宇宙の誕生のしかたを語る仮説。宇宙は
スノーボールアース仮説。
地球は直径1キロの厚さの氷に覆われていた時期があったかもしれない、とする仮説。
ガイア仮説。
地球環境は生物の積極的な関与によって、いまのように住みやすいものになったとされる仮説。
フォーハードが、解明される前に人類を葬ったため、仮説のまま終わった説の一部である。
そして、その死んだ仮説の中に「超弦理論」というものがある。
この超弦理論、学者によって持論が変わるため、さまざまな派生説が存在していた。
だが、その大筋と目的は同じで、大まかに言うと『すべての物質は、単一のものでできている。すべての物質は超ミクロの弦(ひも)の振動のしかたで変わって見えているにすぎない』ということになる。
そしてこの超弦の長さだが(0という説もある)1ミリメートルの100億分の1の、100億分の1の、さらに1000億分の1程度といわれている。原子の直径は、1ミリメートルの1000万分の1程度であるから、いかに小さいかは
翌日。
「ない……だって?」
図書館員の貸本受付の女から告げられたファノンが、弱った顔で自分の髪の毛をもみながら、オウム返しに問うた。
「ええ、リッカたち自警団員たちが来て、みんな持ってったのよ。わざわざ荷車まで出して」
「超弦に関する本だけ?」
「当時のメジャーな呼び名は超ひもって単語だったみたいだけどね。その本が根こそぎ禁書になって、エノハ様のアレキサンドライトの塔に引っこめられたわ」
「そうか……」
ファノンは困った表情を片手で隠し、思案したが、それからまた疑念がもたげたので、受付をまっすぐ見直した。
「どういう理由で、リッカたちは動いたんだ?」
「エノハ様がなんらかの目的を持ってやらせたんだろうけど……そこまでは」
「そうか……ありがとう」
ファノンは受付から離れると、キシキシとうめく板ばりの床を踏みしめて、窓際の、よく太陽のあたる四人がけのテーブルに座って、肘をついた。
窓はアクアマリン製のため、太陽光は浅海にふりそそぐような弱い日差しとなってファノンの横顔に当たる。
「誰かが、俺が超弦の力に目覚めないよう、エノハ様に働きかけをした……? でも誰が」
「あたしよファノン」
ファノンの独り言に、にわかに背後から返事がもどってきた。
ファノンのよく知る声だった。
「っ……クリル?」
「へへー。ビックリしたな、この小心者」
両手を腰に組むクリルが前かがみになって、座るファノンをのぞくようにして、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「クリル……フォーハードの話を、エノハ様に教えたんだな」
「当たり前でしょ。あいつが何を考えて、ファノンにそんな言葉を教えたのかはわからないんだから、手は打っとかなきゃ」
「なあ……お前も気づいてるんだろ。俺の力は怒りとか憎しみに反応するけど、その度合いが強ければ強いほど、高いエネルギーを俺に与え、しかもそれ以降、ゆるんだゴム紐のように、それまで締め上げられて出られなかった力を示すって」
「うん、うすうす。昔からあなた、怒ったときだけ、あたしとかメイにその力を使ってたけど、人畜無害な力だった。それがツチグモとの接触からずっと、強い力になってる。今までが小さい力しか出なかったのは、それだけこのセントデルタの住み心地が良かったから、と考えたいものだね。
おそらく、フォーハードはあなたの力を、なんらかの形で利用しようとしてる。心当たり、あるんじゃないの?」
「あいつは言ってたんだ。俺の力は、俺の知ってることじゃないと、ちゃんと具現化できないって。それで超弦について調べてみようと思って、ここへ来た」
「それこそ、あいつの思うつぼね。それとも、新しい力が手に入らなくて残念だと思った?」
「イヤ特に。たしかに好奇心はあったけどな。
あいつ、俺にはあいつの夢を叶える力が、備わっていると言ってた。でも、イマイチ意味がわからなかったな。あいつは一体、俺に何をさせたいんだ? 人に願いをかなえてもらうのを期待するとか、ドラえもんの読みすぎとしか思えない」
「ドラえもんはともかく、フォーハードの夢だけど……あたしも知ってるよ。かなり
宇宙を、再生の余地もなく、永遠に命の生まれ得ない世界に変えること、とか。当時、それをする方法が浮かばなかったから、南極に水爆を埋めこんだそうだよ。アホらし」
「なんであんなにゆがんだオッサンになったんだろうな」
「さあ……わからない。ただおそらく、フォーハードはしばらく、あなたの周りをうろつくだろうから、その時に聞いてみれば?」
「
「あたしだって、あいつと関わりたくないよ。でもあいつは90億の人間と戦って、勝ち残ってる。あなたを利用することを考えてるってことは、すぐにあなたを殺しに来たりはしないだろうけど、油断はしないようにね。なるべく、あなたと一緒にいるから」
「そ、そ、それは」
ファノンは顔を赤らめ、目をそらした。
「ん? 寝る時も一緒よ、なんて言うと思う?」
皮肉もなく含みもなく、クリルはあっさりファノンの言わんとしたことを否定した。
「いや……」
ファノンは肩を落としてうつむいた。
だがめずらしく、頭は動いていた。
「待てよクリル。エノハ様のことが嫌いなのに、自警団を動かすように進言しに行ったってことか?」
「当然じゃん。90億を殺したフォーハードのことが絡んでるんだから、さすがに個人感情だけで対処はしないわ」
「エノハ様、すぐ動いてくれたんだな。お前の言葉だったのに」
「あっちも同じ気持ちだよ、きっと」
「……」
ファノンは思案をやめなかった。
自分の周囲の織りなす渦に飲みこまれないため、この図書館にきた。
それこそフォーハードの思うつぼだった。
たしかに、思えばその通りだ。
フォーハードは90億の人間と戦い、勝ち残った人物。
その邪悪な勝利の過程で、フォーハードは
となるとフォーハードには何らかの方法で、ファノンの力を利用する算段がある、と思うべきだ。
そこを考えないとは、自分はなんと
クリルやエノハがいなければ、何かまずいことを、引き起こしていたかもしれない。
そのことに思考がゆきとどいた途端、ファノンは背筋の震える思いをしたのである。
「ねえファノン、ついでだし、なんか本でも読んでこうよ」
ファノンの畏怖を知ってか知らずか、とつぜんクリルが語調を変えて、すすめてきた。
「おい、悩んでる子羊をさしおいて、読書する気かよ」
「だって、せっかく来たんだもん。いいじゃん」
クリルは耳にかかる髪の毛と、アクアマリンの補聴器のずれを同時に直しながら、ニコリと笑いかけた。
自分が不安として抱え込んでいることを、周囲の人間が軽そうに受け流していると、ファノンもそこまで悩まなくてもいいふうに思えてくる。
あるいはクリルのことだから、そういうふうにファノンの気持ちを誘導したのかもしれない。
たしかに、そのことでファノンの重い気持ちは、たしかに少しだけ、やわらいだのである。
「ああ、それもそうだな……『質英雄の伝説』とか、久しぶりに読んでいこうかな。質屋で七人の男女がゲームやアニメについて批評しまくる、古代の人気マンガ。あれ未完だけど。俺はやっぱりリーダーのワグ+スと、その親友のノエノレが好きだな」
「あれの最後、あたし知ってるよ。作者が死ぬ前に書いたプロット、みたもん」
「ほんとか? 教えてくれ!」
「ごほん」
ファノンが食いついたところで、それまでずっと受付に座っていた図書館員が、耐えきれないように咳払いをした。
無言でたしなめられたクリルは、ファノンに向けて舌をだしてから、声をとめた。
「はは、怒られてやんの」
ファノンは小声で笑ったが、頭の片隅にはまだ、フォーハードの捨て台詞が消化されずに残っていた。
超弦。
それが一体、自分にどんな力を与えるというのか。
ファノンはクリルの背後にある、空となった本棚を見つめ、宇宙の先のことでも空想するように、自分の体の謎へ想像を走らせた。