149.別れの鐘

 3日後、朝の7時過ぎ。

 早朝のその時間、セントデルタには濃い霧が出ていた。

 だが、まるで街全体を揺さぶり起こそうとするかのように、遠くのやぐらのほうから、コンコンココン、コンコンココン、と不安をかきたてるタイミングを取りながら、かねが打ち鳴らされていた。

 ――自警団と町長とでみ出した、フォーハード襲来しゅうらいの合図だった。

「来たな……」

 町長の家の客間に置かれた、16人掛け長テーブルで、ファノンと向き合って朝食を取っていたメイが、ダイヤモンド窓を透かして見える景色をながめながら、そうつぶやいた。

 2人の食事自体はかなり前に終わっており、食べ終わった食器をそのままに、クリルの思い出話をしていた所だった。

「俺もお前も、予想がはずれたな。フォーハードは朝に来たようだ。夜のほうが、目のきくラストマンは人間に比べて有利だと思い込んでたけど……実際は違ったな。モエクが生きてれば、この辺にも正確に予想を立ててたかもしれないな」

 ファノンもまた、背後はいごの窓の向こうにそびえる櫓を見つめてたんじた。

「モエクが生きてたら、とか、無理な話はすんなよ。あいつは闇に帰るべくして、あの日に闇に帰った。

 みんな協力してくれてるんだからな。フォーハードが悪事を働く前に、ロナリオさんがニニナさんにふんして、やぐらから外界を見てくれてたおかげだよ……みんな、逃げる暇は確保できそうだ」

「お前は人々を逃がす手伝いをしなくていいのか?」

「そのへんは全部、自警団だけで事足りるのさ。私はプランを提供しただけ。今さらだけど、やっぱりモンモさんの判断は正しかったと思うよ」

「ああ……お前とリッカを無理やり組ませたんだよな。磁石のS極とS極をくっつける、ムチャクチャな力技だと思ったもんだけど、結果オーライだった。トンネルを各家庭に作るなんてアイデアは、俺とコネのあるお前でないと、発想することも実行することもできなかったけど、こうしてフォーハードの動きに監視を光らせるのは、自警団長リッカでないとできなかった。さすが、伊達だてにクリルの友達をやってないな、モンモさんは」

「何枚も上手うわてだよ、あの人は」

 一息ひといきついた後、メイはさらに続ける。

「……なあ、ファノン。フォーハードと戦って勝ったら……このあと、お前はエノハ様を倒しに行くんだろ?」

「そのつもりさ」

 ファノンはダイヤの窓から目をそらして、メイを見つめた。

「ついに聞かなかったな……俺がモエクから預かった包みのこと」

「私が知るべきじゃないことが書かれてたんだろ? あれだけ口の軽いお前がしゃべ文らないんだ。それぐらい想像がつくさ」

「……すまないな」

あやまるなよ。キモい顏が余計キモくなる」

「俺はフォーハードもエノハ様も倒して、世界を幻想からき放つと決めた。その時、ここに生きてる人たちは、のちのち俺のことを、闇の世界を切り開いた魔王と呼ぶのかもしれない」

「それと同じぐらい、お前に感謝する人間も現れるはずさ。そんなことを気にする奴じゃないだろ? お前」

「そうだな……俺って、そういう奴だった。やっぱりお前は、頼りになるよ」

 ファノンは小さく顔を上げて、天井を見つめて感慨かんがいに身を任せていたが、やがて腰掛けていた席から立ち上がった。

「……」

「そろそろ逃げろよメイ……俺はもう行くからさ」

 ファノンは背をひるがえし、町長室のドアノブに足を向けた。

「待て、ファノン」

 メイが立ち上がって、いつもより高い声で、横切りかけるファノンをとどめた。

「お前……怖くないのかよ。相手はフォーハードだぞ。自分より強い奴に、何度も勝ち続けてきた奴だ」

「どうしたんだ? ナイーブだな、メイ」

「あ……あのな、ファノン……」

 メイは切実な、もはや泣きそうと言っていいような顔で、ファノンに迫った。

 ――行かないでくれ。

 ――お前は人間を殺したことなんてないだろ。

 ――お前は宇宙最強の人間になったが、それでも、人殺しなんてできる奴じゃあない。

 ――相手がフォーハードとはいえ、ためらいなく倒せるのか?

 ――甘いお前のことだ……そのすきを、フォーハードに突かれたりするんじゃないのか?

 ――お前じゃ、フォーハードに勝てはしない。

 ――だったら……逃げちまえよ。

 ――フォーハードから逃げちまうんだよ。

 ――運命がなんだってんだ。

 ――そんなもんが、人を幸せにするかってんだ。

 ――私は、お前がいなくなるかもしれないって思うだけで、心が崩れていきそうなんだ。

 ――なあ……わかってるぞ? お前だって、ホントは怖いんだろ?

 ――今すぐ、私と逃げるんだ。

 ――もう二度ときもいとか言わない、お前にして欲しい性格になる。お前のためなら何でもやる、何にでもなってやる、だからアポトーシスが迎えに来る、この残った4年間を、どこかの森の中で、静かに暮らそう。

 ――必ずいい人生だって言えるようにしてやる。

 ――だから私を置いてかないで……一人にしないで……。

 そういう想いを、引っくるめて要約して、メイは次の句を放った。

「──いや……お前って相変わらず、きもい顔だなって思ったんだ」

「へへっ」

 ファノンは鼻をすすった後、軽快に笑った。

「……じゃあ、このへんで。メイ……またな」

 それは、3人で暮らしていたあの日に見慣れた、あの日のままの別れの挨拶あいさつだった。

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