148.離陸

 そのころフォーハードは、カラジャス鉱山の工場から離れた赤土の荒地で、離陸命令を待つ巨大輸送機『ブリゲード・ウィング』の後部タラップで、ダブルボタンのロングコートをはためかせながら離陸を待っていた。

 ブリゲード・ウィングは輸送機と呼ばれる通り、ずんぐりとした巨体の飛行機で、戦闘機というよりはジャンボジェット機に近い風貌ふうぼうだった。

 その大きさは、人類が旧代に用いたアメリカ製の輸送機C-5ギャラクシーや、ウクライナ製のAn-225ムリーヤのごとき巨大さで、6階建ての高さに、68メートルの全長を誇っていた(実際にはギャラクシーやムリーヤの方が大きいが)。

 ただ、やたらとエンジン音のうるさい両輸送機と違い、このブリゲード・ウィングは常温核融合炉による静音での飛行が可能だった。

 そのブリゲード・ウィングの、開けられた背部はいぶカーゴ扉からのぞける、工場の倉庫のような、縦横じゅうおうに鉄柱の走る無骨ぶこつな空洞には、3体のツチグモと、それをはさむようにして、数十体のラストマンが、すでにサイドシートに腰かけて控えていた。

 ツチグモはフォーハード軍の戦車のような位置付けのため、やはりそれ相応の大きさなのだが、移動手段はキャタピラではなく8本の脚なので、その脚が邪魔にならないように、きちんと腹の下に、あたかも魚市場に並ぶカニのように折りたたまれていた。

 そのほか、フォーハードの乗る輸送機を囲うようにして、4機のブリゲード・ウィングがツチグモを納入しているところだった。

「ファノン1人に、豪勢なもんだ。人間1人を暗殺するための手勢てぜいのはずなのに、もはや戦争にしか見えないな」

「それでも、マスターは不安なのでしょう? 超弦の子は銀河1000億を、一瞬で真空に帰せるのに、あなたはここにいる手数で、そんな異次元の強さを持つ相手に挑まないとならないのですから」

 フォーハードのうしろに付き従うラストマンが、皮肉を織り交ぜた。

 フォーハードに服従を強いられるラストマンにとっては、それは最高レベルの反抗だった。

「まあな……だから、やれるだけのことをやる。お前たちにも期待してるぜ」

 ラストマンの苛立いらだちに気づきながら、フォーハードはさわやかに返事をした。

 こういうことには、もはや慣れっこなのである。

「マスター……もうあきらめませんか? こんなことをやっても、オリジナルのミス・ロナリオは帰りもしませんし、喜びもしないはずです」

「今となっては、退くに退けないんだ。俺はやりきるよ……世界の解放をな」

「ロナリオだけではありません。世界も、宇宙も、私たちも、誰もそんなことは望んでいないのです。宇宙の破滅はあなたの理想なのでしょうが、ほかの誰の理想の世界とするところでもありません。あなた以外、誰も望まないことを、あなたはなさろうとしているわけです」

「理想の世界、ね……なあラストマン。なら、どうやったら、誰にとっても理想的な世界が生まれると思う?」

「人間だけでなく、生命すべてが満足のいく世界、ですか……それは無理だと思います。生物は、みずからが存在するためには、他生物を殺して食わねばなりません。それはもはや運命です。相手の命を奪い、その身体を食べて取り込み、生きていく。でなくては、生物は自分の身体を維持することができないようになっています」

「生命を殺し、喰らい尽くしたのと同じ口で正義と倫理をとなえ――あるいは、同じ人間であっても、仕事を奪うことで餓死させた相手から奪った金で暮らしておいて、平等や平和をとなえる人間には違和感があります、とでも言いたそうな論調だな」

 フォーハードが愉快ゆかいそうに茶化ちゃかした。

「それはあなたの論調で、わたしのものではありません。ともかく生命とは、相手を必滅させるという原理のもとで生きているのですから、食べられて死ぬほうに、生きた満足感など、与えられるべくもありません」

「人は、理想の世界なんてものを描き、実行するんだが、その理想の世界なんてものは、十人十色なんだ。だから時として、自分の理想の世界を体現するために他者を攻撃し、あまつさえ殺すことも、滅ぼすこともある。

 理想の世界なんてのは、人によって形は様々なんだよ。満場一致まんじょういっちで、文句なしに、全員満足できる論理やシステムなんて、そもそも科学的にも生物学的にも不可能な話だ。この考えかたは、紀元前の、古代ユダヤの世界にあったものだ。そもそも人間なんぞに理想の世界の体現は不可能だという前提で社会を組み立てていたんだよ」

サンヘドリンのことですね」

「その通り。サンヘドリンの論理はこうだ。多数決で全員賛成が起こることはありえない。それなのに満場一致になったときは、熱に浮かされて、場の雰囲気に流されて固めた結論にすぎない、信頼するに足りないものだ、という考えだった。生まれた背景が違う、かかえる問題も違う。青が欲しい人間もいれば、赤が必要な者もいる。

 人間はもとより、欲しいものが違うんだ。

 だからサンヘドリンでは、全員満足なんて結論がでた時は、その決定は無効って法律を作っていたんだ」

「サンヘドリンとは、イエス・キリストが生きていたころの旧代イスラエル裁判所のことです。イエスの死刑もここで決定されました。ですがその際、満場一致で死刑が定まったそうです。それなのに無効とならず、死刑は執行される運びとなった。これは本来、効力のないはずの裁判だ、というのが当時のユダヤの人々の言い分だったとか」

「らしいな。ともかく人間に、生物に、誰もが賛同する理想の世界なんてものを実現することは、理論的に不可能なんだ。誰かが得をすれば誰かが損をする。誰かが食べるなら誰かが食われる。誰かが生き残れば、誰かが死ぬんだ。

 努力をして人並み以上の生活にたどりついたのなら良いんだが、システムの裏をかき、既得権益きとくけんえきを作り上げ、後から続く者の道を閉ざし、他人の富をみずからの富としてかすめとり、数千人、数万人分の金をふところにしまいこんでぜいを尽くす人物が、旧代にはあまりにも増えすぎていたが……少なくとも、そういう生活をしている連中にとっては、終わらない春を過ごすのと同じだったろうさ。しかし、奪われるほうには、どうだったのか。

 旧代の2013年のオフショア・リークス、2016年パナマ文書、2017年パラダイス文書には、脱税していた巨大企業や個人の名前が連なっていた。タックスヘイブンというシステムを使った、合法的なものだけどな。

 イングランドのエリザベス女王や、当時政権を握っていたキャメロン首相……これから俺たちが攻め込む日本という国では、電通とかいう、第二次大戦前まではスパイ組織だった企業も名を連ねていた。この会社はオリンピック委員会に、タックスヘイブン経由から賄賂を送って、2020年の東京オリンピックを誘致させていたな」

 タックスヘイブン。租税回避地。

 この地域や国にある会社や個人の税金を、いちじるしく安く、あるいは無料にするというシステムで、多くの資産家の合法的脱税に使われている(使うほうは、これは法律違反ではないと居直っている)。

 おもにルクセンブルクやモナコなどの小国がこのシステムを導入しているが、旧代アメリカのデラウェア州もおこなっている。

 何をもって、このようなシステムにしているかというと、海外から企業を誘致して会社を起こさせることで、登記料を受け取って税収に当てるためである。

 ゆえに、このシステムを取り入れた国は、豊かである。

「だから、あなたは世界を敵に回すことを決めた」

「かつてエノハは俺に約束した。エゴを捨てて、民を統率し、民のために法を整え、民のために道徳を流布るふする、と。

 そして生まれたのが、このセントデルタだ。

 旧代をし返す文明の利器の開発は制限され、寿命を一律に整えることで、人間どもに、みずからの有限の命に、まじめに向き合わせた。

 だが、いましめだらけの世界では、必ずほころびが生じる。

 それはしょせん、エノハにとっての理想の世界だ。他人にとって、その世界とは、まったくの異質と害悪以外の何物でもないのさ。

 文明を復活させたくとも、エノハはそれを許さない。宗教を復活させたくとも、エノハはそれをはばむんだ。サンヘドリンが否定したことを、エノハはやっていた。

 いびつな理想郷だと、すぐに気づいた。だが、結末は気になったから、そのまま捨て置いたら……ファノンが目覚めた。そして俺はいま、こうして生き生きと、あいつを殺しに行くのさ」

「あなたは……異常です。救いがたいほど」

「よく言われる。で、お前にも来てもらうぞ。ガタが来ているそんな身体でも、俺のサポートぐらいはできるはずだからな」

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