14.アレキサンドライトの塔で

 アレキサンドライトの塔、二階正面にある、応接広間。

 このアレキサンドライトの塔はエノハが建てたものではなく、もともとはこの地から輩出された与党の幹事長という人物が、当時、世界的に有名だった建築アーティストに依頼して作らせたものだ。

 敷地面積は1ヘクタール、つまり100メートル×100メートルで、塔の高さは236メートル。

 当時はデパート・ビルディングとしてスタートしたらしく、一階エントランスは背の高い窓ガラス(現在は薄いアクアマリン宝石窓)になっており、間取りの広い通路が、エレベーター脇の階段まで伸びている。

 当時そこではブティックや宝飾品、靴などが飾られる高級ショップが並んでいたそうだが、現在はそれらはなく、通路上やアクアマリンガラスの向こうには、小型雑務ロボットがせっせとそれらを磨き、あるいは、窓の向こうには、人々が運んだものだろう、街の新聞や書物などが、分別前に積み重ねられている。

 周囲を飾るものといえば、外装と同じアレキサンドライトの宝石壁面と、その壁を薄暗く照らす太陽光発電のランプに、なにか太いチューブやコードに繋がれた、天吊式のセントリーガンが8丁(ARLWSアールゥスとか言うらしい)。

 そして二階は、もとは雑貨や家具などが展示された空間だったらしく、それらを取り払った現在は、ひたすらだだっ広い広間に低めの牛皮ソファが、低いテーブルをはさんで向き合っていた。

 ここが殺風景なのは、これからも積み重なっていくセントデルタの歴史の中で、多くの新聞や書物などが増えていく時のため、室内にゆとりを持たせているためだ。

 エノハ自身があまり調度品にこだわりがないため、というのもある。

 当人いわく、人間だったころから、あまりにも物のない中で用を満たしていたため、もう慣れてしまったそうだ。

 ただ現在、その二階応接広間の、ソファの背もたれに片手を置いているエノハは、すこぶる機嫌が悪かった。

 眉間みけんにはほんのりシワが入り、人差し指はいらだたしげにソファの肩を小刻みに叩いている。

 理由はふたつ。

 ひとつは、いま目の前で、敗残兵のように後ろ手に縛られて膝をつくノトから、ファノンの力の暴走を聞いたこと。

 そしてもうひとつは、クリルからの報告で、フォーハードがファノンへの接触をしたと聞かされたこと。

 その話を聞いたときから、エノハはずっとこの表情だった。

「殺人未遂にもかかわらず、一週間の独房という寛大な処置、痛み入ります……ですが、それならあの男もそうなるべきでしょう」

 ノトはみずからに刑の執行が課されたにも関わらず、興奮ぎみに進上した。

「あの男……? どの男のことだ」

 エノハはいつもは使わない、意地悪げな言い方で聞き返した。

 殺人未遂の罰は、ほんらいは一週間どころか、2年から5年。

 それを一週間にしたのは、ファノンに課される罪と相殺したからだ。

 ノトが一週間の独房入りなのに、ファノンはお咎めなしなのにも、理由があった。

 わずかにノトのほうが罪が重かったのは、ファノンは異形の力でノトを焼く直前、幼馴染の一言でやめたのに対し、ノトのほうは、力でねじ伏せられなければ、殺人を果たす気だった、という違いにある。

 ファノンはともかく、ノトが世間に出れば、また殺人を働く可能性がある。

 それでも処罰を軽くしたのは、自警団長リッカのためだ。

 フォーハードが暗躍するいま、大権を持つリッカの弟に厳罰を処して、リッカの気概をそこねることは避けたかった。

 それに、ノトの罪を重くすれば、おのずとファノンにも数年の禁固を言い渡さないとならない。

 時空をまたぐフォーハードなら、どこにファノンがいようと、そこに行って、ファノンに持論じろんを吹き込むことができるだろう。

 ファノンが暗い独房の中で、ほとんど何もできない中で、毎日フォーハードの闇の信念を説かれれば、どうなるだろう。

 フォーハードはかつて、自分が資本を得るために石油王を洗脳した経歴がある。

 意見の違う、赤の他人の力を自分のために使うには、洗脳はたしかにひとつの手段だ。

 それを、フォーハードがやらない理由がなかった。

 つまり、ファノンを一人にはできない。

 ファノンを、セントデルタを守るため、エノハは初めて、政治的な理由でノトの罪を軽くする決定を下したのである。

 これまでにない最悪な状況と、そのためにみずからの理念を曲げなくてはならない自己嫌悪が、エノハを苛立たせるのである。

「ファノンです。あの男は化け物です。あれが生きていると、大勢の人々が死ぬことになります!」

 そんなエノハの内心を知らないノトが、前のめりになりながら吠えたが、ノトの腕を縛る紐をにぎるリッカが、馬の手綱を引くように、その動きをいましめた。

「それをお前が言うか。お前が生きていることでも、少なくとも確実にふたり、つねに死の危険が迫っていることになるのにな」

「そ、それがエノハ様の意思に反するなら、私はもう、そのようなことはしません!」

「ほう、神の前で誓いを立てたな? もしも破れば、次こそ厳罰だぞ……もうこれ以上、話すこともない。連れていけ」

「……はい」

 リッカがうなずくと、白いオパールの扉のそばに控えていた二人の自警団員が、ノトの両脇をつかんで、入ってきた扉から出て行った。

 その扉は過去にあった自動扉というもので、手の力を用いなくとも、勝手に左右にスライドして通行人に道をゆずった。

 広間には、エノハとリッカだけとなった。

 だがエノハはまだ考えがまとまらず、うつむいて考えこんでいた。

「あの……エノハ様……どうしてノトの罪を、あれほどまでに軽くなされたのですか?」

「厳罰にして欲しかったのか? 弟にも手厳しいな」

「いえ、そういうわけでは……でもファノンへの配慮だけでは、それが説明できない気がするんですが」

「そうだな……お前たち自警団には語っておこうか」

 エノハが顔を上げてリッカをまっすぐ見つめたから、リッカもわずかに背をただした。

 リッカはこんな表情のエノハなど、見たことがなかった。

「……フォーハードが、この街に潜伏している」

「フォーハードが? 史上最凶の殺戮者ですが、あれは500年前の人間ですし、自分の設置した水爆で死んだはずです」

「今さら隠してもしょうがないな。奴には超能力がある。時間と空間をワープする力だ。南極を水爆で破壊した時、奴は時空を飛んで逃げおおせたのだ」

「……にわかには信じがたい話ですが……つい二日前にもファノンの力を見たばかりだし……それにエノハ様のお話だからこそ信じます」

「ありがとう、説得の手間がはぶける」

「フォーハードだとして、私たちはどうすれば。まずは触れを出して、フォーハードが生きてこの街に隠れているから、見つけ次第、通報を、と言うべきでしょうか」

 リッカは心細げに進言した。

 ツチグモにも臆さず攻撃をこころみたリッカでも、さすがに100億の人間を相手にしたフォーハードには鼻白はなじろんだのである。

「それは無用の混乱と不安をまねく。それに奴を刺激すれば、破壊作業の続きを始めることだろう。奴にとって、たかだか1万人のセントデルタ人を全滅させるなど造作もない」

 エノハは顎に手を添えながら神意をのべたが、それは誤りだったと、あとで悔いることになる。

 いまフォーハードは、道端で出くわした子供に施術をおこなわれ、生死の境をさまよっているのだ。

 ここでフォーハードを見つければ、たやすくその息の根を止められ、この危機を乗り越えられたはずである。

 エノハも、クリルがフォーハードの脇腹に鋭い蹴りを喰らわせたのは知っていたが、まさかフォーハードがそれで死にかけているとまでは、思わなかったのである。

「では、いかがなさいますか」

「触れはなしだ。だが自警団員には、色白な男を見かければ、捕縛はせず、深追いもせず、私に報せにこいと伝えよ。くれぐれも相手を刺激しないように。奴はほかの大陸に闊歩かっぽしている殺戮機械を召喚することもできる。このあいだのツチグモも、それで呼び寄せたのだろう」

「そもそもフォーハードは、いったい何をしにここへ来たのでしょう。あの男は生命の絶滅が目的のはず。それなら潜伏などせず、さっさと行動に移せばいいのに」

 リッカが素朴そぼくな疑問を呈したが、それはまさにエノハも先ほどまで自問していたことだった。

「おそらくフォーハードの狙いはファノンだ。あの子の力は超弦とやらに関わるものだと、クリルが言っていた」

「チョウゲン……?」

「万物の根幹をなすものだ、とだけ。ともかく、その根幹をあやつることが、ファノンにはできるのだ。このままフォーハードの思うままにファノンを利用させるわけにはいかん。あの子を、守ってやってくれ」

「かしこまりました……そのように」

 リッカは頷いたが、内心は複雑だった。

 弟をケガさせた人物を、ていねいに守護することに、言い知れぬ抵抗感があった。

 それにファノンの力がまた暴発するとき、おそらく自警団員の誰かが、そばで見ていることになるだろう。

 ――その時、あたしはファノンをかばえるだろうか。

 ――かばいたい、と思えるだろうか。

 そんな不安をかかえながらも、リッカはそれを顔に出さず、続ける。

「あと、エノハ様」

「なんだ」

「その……ノトの話なんですが……ファノンをこれから、どうされるおつもりですか」

「お前ならどうする?」

「わかりません……あの子は15歳になる今まで、あんなことはできなかった。これから、ああいうことが起こらないとは限りませんけど、あの子の寿命があと5年なら、見守ってあげたいです。

 でもノトの言い分もわかるし、他の人にもノトに近い意見もあるはずです。その時のことを考えたら」

「……かつて一度だけ、ファノンと同じ力を使う人間を見たことがある。

 あの力は、憎めば憎むほど増長した力をもたらし、しかも憎しみが晴れたあとにも、以前より強いエネルギーが当人に宿る」

「あのツチグモを焼いた力が、もっと強くなる……フォーハードが利用するに値すると判断した力。私が言うのも何ですが……つまりファノンは、フォーハード以上に危険な存在になり得る、ということではないのですか」

「……歯に衣着きぬきせぬやつだ。たしかに、ファノンを闇討やみうちすれば、フォーハードの目論見は潰えるだろうが……それこそフォーハードの絶望に火をつけるだろうな。

 ファノンやフォーハードの力は、憎しみによって力を得る。

 絶望は憎しみになりやすいのだよ。そしてフォーハードが憎しみの光をセントデルタに向ければ、ここはひとたまりもない」

「エノハ様。あたし、正直に言って、ファノンを守ることは迷ってます。ノトはあんな性格ですが、弟は弟です。それを傷つけたファノンを、許すことができないでいる。

 ――それでも、あたしはあの子を守る、とお約束します」

「お前はいい子だ」

 エノハは小さく笑って、リッカの肩に手を置いた。

「それでこそセントデルタの人間だ。ここを未来永劫、道徳だけで成り立つ、究極の理想の世界としてたもつ。そのためには、このフォーハードの意図に、なんとしても抗わねばなるまい」

「はい……」

 普段からクリルのエノハ不要論を聞かされているリッカには、こういう生返事しかできなかった。

 それに、違和感も覚えていた。

 フォーハードへの対応が、普通の逃亡罪人と比べると、かなり手ぬるいのだ。

 ――法は罪の重さにかかわらず、かならず処罰が行われるということが大事で、それができないとき、人は法が無力だと判断する……と、ふだんのエノハは論じている。

 ノトやファノンへの軽い処分も、フォーハードのためなのだろう。

 100億人を殺したフォーハードとはいえ、少し慎重すぎるのではないか。

 慎重にならざるを得ない理由がある……?

 これが妄想でなかったとしたら、エノハは何か、自分に隠しごとをしている、ということになるが、優しすぎるリッカに、そこを突き詰める勇気はなかった。

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