140.決別

「ファノン……」

 血の海に立つエノハが、無表情ながらも、ばつの悪そうな声でファノンの名をつぶやいた。

 ファノンの身体が短期間で回復を果たしたのは、ひとえにこの塔の設備の良質さのたまものだったが……皮肉にも今、エントランスでの虐殺を、そのファノンに目撃されるきっかけともなったのである。

「なんてことを……エノハ様」

 ファノンは声をわななかせながら、タクマスを守った鉄のモノリスを気化させてから、エノハの前に進んだ。

「これは、どういうことだ。なぜ……なんで、ここまでひどいことができるんだ」

 ファノンは片手で、エノハの決意によって生じた、ここに広がる血なまぐさい有様をしめした。

 この場はもはや、聖なる神の治める塔なのか、それとも人肉売り場なのかわからなくなるほど、壁や床のそこらじゅうに人間の身体の部品が散らばって、そこから残った血液を滴らせていた。

「奴らのやり方に答えただけだ。ご覧の通り、連中は暴力にうったえた。これに対するには、倫理も正義も宗教も無力だ。暴力には暴力だよ」

「暴力で人の反感をねじせても、短期的な沈静化しか得られない。それだと、怨恨えんこんが長く根付くだけだ」

「武器を振り上げ、いまにも自分の頭に振り下ろそうとする人間に語りかけろと?

 思えば、必然だったのかもしれん。人間とは恩を忘れる生き物だ。だからこうして、我々は惰性だせいで主従を結んでいるわけではないことを、思い知らせる必要がある」

「恩はたしかに忘れる。だが、あだは忘れない。法と言葉で充分だったんだよ、それは」

「残念ながら、人間の心は法律でできているわけでも、道徳で成り立っているわけでもないのだ。人間の表皮は理屈でできているが、その中身は本能と煩悩ぼんのうで作られているのだよ」

「彼ら全員が殺されるほどの必要はあったか? そんなことを、あんたが決める権利はない」

 ファノンは言い捨てると、エノハの前を通り過ぎて、うつろに前だけを見つめて立ち尽くすタクマスに寄り添った。

「タクマス……おい、聞こえるか」

「…………――っ」

 話しかけられたタクマスは2、3回まばたきをしたあと、いきなりひざを折ってくずおれていった。

 ファノンはあわてて、その背中を支えてやるが、これにはさすがにファノン自身が左胸に刺した傷が、強くうずいた。

 まだ、傷は完全に癒えたわけではないのだ。

 だが、それ以上に痛い思いをしている人物が自分のそばにいる以上、顔に出すわけにはいかなかった。

「……おい、タクマス……」

「ファノン…………ダメだったよ」

「タクマス……お前もお前だ。セントデルタは楽園じゃあない。だけど、お前もここまでする必要はなかったはずだ。なぜエノハ様と話さなかった。不満があるなら、なぜエノハ様に伝えなかった。不足があるなら、なぜエノハ様に教えなかった。なぜ、ひとりよがりにうらみをつのらせて、こんなことをした」

「これで……良かったのさ……俺が成功しようとも、失敗しようとも……俺たちの惨殺ざんさつ死体を白日はくじつのもとにさらすことになれば、人々による、エノハへの愛着あいちゃくも信仰も地にちる…………革命は、俺たちが死んだあとも…………つづくんだ…………」

「革命がなんだってんだ。今の平和のほうがはるかに大事だ――寿命じゅみょうがなんだってんだ。文明がなんだってんだ。富や名声がなんだってんだ。そんなに長い寿命が大事か。そんなに地位が大事か。金や美服美食が大事か。お前は、間違ってる……間違ってるんだよ…………」

「そう、その通りだ………なあ、ファノン………頼まれるか………?」

「なんだよ、お前の願いを受け継げってのなら、ゴメンだぞ」

「その、ゴメンなことを、あえて、お前にたくしたい………お前しか、いないんだ……地球は永遠ではない。気候は変わり、環境は変わる。地球の歴史では、俺たちが快適に暮らせる摂氏20度や30度なんて温度は…………一時的なものに過ぎないんだ。それなのに、このセントデルタは旧代でもっとも理想的な気候に沿った生き方をせよと説いている――太陽が少しでもおとろえるだけで、青空が死に、水は氷になる。それなのに今の農耕生活が続けられると思うか?

 もとよりセントデルタが、永続するはずはないんだ。

 気候が変わればメシが足りなくなるだろう、人が増えれば済む場所がなくなるだろう……メシが食えないのに、住む場所もないのに、愛を叫ぶことはできない……それは無理なことなんだよ。変わる環境に適応することを進化と呼ぶが…………進化をやめた生物なんてのは……脆弱ぜいじゃくだよ…………。

 エノハがいくら頑張がんばろうと、いずれは、人間以外の力がセントデルタをほろぼすようになってるんだ。

 俺たちは、そうなる前に、ここから脱出する知力を取り戻す必要が……あるんだ」

 タクマスは残った腕をぶるぶるふるわせながら、持ち上げた。

 ファノンは思わず、その手を受け取った。

「ふふっ…………俺のカンは、良く当たるんだ……お前はやるよ…………お前なら…………お前、しか…………」

 タクマスは、一粒の涙をこぼして、瞳を閉じた。

 それから、タクマスのかかげる腕から、みるみる脱力が始まっていることを、ファノンはタクマスの手のひらから、感じ取っていた。

 ファノンはそれでも、しばらくタクマスの手を離すことができなかった。

「――なんなんだ、勝手に期待しやがって」

 数十秒ほど、そうやってタクマスの手を握ってうずくまっていたファノンだったが、やがて、タクマスの遺骸いがいを抱きかかえて立ち上がった。

 ――タクマスが正しかったとは、言えない。

 ――タクマスの言行げんこうと野心には、旧代の独裁者と同じものしか感じられなかった。

 ――だからこそ、俺は絶対にタクマスを手伝う気になれなかったんだ。

 ――タクマスのやったことは、ただの自殺行為なだけでなく、人々に無駄死にすることを義務付けて、あおり、きつけた、罪のある死に方だった。

 ――こいつのやってきたことは、何から何まで、大間違いだった。

 ――そのはずなんだ。

 ――だが、ここにいる、たくさんの死者のことは、どういう言葉で片付ければいいんだ?

 ――タクマスにそそのかされて無駄死にをした連中……と吐き捨てるなんて、俺にはできない。

 ――だったら、俺は怒りにまかせて、エノハ様に殴りかかればいいのか?

 そんなことを頭の中で堂々巡どうどうめぐりにさせていると……だった。

「……タ……タクマス社長!!!」

 塔の入り口から、張りけそうなほどの、悲鳴に似た声が響いてきた。

 ファノンだけでなく、エノハやチェルノスもそちらを注視する。

 そこにいたのは――セントデルタ新聞社の秘書、ハナーニャだった。

「なんで……なんで、こんなことに」

 ハナーニャが唇を震えさせながら、ファノンがかかえるタクマスのむくろへと近寄っていく。

「タクマス社長……あなたは無謀むぼうすぎたんです…………でも、だからって…………」

 ハナーニャは涙声でタクマスに話しかけるが……なぜ自分が悲しんでいるのか、よくわからないでいた。

 タクマスが地下でおこなっていた蛮行ばんこう

 ここで眠るような顔でこときれている男によって、ハナーニャ自身が蛮行の餌食えじきにされるところだったのだ。

 それなのに、なぜ涙が出るのか。

 今となっては、ハナーニャにとってのタクマスは、犯罪者で、反乱者で、虐待趣味の異常者で……なにひとつ評価のできるところはないはずなのに……なぜ、タクマスの死に涙するのか。

 それは、ハナーニャにもわからなかった。

 とはいえ、その『泣く』という仕草は、それを眺めるエノハやチェルノスにとっては、タクマスの味方であるという印象を強く与えることになった。

「おい」

 それまで傍観ぼうかんしていたチェルノスが、反応をとった。

「その死体はこの場へ置いていってもらう。そいつは首謀者の死体だ。いわば、そいつがこの塔をこんな風にした主犯だ……それに、お前の名はハナーニャだろう? いま照合したところによると……お前、その死体の秘書じゃねえか。ちょっと話も聞かせてもらいたいね。俺の電磁気力の力なら、お前の脳内を走る電流から真偽しんぎ見極みきわめられる。嘘は効かねえぞ」

 チェルノスが分厚い脚部をドスンと動かして前進させながら、ファノンたちの前に仁王立ちをしてきた。

 だが、それに対するかのように、ファノンがタクマスの身体を両腕でかかえたまま、チェルノスをにらんだ。

 その瞳には、エノハたちの命令には従わない、という強い意志がこもっていた。

「ほぉ……ファノン…………俺とやろうってのか?」

 チェルノスは挑発ぎみに告げると、やたらと奥行きを誇る無骨な脚を運ばせて、ファノンの向かいかけていた、塔の入り口のほうへ陣取った。

「一度、お前と戦ってみたいと思ってたんだ。強いやつと殺しあう、あの感覚……それこそが、俺をゾクゾクさせてくれる」

 チェルノスは塔の出入り口に行くと、そこを塞ぐようにして、身体を低めて構えた。

 その金属ボディの中心から、キュィィン……という、高周波を伴った何かの音が鳴り始める。

「言っとくが、俺はフォーハードを超える力を持つ。俺の力の1つである『強い力』は、お前を形作る素粒子ごと、お前を分解したり押し潰したりできるんだ……それも、俺の力の一部分にすぎん。どうだ、恐ろしいか」

 チェルノスが死の宣告ばりに言葉を並べるが、ファノンのほうは、微動びどうだにしなかった。

「チェルノス」

 そんなチェルノスの横から、エノハがあきれ加減に呼ばわった。

「なんだ、エノハ……水を差すな」

「……お前はすでに、負けているよ」

「あ?」

 チェルノスはエノハのほうに振り向こうとしたが……そのための首と、さらには首から下は、すでに失われていた。

「なんだと……」

 チェルノスは頭だけとなって、アレキサンドライトの床に、ヒビ割れを起こしながら、ぶつかり落ちていった。

「ウソだろう……これほどの…………力だと……?」

 チェルノスは信じられないように、立ち尽くすままのファノンを見つめた。

 だがファノンは、初めからチェルノスなどと出会っていないかのように、ハナーニャの心配をすることにばかり注意を傾けていた。

「ハナーニャさん……タクマスをとむらいましょう。中央広場へこいつを連れて行く。見守っててやってくれ」

 ファノンの腕の中で目をつぶるタクマスをのぞきこむハナーニャに、ファノンは優しく語りかけていたが……その瞳が、にわかにエノハのほうへ向いた。

「エノハ様」

 ファノンの言葉に、エノハはわずかに目を細めた。

「エノハ様……俺、決めたよ――俺、セントデルタを終わらせるよ。この世界を破壊して、あの時代を取りもどす」

「ほう」

 宣戦布告せんせんふこくを受け取ったエノハは、なぜだか嬉しそうな声音こわねだった。

「ついに決めたか、ファノン……長かったぞ。で、どうする? ここで今すぐやりあうか?」

「…………あんたを倒すのは、簡単だ……だけどそれは、今じゃない。それまでは、ここには存続してもらわないといけない理由がある」

「理由、とは……やはり」

 ファノンの言葉に、エノハが神妙な表情になる。

「――フォーハードが戻ってきた。さっさと決着をつけたいが、あいつのいる場所まではわからない。この島国にはいないってことだけは確かだけどな。あいつも極力、次元の力を使わないようにして、俺から隠れてるみたいだ」

 ファノンは自分の手のひらを見つめてから、もう一度エノハを見た。

「最後にあいつは、俺に戦いをいどむだろう。あいつのズル賢さは尋常じゃあない。だから俺が負けることもあり得るんだ。その時にエノハ様を俺が打ち倒してしまっていたら……もうこの世にフォーハードを止められる可能性のある人間はいなくなる」

「だから、それまでは生かしておく、と? 勝手なやつだ」

「だけど、あんたは受け入れる気だろ? 長年の付き合いだ。わかるよ」

「…………それまで、お前はどうするつもりだ」

「俺も、準備をする」

 ファノンはタクマスを抱き上げ、ハナーニャを伴ったまま、血だまりを踏みしめ、きびすを返した。

 その向かう先は、アレキサンドライトの出口であり――セントデルタの街にある、自宅だった。

「みんなは、俺が守る。あの街にはメイがいて、ゴンゲン親方がいて、モンモさんがいて、アエフがいて、モエクもいるんだから……」

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