144.秋

 9ヶ月後。

 フォーハードが現れてから1年近くち――季節も一巡いちじゅんした。

 秋。

 キンモクセイがき、そして散ったころ、ポワワワンの川には去年と同じく、海からシロザケやサクラマスが姿を現し、それらを狙ってキツネやクマも姿を見せて、魚をって腹を満たし、森へ帰っていくようになる。

 サケにとっては命がけの旅路たびじだが、自然界からすれば、これは陸の栄養と海の栄養を交換する、生と死のカーニバルでもあった。

 まず、クマはサケを捕らえても、内臓しか食べない。彼らはサケを捕らえたら、森の奥へサケを持ち込み、内臓を食べた後はその死体を放置して、川に戻って次の生きた獲物を狙うのである。

 そうして森の中で腐るサケは、海で蓄えたリンなどの栄養を陸地や川底へ根づかせ、木々を太らせ、落葉を呼びこみ、虫をいざない……その虫たちを食べることでサケの稚魚ちぎょたちは命をつなぐのである

「もしも」

 2年前の秋、散歩の道すがら、クリルが強く深く流れる、深紺色のポワワワンの川面かわもを見つめながら、隣のメイに語った話がある。

「もしも、彼らサケが永遠の命を手に入れたら、この森にも川にも、これほどの豊饒ほうじょうさはなかった。旧代カナダ・ビクトリア大学の研究だと、サケがのぼる川とそうでない川では、木々の繁殖量に相当な違いがあったそうだよ。

 大地ってのはつまり、死を勘定かんじょうして運営してるってことかもね」

「あー……よくわからないけど、つまりアレですか?」

 クリルの弁舌べんぜつを隣で聞くメイが、思案をめぐらせながら続けた。

「ファノンの奴が、友達から5年ぐらい借りパクしたままの漫画があるんですけど……永遠の命を得るってのは、借りた本を持ち主に返さないのと同じってことですね?」

「姉ポジとしては、その話は流せないところだけど……まあ大体そんなところかな」

 どこが面白かったのか、クリルはくすくす笑ったが、すぐに表情を神妙しんみょうなものに引き締めた。

「世界の崩壊。それを最初に招いたのは格差だった。テロリズムが生まれた場所も、やはり貧困国だった。旧代に存在したISILという組織は、ようは貧しさと、それを
生み出した欧米への憎しみから生まれた組織だった。

 格差社会で勝利を得たものは、金と情報を手にする。金と情報を手にした者は、その金で情報を操作することもできる。

 ユダヤ資本のジンバブエ企業デビアスは、石ころにすぎないダイヤモンドを、世界への流通量を少なくすることで、人々が大枚たいまいをはたいても手にしたがるような、高価な貴重品に変えた。

 ディズニーは著作権を引き伸ばして自らの利権を保護した。

 金を得るために真実を封殺ふうさつするという場合もある。

 このセントデルタの前に存在した日本という国に、かつて日清食品って会社があった。

 その会社は自社のインスタント食品のために、せっせとインドネシアの政治家に賄賂わいろを渡し伐採権ばっさいけんを取得して、そのインドネシアの木々を切らせていた。加工食品に使うパーム油のれる、アブラヤシ農園を作らせるためにね。そしてその事実は、加工食品を食べるほうへは決して伝えなかった。

 あたしが問題と思うのは、それによる自然破壊はもちろんだけど、そのことを、人々が知らされないこと。日清のせいだけじゃないけど、インドネシアの森の8割が、この欲望の餌食えじきになったんだよ。

 その事実は、その会社の置かれる日本の国民には、伝えられなかった。テレビのスポンサーとして、とても有名なその会社は、ニュース番組にも意見をはさめてたからね。

 こういうのは全部、金と情報のせるわざだよ。

 そして情報操作によって道を進めなくなった人間は、勝ち組によって使役しえきされるようになった。賄賂を受け取った役人のために、自国の木を伐採する人物も、それに当たるね。彼らはかされず殺されず、申し訳程度の賃金を与えられ続ける。そんな給金だと、当然休めばきゅうするから、ひたすら木を切り続ける。

 けど、切らせるほうは膨大ぼうだいな利益をあげるわけ。

 使役されるほうは、そこから脱却だっきゃくする知恵を与えられず、あるいは脱却するだけの余力も残らないほど、企業に労働力と生命力を搾取さくしゅされた。旧代のブラック企業とか奴隷制度なんてのもそれだね。

 旧代末期は、シガラミまみれだったわけだね」

「えーと、クリルさん……すいません。シガラミの意味がわからなくて」

「あー……うーん……たとえばメイちゃんが、道をまっすぐ進みたいとするじゃん? でも、大きな壁があって遠回りしなきゃならないとき、その壁のことをシガラミって呼ぶんだよ。旧代はそのシガラミが、道のあらゆる場所にあったんだよ」

「悪い物ってことですね? でも、もったいなかったな。この話、ファノンにもしてやればいいのに」

「したんだよ。でもあの子、今んとこ、漫画以外に興味がないからねえー」

 そこでクリルは困った顔で笑ったが、そのクリルの真意を、鋭敏なメイは気づいていた。

 この話は、いずれファノンが、物事を知ることの重要性を認識したとき、メイの口からあらためてファノンに話してほしいことなのだ――

 『姉ポジ』のクリルは、ファノンたちより早く闇に帰る。

 その時までにファノンが刹那せつな主義であったときのために、クリルはメイに伝言したのである。

 実際、クリルは予想よりはるかに早く闇に帰命きみょうした。

 皮肉なことに、クリルのこの談話は、メイの口を介してファノンの心の中へ復活することになるのである……。

「当時、ただでさえ深刻だった格差問題は、永遠の命の誕生によって、さらに加速した。そしてフォーハードが産まれ……世界は彼に復讐ふくしゅうされた。

 でも、たとえフォーハードが産まれなくても、何らかの形で終末が訪れたことだろうね」

 そこまで論じたクリルは、またポワワワンの川面かわもを見つめて、それからしばらく口をつぐんでしまった。

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