2日後の夕方、喫茶店ギフケン。
メイは大して探す手間もなく、
そしてモンモもまた、コップの中身を飲み干してテーブルに置いたところで、メイに気づき、ごきげんなオーバーアクションで手を振ってきた。
「おーい、メイーー」
そう叫ぶモンモは、すっかり赤い顔だった。
「忙しいのに来てもらって、悪いね」
「ほかならぬモンモさんのお願いですから……で、何の御用ですか?」
メイは向かいの席につきながら、単刀直入に切り出す。
「ちょっとね……引き合わせたい人がいて。そろそろ来るはずなんだけど」
モンモには珍しく、含みを持たせた言い方で説明を終えると、いまメイの入ってきたルベライト(薄ピンクの宝石)の小窓のはまる扉に目線をずらした。
「引き合わせたい人……? 物語も
「メタいところがクリルに似てきたね、メイ」
「こうすると、クリルさんを近くに感じられる気がするんです……まだ、あの人との別れは、思い出のように語れるだけの力が私にありませんけど」
「……」
モンモはテーブルに
「しかも、モエクまで死んだんです。ちょいウザだったけど、いなくなるとヘコむものですね。もう、あいつの
16歳になったばかりのメイが、年齢論を吐いてしまうのも、セントデルタならではのことだった。
人生の5分の4が終わりともなれば、こんな感想にもなるのだろう。
だが、その5分の4より年上にあたるモンモからすれば、その年齢論は
「ねえメイ……ここにモンモおばあちゃんがいるのに、年寄りのフリってのは、ちょいと早いとは思わない?」
「それは……すいませんね」
メイは乾いた笑いをあげてから、まっすぐモンモを見つめた。
「ところでモンモさん……その会わせておきたい人物ってのは、誰のことですか?」
メイがおずおずとたずねる。
今のメイは、ひたすら多忙な町長の身。
その仕事を中途半端にしたまま、わざわざ喫茶店に足を運びたくはなかったのだ。
だが、子供の時から知っているモンモが相手となると、その切り出しはできなかったのである。
それに、モンモと付き合いの長いメイには、ここのほうが話を進めやすい、とモンモが踏んでいることも、おおよそ察知できていた。
「あー……そろそろ来るよ。一つ言っとくけどね、メイ。その子はここに来るのを相当イヤがってたのを、何とか説得したの。そこを理解してもらえば、何とか話も進むと思うよ」
「話……? いったい、誰のこと……」
メイが言い終わるよりも先に、オパールのドアベルが鳴った。
そちらに、ちらっとメイが目を運んだ時――メイの身体も心も、少しの間、止まってしまった。
――そこに立っていたのは、リッカだったのである。
――そう、リッカだ。
ファノンを殺すために家を強襲し、メイを縛り上げ、ファノンを追い詰め……そして、クリルが死ぬ引き金を作り出した人物。
メイはリッカを見たとたん、いきなりセラミックのコンバットナイフを胸元の服の下から抜き出した(このセラミック武器は、町民の誰かが探索で見つけて、町長室に保管してあったものを、メイが私物化したものである)。
「リッカ……リッカ!!」
リッカを目に入れた途端、メイは自分でも信じられないぐらいの
このリッカのせいで、メイとファノンは、世界一大事な人間を亡くしたのだ。
何百時間、恨んだだろう。
何度、リッカを
これから何度、その思いを繰り返さねばならないのだろう。
その原因こそが、このリッカなのである。
クリル死去より、この50日間、メイのほうは、あらゆる会合でリッカを避けてきた。
当然ながら、権威を携える自警団長と町長なのだから、本来なら会議で顔を合わせる機会は多いはずであるが……それにもかかわらず、メイはずっとリッカの顔を見ずにやってきたのだ。
リッカを見たとたん、自制心が吹き飛ぶことが、わかっていたからだ。
そしてそれは、すべてメイの予想通りになった。
「よくも、私の前に姿を現したもんだな……!!」
メイは座っていた椅子を
街のリーダーによる、いきなりの
しかし、武器を向けられるリッカのほうは、戦う
リッカはあくまでも、壁でも見つめているかのように、超然と構えていたのである。
――リッカは、殺される覚悟を決めている……。
完全に怒りで舞い上がっているはずのメイだったが、リッカの落ち着きが
だが、湧き上がる殺気だけは、
そのままメイはナイフを片手に、棒立ちのリッカに近寄りきって、その
「リッカ……この9ヶ月、お前を思い出さない日はなかった。私こそが超弦の力にでも目覚めてれば、と願うことだってあったし……それを考えない日もなかった。だけど町長としての職務が、その本能を許してこなかった。この仕事は、お前に殺されたクリルさんに託されたものだし、何よりこの仕事は、ファノンを私なりに助けてやれるからだ。お前を殺すのは、町長の求心力を損なうと、わかっていた。それなのに……お前をこの目で見ると、やっぱり殺意は抑えられない。お前は死ぬべきなんだよ。なあ、死んでくれよ……私も、お前を殺した後のことは、すべてを投げ打つからさ…………」
そこまで言ってからメイはリッカの
リッカはその段になってなお、ナイフを退けようとしなかった。
しかもリッカは、そのまま瞳を閉じたのである。
「…………
「そこまで」
「人殺しなんて、メイには似合わなすぎるよ。その
「関係ありません……止めないでください、モンモさん」
「ダメだよ、メイ。私があなたと会わせたいっていうのは、このリッカなんだから」
「! どういうつもりですか」
リッカの喉にナイフの切っ先を当てたまま、メイは目を
「私は…………私は、こいつとは……こいつにだけは会っちゃいけなかった。わかってるでしょ」
「本当にクリルに似てきたね、メイ。あいつも嫌いな奴と組むのは絶対にお断りだとか言ってたし。でもね……クリルが好きだからって、あいつの悪いところまで
「真似じゃありません! こいつは……こいつは……っ」
「ともかく、気づいたでしょ? リッカはいつでもあなたに殺される覚悟があるってことに。なら、私の話を聞いてからにしてもらってもいいじゃない……私だって、あなた達2人を、仲良しこよしにするために呼んだんじゃーないよ」
「あなたはなんで、そんなに普通にリッカと付き合えるんですか……あなたにとっても、クリルさんは友達だったんじゃないんですか」
「クリルは大事な友達だった……でも、リッカも大事なんだよ。ファノンも……死んだモエクも…………それから、メイ、あなたもね」
「答えになってませんよ」
「あのね、メイ……今だから言うけどね」
モンモは
その言葉は、とてつもなく、落ち着きに
「……リッカの奴、クリルの葬式のとき、自宅で自殺しようとしてたんだよ。私はそれを止めた。そんなことはやってくれるなって。あなたにとっては、余計なことだったかもしれないけどね」
モンモの告白に、リッカがわずかに顔をしかめたが、口を
「だから、リッカが今も街を歩くのは私のせいでもある。リッカはあなたに殺される理由を、バケツからこぼれるぐらい、たっぷり持ってる。でも、その前に、私の話を聞いてほしいの。その後でなら、リッカの奴を煮ようと焼こうと好きにしていいから」
「……………………」
メイは言葉を何も返さなかった。
もとより、リッカに伝えたい句を出し尽くしていたからである。
けっきょくメイは
リッカも小さくうつむいたかと思うと、すぐにまっすぐ首を向けて、モンモとメイのサイドの席についた。
喫茶店内は、異様な静けさに包まれていた。
ずっと3人の様子をうかがっていた
なぜなら、メイの
「……モンモさん、まず教えてください。なぜ、私たちをここに呼んだのかを」
メイはリッカを視界の隅に追いやるように、わずかにモンモから目線をずらしてたずねた。
メイは本気で、話の内容によれば、再びリッカを殺害しにいく気だった。
あくまでも、この会合は、モンモの顔を立てておこなっているに過ぎないのである……。
「私たちは、フォーハードという、人類を死滅させた魔王と戦わなきゃならない。人類が勝てなかった相手に、たかだか1万の人口で
それなのに、セントデルタNo.2の自警団長と、No.3の町長が、いがみ合ってたら、勝てるものも勝てなくなるからだよ……ねえメイ、あなた、私がここで、あなたとリッカを引き合わせなければ、自分だけの権力を使って、フォーハードと戦うでしょ?」
「今もそのつもりです……少なくとも、その人から力を借りる気はない」
メイはそこで、横のリッカを
リッカのほうは、どこまでもポーカーフェイスで、2人の会話を交互に見つめていた。
「ホント……クリルと似てるよね」
モンモがため息をつく。
「話は以上ですか? なら、そいつ殺しますね」
「で」
メイがナイフに手を伸ばしかけているところで、モンモがかなり強い声で、言葉を刺した。
「フォーハードとはどうやって戦うつもりなの、メイ」
「……戦うのは……」
メイはモンモの口調のために、ナイフにのばした手を止めはしたが、その手を
「戦うのは残念ながら、ファノンにまかせることになります。ですが、私は人々の避難を最優先にするつもりです。でないと、フォーハードは前のように、人々を人質に取るはずですから。そうなれば、ファノンは思う存分、力を振るえない」
「避難させるの? どこへ?」
「
そしてラストマンは、毒ガス兵器や生物兵器を
「地下にシェルターを作ったの?」
「ええ……トンネルも蓋もエメラルドで補強してますから、そうそう壊れません。さらに、マンホールが全部使えなくなった時のために、脱出用に5キロの長さのある通路を、セントデルタ外に引きました」
「すごい行動力ね……でも、私んちはまだファノンが来てないんだけど……」
「旧代の消防隊なんかは、親しい人こそ後回しにしたと言いますから、申し訳ありませんけど、モンモさんは最後のほうです。でも、ファノンが言うには、今日あたりには終わるとか……そこの女の地下にも穴を開けるそうですがね」
そう言ってメイはリッカを
「ふうん……でも各家庭にマンホールを作って逃げ道を用意したなら、ラストマンからしても、そのマンホールは侵入経路になるじゃない? 地下の密室を攻めることも、あの大量殺人鬼のフォーハードなら、
「それについてはファノンが……厳密には、モエクの奴が策を残してくれました。そこらへんは心配ありません」
「そう、なの?」
「はい……私もファノンから聞かされました。あんまりにも専門的すぎて意味がよくわかりませんでしたけど、どうやら使える方法みたいです」
「重要なことなんだけど……人々はフォーハードが攻めてくる時になって、初めて避難を開始することになるじゃない? フォーハードは奇襲するときに、今から奇襲をかけます、全員地下に潜るまでお待ちします、なんて優しいことは言わないよ? 当然ながら、逃げる暇なんてありはしない」
「それは大丈夫です」
メイはモンモの提起を受け止めながら、言葉を止めて考えをめぐらせた。
――それは大丈夫です、ロナリオさんの備えてる望遠レンズで、ラストマン達の接近を知ることができます。
――このセントデルタの街は、旧代フランス・パリのように、街の建築物の高さが一定以上の高さにならないように、エノハ様の法令が
……などと、敵対視しているリッカや、今も聞き耳を立てる喫茶店の客がいる中で『
だがこれこそが、初めてロナリオと会った時に、メイがロナリオに相談していたことだった。
――フォーハードと戦うには、少しでも早く、その奇襲に気づく必要がある。ロナリオさん、あなたなら、それができるんです……。
と、初めてロナリオと会った時(モエクに引き合わせてもらった時)、メイは、そう頼み込んで、ロナリオから協力を取り付けていたのである。
だがひとまず、ロナリオのためにも、彼女の
「あー……それについては、ですね」
メイは
――会話での、このような視線の動かし方は、ふつう、人間が嘘をつくときに取られる動作である。
ありもしないストーリーをでっち上げる時の人間は、論理を司る左脳を刺激するべく、眼球が左上を向くそうだ。
このしぐさに、モエクやクリルだったら即座に
モンモは良くも悪くも、人を善人とみなして付き合っていくタイプなのである。
「ファノンがその……セントデルタの半径10キロ以内に機械が入ると……暴き出せる力を振るったんです。そう、えーと、旧代の航空会社でテロ対策に使われた、あの金属探知機と同じ原理でです。電流を流した金属には磁場が発生するから、それを検知する、という方法です。だからファノンが生きてる間は、奇襲が奇襲として成立することはありません」
メイはどこまでも謎めいた人物ファノンの所業のせいにして、丸め込みを
ファノンのでき
が、現時点でファノンに、金属探知機と同じことをすることは、できるにはできるが、それを四六時中、寝ている時も、食べている時も行うことは、不可能に近かった。
これを例えるなら、片手をベッドから上げたまま、ぐっすり8時間睡眠を取ってみよ、というのに似ているだろう。
――それはともかく、このいいくるめを完了しようとしているメイに向けて、次にモンモはメイ自身が心配さえしていなかった、
「あっそう……で、フォーハードが事前に見つかるのは理解するとして、人々をそのシェルターに
「……その時のために、ボランティアを
「待って。それだと、そのボランティアが動きにくい時間を狙われたらどうするの? みんな、普段は仕事をしてるんだよ? 川に行く人もあれば、街の外に石を掘る人だっている。田畑に出てる人や、行商に出かける人の位置を、全部把握できるの? 緊急を要するのに、彼らを見つけてから人々の避難を開始する気?
奇襲するほうは、私たちに最も不都合な時間帯を選べるんだよ? 旧代1945年のヒロシマでは、通勤と通学で人々が外に出ている時間を狙って、原子爆弾が投下された。外に出ている人間が多いほうが、焼き殺せる人間も多いからね」
「……モンモさんにしては、生々しい話をなさいますね」
「昔モエクが話してくれたんだよ。
「ああ…………」
「ともかく、そういう前例もあるのに、時間を考えずにフォーハードが動くってのは、考えにくくない? 動きにくい深夜に襲われたら?」
「……そ、それは……まだ考え中です」
メイはモンモから目をそらした。
その時にやっと、メイはナイフに伸ばしかけていた手を机から引っこめた。
「でもねメイちゃん。私なら、それを解決する方法、提案できるよ」
モンモは席を立ち上がると、ずっと
「ここにいるじゃない。仕事を掛け持ちする自警団員も多いけど、常備軍みたいに団員を抱えてるところのリーダーが。この子なら、その人たちをいつでも動かせる。早鐘だって、フォーハードの襲来か、ただの火事なのか、わかる鳴らし方もすぐ考案できるし、実行もできるし、何より、すぐに人々に教えられる。町長の勢力に足りない、軍事的な統率力……リッカの組織なら、これを持ってるんだよ」
「…………っ」
「…………」
「…………」
重い沈黙が流れた。
けっきょく、少ししてから、気まずそうに目をそらすリッカを、メイは見つめざるを得なくなった。
「沈黙はイエス、と見ていいんだね?」
モンモがリッカの両肩に触れたまま、満足げに
「…………モンモさん。あなたの提案は間違ってません。今だけです。私がそれに乗るのは」
「それで充分だよ、メイ。じゃあ私、ちょっとトイレ行くから」
話が完全にまとまりきっていないにも関わらず、モンモは平然とした表情で、いきなり喫茶店奥のトイレのほうへ歩き出していった。
「えっ」
「えっっ」
それに驚いたのはメイやリッカだけでなく、ずっと見守っていた客達も同じだった。
だが結局モンモの足はなめらかにトイレの扉へ消えていき、そこには微妙な沈黙と、観衆と、メイと、リッカだけになった。
「……」
「…………」
「………………」
「……………………」
「メイ」
喫茶店の中で最初に口を開いたのは、リッカだった。
「何ですか……何だよ」
「あんた、さっきの論調を見る限り…………ファノンから何も聞かされてないんだね。モエクの包みのこと」
「モエクの包み? 何の話だよ」
「いや……いい。知らないなら、ファノンがあんたに教えないことを選んだということ。あたしも他の人には話してないし、知る人間は少なければ少ないほど良いものだと思うしね、あれは」
「?? 何なんだよ、思わせぶりだな」
「――セントデルタのためなら、命だって捨てられる。アレはそう思えるような内容だったんよ。あたしにとっては、エノハ様を守ることが、今の全てなんだ」
「わかんねぇよ、そんな言い回しじゃ」
リッカの判然としない話に、メイが背もたれに身体を預けて悪態をついた。
「私は……ファノンのために、あんたと手を組むにすぎない。それがなければ、絶対にこんなことに同意しなかった」
メイは何もできない自分への
ナイフはテーブルに今もあったが、それでも結局、メイがこれを使うことはなかった――