

「エノハは公表していないからね……もともとあの塔に住んだ経験のあるゴドラハン一派が、ここにいなければ……僕だってわからなかった。

 一階セキュリティが突破された時、あの塔は本当の力を人々に対して振るうんだ……『あの兵器』は、ARLWSが壊されたら、49階のガレージで待機状態から目覚めるようプログラムされていたんだよ。それを防ぐためには、ロナリオのハッキング能力が必須ひっすだったんだが、もはや後の祭りだ」

 モエクは布団ふとんの上で歯みした。

 ほんらいの計画としては、タクマスの力を借り、湯気の策を用いてARLWSを無力化したあと、ロナリオとエノハの塔をコードでつなぎ、ワームウイルスを使って、塔の制御を奪うつもりだった。

 そうすれば、ARLWSの破壊されたのちに覚醒かくせいする『その兵器』と戦わずに済むはずだったのだ。

「……塔がエノハの物のままであるなら、あれが出るのは間違いない…………タクマスたちは、あれの力の前では、戦うどころか、生き残ることさえ不可能だ」

 モエクは身体を起こそうとしたが、アエフには身もだえするようにしか見えなかった。

「動いちゃダメです、モエク」

「……弱ったもんだ」

 モエクは片腕を上げて、自分の眼前にさらした。

 腕は長い間、湯船にでもかっていたかのように、ふやけてふくらみ、体調がいちじるしく変化していることを示していた。

 ――アポトーシスの最終形態である。

 痛みはない。

 だが、自分がこれから死ぬのだということへの、ぶきみな恐怖きょうふは心のそこかしこに立ちこめている。

 しかし目の前で悲しみに暮れる、弟のような、息子のような、親友のような子供を見ていると、それに打ち勝てそうな気持ちも込み上げてくる。

 だからモエクは、その目の前の子供に、ありったけのいつくしみを混ぜながら語りかけた。

「なあ、アエフ、頼みがあるんだが」

「何なりと……何だって聞きますよ」

 答えるアエフは背を丸め、声を震わせていた。

「そこにリッカの奴が持ってきた包みがあるだろう? それから、僕のノートも」

 モエクは枕から微動びどうだに動かず話した。

 が、アエフには、窓のそばにある、ピンクの風呂敷ふろしきのことだと悟ることができた。

 その近くには、たしかに木製コイルノートも置かれていた。

「はい……それが?」

「その2つを…………ここの事が終わった後で、ファノンに渡してほしい。彼はいまエノハの塔にいるんだったかな……自分のヘンテコなミスのために……ちょっとはマシになってきたとめようかと思っていた矢先に、これだ……どこまでも世話の焼ける男だよ」

「ファノンの家の玄関に置いておきます。あと、その言葉も、ファノンに伝えておきますね。ファノンはあんまり人の話を聞かない人ですけどね」

「覚えておいてもらえれば、それで良いさ」

 モエクは小さく微笑ほほえんでから、続けた。

「あー……アエフ。ロナリオと、ハナーニャを呼んでもらえないか。ゴドラハンは動けそうか?」

「ゴドラハンさんは無理です。傷の治り方が尋常じんじょうじゃありませんけど……それでも、ここに連れてくるのはきついと思います」

「すまないね……彼にお前さんの部屋を貸してもらって」

怪我人けがにんですし、仕方ありませんよ。僕はどちらかというと、ハナーニャさんがロナリオさんと一緒の部屋に住むことが、初めは不安でしたよ」

「でも、うまくやってるだろう? 2人とも、良い人なんだよ……」

「……その通りですね」

 アエフはうわずった声で、同意した。

「さあ、ロナリオたちを、ここへ連れてきてくれ……早めに頼むよ」

「はい…………はい」

 アエフはモエクを少しでも記憶に収めようとするように、何度も振り返りながら、部屋の扉から出て行った。

 アエフのいなくなった扉を見る気力もないモエクは、一人、枕に頭をうずめて、思案にふけった。

 ――音速をつらぬき、光速をしのぎ、理を超えて……そんな気持ちで、生き急いだ人生だったと思うよ。

 ――2つほど、わかったことがある。

 ――ひとつは、80年の人生でも、20年の人生でも、けっきょく与えられてみれば、どちらも短いと感じるのだろう、ということだ。

 ――人間がそなえる、従来の寿命で生きていても僕はきっと、不平を言っていたに違いない。

 ――でも、そうじゃなかったんだ。

 ――いかに時間を使うかが大事なんだ。

 ――いかに、人に伝えるかが重要なんだ。

 ――これは、いくら命が長かろうと、短かろうと、金を持とうと、持つまいと、健康だろうと、そうでなかろうと、関係のない話なんだ。

 ――よくよく思えば、僕は幸運だった。

 ――伝説になるかもしれない時代を、この目で見て、干渉かんしょうする資格を与えられたのだから……。

 ――それからもう1つは、永遠の命を持つ者と、持たないものの結末についてだ。

 ――人間の想いってのは、血を越えて、時を越えて、言語も越えて、ずっと受け継がれる遺産として、残っていくものなんだ。

 ――だが、永遠の命を持つ者はどうなんだ?

 ――つねに自分の中から湧き上がる、怠惰たいだとの戦いだ。

 ――しかもその戦いは、当人が敗北するまで続く。いくら勝とうが、その先は無間地獄むげんじごくだ。

 ――そして、ひとたび怠惰におちいれば、周囲のものに驚異きょうい的な悪事をばらまくようになるんだ。

 ――終わらない休みの中で、宿題をやる人物が、どこにいる。

 ――人間とは、恵まれれば恵まれるほど、感動しなくなる生き物だ。頭でっかちになる生き物だ。

 ――喜びを知らず、悲しみに気付かず……殺してもわからず……ただひたすら地球の資源を食いあさる。

 ──だけど僕はセントデルタの人間として、幸いにして、恵まれなかった。

 ――皮肉なものだ。ちない者の想いは朽ち、朽ちる者の想いは、生きながらえるのだ。

 ――僕はこのまま終わるけど、僕の意志は、ファノンが、アエフが、しっかり受け継いで、未来に届けてくれる。

 ――そういう仲間にめぐり会えたのは、良かったと言えるよ。

 ――死ぬのは怖い。

 ――やりたかったこと、やり残したこと、やりきれなかったこと……いまも生きることに、うしろ髪を引かれている。

 ――それでも僕は願う。

 ――続く者への幸福を。残ったものの未来を。

「はは……僕はてっきり机に突っして孤独死するもんだと思ってたが……思った以上に、そばに人がいて……………………これは……上々じょうじょうな…………」

 モエクは言い切る前に、まぶたを閉じた。

 そうして強くなってくる、ふしぎな眠気に身を任せると……そのままモエクの意識は、静かに暗転していった――

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