147.輪廻りんねの昔

 空は鈍色にびいろではあったが、その星の基準からすれば、快晴だった。

 ファノンが立つ『そこ』は、地球では見たことがないような、灰褐色はいかっしょくのゼンマイ植物がせめぎ合う岸で、せせらぎをかなでる川には、何かの白い湯気ゆげがたちこめていた。

 その川の水はあきらかに、H2Oで成り立つ『水』ではないことを、なぜだかファノンは知っていた。

 それはたしか、液化硫化りゅうか水素だったかと思う(硫化水素の融点は約マイナス85度。気体の硫化水素が液化する温度である。つまりここは、それほど日常的に寒い環境なのである。この星の生物は、地球のマリアナ海溝などにむチューブワームのように、火山ガスである硫化水素を酸素がわりに吸って生きていたのだ)。

 このような、自信のなさげな記述になるのも、ファノンがその頃の記憶をおぼろげにしか覚えていないからである。

「あれだね? あなたが言ってたモノリスってのは」

 クリルと同じ素粒子組成の女は、ファノンと同じ素粒子組成の男に振り返らず、岸に向かうように横たわる、盛られた赤土に近付いていった。

 ファノンやクリルの眼や手は……いくつあったのか、覚えていない。

 ただ、頭もあって、脚も生えていたから、その時ファノンはいわゆる腕組みのような格好でクリルの話を聞いていた。

 ファノンの記憶の中には、この川原にはいないが、たしかにメイや、モエクや、ゴンゲンやモンモ、リッカが、親しい友人として存在していた(ノトも知人にいたし、タクマスもいた)。

「ああ、見つかって良かった。前より風化が進んでるな」

 クリルに遅れる形で、ファノンは足元の、ちる『モノリス』だったものを見つめながら嘆じた。

「……信じがたいけど、これなんだね?」

 クリルはファノンと同じ物を見た後、横のファノンに向けて半信半疑でたずねてきた。

 たしかに、何も知らずにこれを見る者には、ただの土塊つちくれや、赤く染めた農耕用のうねにしか見えないことだろう。

 だが、ファノンは間違いなく、数日前にこれの別の姿と出会っていたのである。

「どうやら、そのようだよ」

 ファノンはためらわずに請け合った。

「このモノリスは、俺が触ったとたん、語りかけてきたんだ。

 このモノリスには、俺の前に、何人かが触れてたそうだ。5人だったかな。こいつは、誰かが触れるごとに、場所を変えてきた。何十キロも何百キロも移動しながら、メガネにかなう、相応ふさわしい人間を探していたらしい……」

「何のために? この崩れた土が、あなたに何をしたの? 最近のあなたは……常人離れしすぎてる。そのことと関係が?」

「俺の目の前に現れた時は、こいつは真っ赤なモノリスになってた。5人の前に姿を見せたときには黒い鉄板だったけど、俺には全ての力を与えるために、赤くなったらしい」

「赤く?」

「……俺が触れて少しして、モノリスはこうして崩れ去ったんだ。

 モノリスはその瞬間、さっきの話を俺に教えてくれた。

 俺と会う前に、こいつは4人の男と1人の女に力を与えた。

 ひとりは次元の力。残りの人間は……聞いてたんだが、よく意味がわからなかった。弱い力とか強い力がどうとか言ってたな……あとは…………自家発電力みたいな名前だったような」

「たぶん、電磁気力と重力かもね。でも次元の力だけは、その4つの力と比べると、やたらとショボいけど、なんでその人にだけ、そんな力しか与えなかったんだろ」

「わからないよ。人には理解できない理由なんじゃないか?」

 ファノンは腕組みをほどいて、まった物を吐き出せたような口調で、喜ばしげにクリルを見てから、さらに続ける。

「モノリスが言うには、俺の力が一番強力らしい……俺の力は、4つの力を合わせたものだそうだ。俺の一存で宇宙をリセットするほどの力になるとか説明してたよ。他にも何かメッセージを言ってたけど、難しくて意味がわからなかった。こういう時、自家発電力を助ける本ばかり読んでるのは良くないことだと痛感するよ」

「殴っていい?」

「謝るよ。その攻撃は俺に効く」

 ファノンは両手を挙げて降参こうさんを示したが、口調くちょうはあくまでも平然としていた。

「……でも、そんな力を手に入れて、どうするわけ? 世直しでもするなら、手伝うよ」

 クリルが改めてたずねる。

「何も考えてなかったけど……それも良いかもな。お前となら、何だか、色々やれる気がする」

「まかせて。あたしが楽させたげるから、ちゃんとあたしにもメリットよこしてね」

「余裕だよ。今となっちゃ、俺のほうが強いんだぜ」

「それはないよ。あなたは結局、その力に振り回されて自滅するのが見えてるし。だからあたしが寄り添うの。感謝してよね」

「そんなに信用できないか?」

「だってあなた、いくら勉強しても、きっと今のまま脳筋だろうしね。優秀な参謀さんぼうが欲しいと思わない?」

「参謀ねえ……参謀か…………」

「何よ、不服っての?」

「参謀っていうより、あー……お前はな……なあ」

「んん? 煮え切らないね」

「あー……わかった、正直に言うよ」

 不思議そうにするクリルを正面にえて、ファノンは深呼吸をしてから、続けた。

「その……参謀は仕事の時間が終わったら、家に帰るだろ? でも、そういう仕事をした後も、俺はお前とずっといたいんだ……つまり、俺から離れないでほしいんだ」

 ファノンは言葉の一文字ずつに勇気をこめながら、それでも、力強く、クリルの目を見て訴えた。

 その言葉に、真心がたっぷりと込められていたことが、クリルにも伝わったのだろう、クリルのほうは顔を赤くして、しばしうつむいた。

「お、お前はどうなんだ?」

 返事がもらえていないファノンが、不安げにたずねる。

「……へへ、それはその……まあ、そう言われるのは嬉しいな。うん……すごく嬉しい」

 クリルは下げていた顔を上げると、はにかみながら笑った。

 そして、しばらくそのまま、お互い見つめ合ったまま沈黙していたが、やがてクリルの方から語り始めた。

 照れからだろうか、クリルの声のトーンは、わずかに上がっていた。

「わかった、付いてったげるよ。今回だけじゃなく、来世とかでもね。

 何度、生まれ変わっても。何度あたしが先に死んでも。何度、あなたが先に死んでも、何度だってやり直して――そして、一緒に生きよう」

「えーと……重いな、それ」

「かもね、ふふ、自分で言ってて、そうだと思ったよ」

 ファノンはクリルと笑い合うと、合図するそぶりもなしに、2人で家のほうへ歩き出した。

 ――これがどれほど前の記憶なのか、人間の身に過ぎないファノンには理解がおよばない。

 それは生物の時間感覚の通用しない世界を、何度も越えてからの話なのだろう……10の1000乗年前か、はたまた、それ以上か(時間の破綻はたんした世界の話だから、このような話すら無意味なのだが)。

 ただ少なくとも、これは夢ではないことは、ファノンにもわかった。

 これは、たしかに存在したできごとなのだ。

 ファノンの力はついに、前世も、そしてその気になれば、来世さえ飛び越すことができるようになっていたのである……。

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