143.ゴドラハンの提案

「昔の技術ってのは……すごいもんなんだな」

 旧モエク宅で、部屋にあるベッドに腰けるゴドラハンを見ながら、ファノンが感嘆かんたんした。

 この部屋はもともと、アエフが使っていたものだ。

 それがモエクの死去にともない、アエフは2つ隣のモエクの部屋へ移ったので、ゴドラハンがこの部屋の主になったのである。

 とはいえ、元がアエフの部屋なので、その室内はアエフらしさがそこかしこに残っていた。

 壁紙は水色で統一されており、モエクが作ったらしいひのきの子供机はオレンジダイヤ窓の横に置かれ、本棚には秀才のアエフにふさわしい、旧代の辞書や病理学や人体の本がたくさんまっていた(アエフは医者志望なのである)。

「なあゴドラハン……前に見舞ったときは、あんたは身体のあちこちが……その……欠損してたはずだ。それなのに今は、どうみても五体満足だ。それも、あんたの時代にあった、永遠の命って奴の賜物たまものなんだよな――でもそれができるのは、すごい金持ちだけだって聞いてる。あんたもそうだったのか?」

 ファノンの質問に、ゴドラハンは短く首を振った。

「それについちゃ、色々誤解されてるようだから、訂正ていせいさせてくれ。俺は別に、この身体が欲しくて手に入れたんじゃあない。あー……どのへんから説明するべきかな」

 ゴドラハンはそうこぼすが、内心では面倒なのだろう、すぐ横で両手を前に組んで立つロナリオに目線をずらした。

「わたしがその話をしましょう」

 ロナリオは淡々たんたんと、ゴドラハンの意を受けて、代弁だいべんを始めた。

「かつてフォーハードがおこなった水爆攻撃だけで、人類は破滅した訳ではありません。しばらくは何億人かが生き残っていたのです。ですが、以前から権力を持っていた人々はやはり、フォーハードの凶行ののちも、権力を握っていました。

 その頃は被災した原子力施設から飛び散った放射線や、ツチグモやラストマンなどのホロコースター型殺人機械の徘徊はいかいが多かったために、人々は地下へ避難しなくてはなりませんでした。まともに地上の空気も吸えなければ、まともな電力確保もできなかったのです。

 エターナルゲノムプロセッサは知ってますね? ゴドラハンの身体に永遠の命を与えた装置です」

「知ってる。外科げか的に遺伝子の1つ1つを、永遠の命のものに書き換えるんだよな」

「そうです……が、これの起動には大量の電力が必要だったのです。

 フォーハードの一撃で文明を失ったに等しい世界で、充分な電力を得られる場所など、どこにもなかったのです。

 そんなコミュニティしか存在しませんでしたから、エターナルゲノムプロセッサの起動をしたところで、ほとんど成功するかわからない状態だった――」

 ロナリオが、みにくい過去でも思い出したかのように、そこで顔をしかめ、言葉を切った。

 そのままロナリオは黙りこくってしまったので、説明を受けいだのはゴドラハンになった。

「エターナルゲノムプロセッサを占有せんゆうしていたのは、旧代で権力者だった奴らだ。連中は、生まれた自分の子供に永遠の命をくれてやろうとしていたが、とぼしい電力で成功させる自信はなかった。エターナルゲノムプロセッサは、遺伝子に直接レーザーメスを照射するシロモノだ。失敗すれば死んでもおかしくないものに、可愛い息子や娘は放り込めないのは当然だ。そこで、彼らにとって、息子や娘でない人物を使って様子見ようすみをすることにした――人体実験だよ」

「それが、あんただった……?」

「名答だ。他にもいたがな。

 成功の目星めぼしなんかついていないまま、俺はらえられ、その装置へ閉じ込められた。俺は連中にとって、目の上のタンコブでもあった。独裁を振るう彼らに抵抗していたからな。だから俺を殺すついでに実験をしてきたのさ。

 そのとき、運良く死なずに、この身体を手にしたんだ。そういう経緯で、俺は心臓と脳が無事なら、元通りに身体を再構築できる身体にされた。だから、指を切られても治っちまうのさ」

 ゴドラハンはあまり嬉しそうな顔をせず、右手をグーとパーに何度か繰り返してから、どこか自虐じぎゃく的にそうつぶやいた。

 ゴドラハンはタクマスに監禁かんきんされた時、手足の指を数本切り落とされ、片目をえぐられ、肋骨ろっこつや上腕などにも骨折こっせつがあったにもかかわらず、今ではそれらがすべて、元通りになっていたのである。

「良いんだぞ? トカゲやタコのようだと言ってもらっても」

「ひどい世界だったんだな……俺の前世は、そのことを知っていたのか? 知っていたなら、あんたや他の人を守るために超弦の力を行使しなかったのか? この力なら、少しは世の中に影響を与えられたはずだ」

「前にも少しだけ話したんだが……あいつは、その力にたよることが好きじゃなかったんだ」

「それでも……この力を持ちながら、何もしなかったなんて、信じられないよ」

「お前だったら、既得権益きとくけんえきを持つ人間を殺して回った、とでも言うつもりか?」

「う……そんなことはしないよ……」

「こういう話をしてると、やはり俺の息子なんだな、とも思うよ。顔や声は俺の息子と同じだが、やっぱりそのへんの記憶はないんだな」

「すまないな……あー……久しぶり、父さん、とでも言えば良いか?」

「まあ、この話はここで打ち切ろう。過去のことを相談しても過去は変わらない。そんなことより――ここに来た理由は、エターナルゲノムプロセッサの話を聞くためじゃあ、なかったんだったな」

「ああ……この間、ロナリオから聞いたんだけど、あんた、身体の修復が完了しだい、塔に攻め込むつもりなんだってな」

 そこでファノンは、ロナリオを見た。

 ロナリオのほうは、その視線を受け止めて、そのままの姿勢で、黙ってこくりとうなずいた。

「そうさ。今なら俺とロナリオで組めばエノハを倒すのは容易たやすい。塔のセキュリティは、いちじるしく弱まってるんだからな。ARLWSアールゥスは全滅し、チェルノスもお前が倒してくれた。飛車角ひしゃかく落ちのエノハなど、俺たちの敵じゃない」

「それなんだけどな……塔に攻め込むのは待ってほしいんだ」

「なぜだ?」

「俺が、フォーハードに敗北したとき、エノハ様は最後のとりでになるかもしれない人だからだ」

「エノハが? あいつはお前が死んだ後なら、おそらくフォーハードに殺されるぞ」

「それを、あんた達で何とか助けてやってほしいんだ。エノハ様と協力して、フォーハードの描いた筋書すじがきを変えるには、あんたとエノハ様が組むのが良いと思うんだ」

「……それを、よりにもよって、俺に頼むのか? エノハによって放射線の降り注ぐ大地に追いやられ、コミュニケーションと文明から隔絶かくぜつされ、魔王に祭り上げられてきた俺に?」

「あんたの苦労は、俺なんかにはわからないから、共感も理解もできないのかもしれない。でも、人間同士がこれから一騎いっき打ちをするんだ。フォーハードに確実に勝てる、なんて約束するのも、させるのも無責任なことだと思う。げんに、前世の俺はこれだけの力を持ちながら、死んでしまったんだろう? もしも俺が負けたら、どうするべきか議論しておくのは、けっして無駄なことじゃあない」

「…………」

 ゴドラハンはうつむき、考え込んだ。

 ファノンの言葉は、自分や知人のことだけを心配する人間には、言えないものだったからだ。

 それがわかるゴドラハンだからこそ、その言葉は鋭く心に突き刺さったのである。

「ゴドラハン……」

 なりゆきを見守っていたロナリオが、ゴドラハンの顔色をうかがう。

 ゴドラハンのほうは、それに促される形で、ゆっくり口を開いた。

「ファノン……俺は1つ、今まで失念していたことがある」

 ゴドラハンは、ため息をもらしてから続けた。

「俺は何で、自殺もせずに、この世界にかじりついているのかって理由だ。何だかわかるか?」

「さあ……」

「俺は、世界のためにやってきたんだった。俺の愛情表現に対して、世界のほうからラブコールはまだ返ってきてないが、それでも、価値のあることだと思っていた。

 そのことを、しばらく忘れていたよ」

「……」

 ゴドラハンの言わんとすることを計りかねているファノンは、沈黙でその言葉の先を待った。

「……つまりな――エノハと組まなきゃならないってのなら、喜んで組もう。エノハも、お前の勧めだとすれば、きっと喜んで服してくれるだろうさ」

「ゴドラハン……! ありがとう」

「ただし」

 喜びかけるファノンをとどめるように、ゴドラハンはファノンの眼前に向けて、人差し指を突きつけた。

「だが、父親に向けてそんな話をするのは、今後、二度とナシだ。自分の父親に、自分の死後の話をするなど……最高に泣きそうになっただろうが。お前が俺より先に死んだ場合のことなんて、もう考えたくもない」

 ゴドラハンは涙目でも隠したいのか、わざとらしい仕草で首を回してから、ゆっくり立ち上がった。

「だが、たしかにエノハは、お前が負けた時には、フォーハードの策略からの最後の防波堤ぼうはていになるかもしれない女だよ――やってやろうじゃないか……お前に何かあったら、俺は見事なほど不格好ぶかっこうに、あいつに頭を下げてやる。それで良いな? ロナリオ」

「はい」

 ロナリオも、一歩前に進み出た。

 どうやらロナリオのほうも、五体は完全にほんらいの運動性能を取り戻しているらしく、その所作も、ファノンが初めて出会った時のように、水流のようになめらかだった。

「だが、俺とエノハは保険にすぎないぞ。言うなれば、お前がフォーハードにやぶれた後、俺達にセントデルタを守らせるのは、崖下がけしたにすべり落ちる大岩を細木の枝で食い止めようとするのと同じだよ。そもそも、フォーハードという名前の崖に落ちないようにすることが肝要かんようだ……つまり、お前は負けない戦いをしなくちゃならない」

心得こころえてるさ……俺はみんなを守りたい。フォーハードに負けるわけには、いかないんだ」

気負きおいすぎですよ、ファノン」

 ロナリオが、そこで言葉を添えた。

「あなたを助ける人がいる。彼らはあなたに守られないと生きていけないほど、弱くはありません。むしろ、必ずあなたの手助けをしてくれるはずです――天にしたモエクも、あなたのために力を貸してくれているのでしょう?」

「……モエクには最後に、面白い話を教えてもらった。必ず、役立ててみせる」

 ファノンは片手に握るコイルノートに、力を込めた。

 それはモエクがいまわのきわに、アエフに託し、ファノンへと渡されたものだった。

 たしかに、そのコイルノートの中には、フォーハードと渡り合うのに役立ちそうな『面白い話』がつづられていたのである。

 そして、この場には持ってきていないが、もう1つのモエクの遺産も、ファノンにとってかなり重要な位置を占めていた。

 それは、たんなる新聞だったが……セントデルタの存続そんぞくを不可能にするには充分な爆弾と言えるものだった。

 それはかつてモエクが存命の時、リッカに頼んでアレキサンドライトの塔から持ち帰らせたものである。

 ――あれの話は、誰にも他言たごんはできない。

 ――モエクも、同じ気持ちだったんだ。

 ――だからアエフも知らないようだった。

 ――それでもモエクが俺に教えたということは、俺ならあの話を意味あるものにできる、と判断したからだ。

「世界の解放なんて、今でも正しいかどうかなんてわからない。だけど俺は、この世界の崩壊を防ぐために、これをしないといけないんだ」

 ファノンの決意表明に、それを聞くゴドラハンが、悲しげに眉を落としながらも、小さく笑いかけた。

「なあファノン……ここからは父親として言わせてくれ。俺は一度、お前が死ぬのを、この目で見ている。そして、前世のお前は、500年後に生まれ変わると言っていた。その予言の通り、お前はこの時代に生まれ変わった。

 だが、お前はあと、たかだか4年ぐらいすれば、エノハの呪いでまた死んでしまうんだ。俺はそれが耐えられない……俺はずっと生きるのに、お前は何度も何度も死ぬんだ。なあファノン……さっき、エターナルゲノムプロセッサの話をしたが、エノハの塔にその装置が今もあるのは知ってるか?」

「知ってるよ、エノハ様に見せてもらったこともある」

「それを……お前が使っちゃもらえないか? この戦いが終わったら俺たちと……暮らしてはもらえないか? フォーハードに勝った時には、お前はエノハも倒すつもりなのだろう?

 だったらその後は、俺たちが、あの時にできなかった親子の暮らしを取り戻すことができる……俺のエゴと言われたらそれまでだが」

「永遠の命、か…………」

 ファノンはそこで考え込んだ。

 ――俺だって、死ぬのは怖い。

 ――4年かそこらで、俺の寿命は尽きる。

 ――短すぎる人生だと思う。

 ――だけど……。

「他にも二十歳はたちで死ぬ人間がいっぱいいるのに、俺だけが永遠の命を得るわけか……」

「そこを曲げて願いたいんだ」

「……少し、それについては考えさせてくれないか? フォーハードを倒し、エノハ様を退しりぞけた後でも、決められることだろ」

「ん……わかった」

 ゴドラハンは小さくうなずいた。

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