151.超流動

「リーダー役からの通信が途絶とだえた……最後の通信によると、超弦の子からの奇襲きしゅうがあったらしい。リーダー権限は名順ルーティンに従い、このHC-L 002が引き継ぐ」

 ラストマンはそう通信回線に吹き込みながら、台所に開けられたマンホールを凝視ぎょうししていた。

 そこには相変わらず、透明な液体がのしかかっていた。

「こちら043、超弦の子の位置は把握できたから、マスター・フォーハードへ連絡する。超弦の子もまた、マスターを探しているのは自明のことだから、予定通り、セントデルタ外にいるラストマンまで、中継をつないでの連絡とする」

「了解だ。こちらリーダー002、081から090は超弦の子へ攻撃を。われわれはこのままマンホールへ突入……む?」

 そうラストマンが通信をしかけたところで、にわかに、その回線に言葉がかぶさってきた。

「リーダー002……この地面の水、変だ。この水……-270度にもかかわらず凍っていないということは、液体ヘリウムなのではないか…………?」

 そのラストマンがそうリーダー役へげた、その瞬間だった。

 いきなり、ラストマンの目の前の水の分量が、まるで、見えない場所から土石流でも流れこんできたかのように、ふくれ上がったのである。

「──いかん、高い場所から水が落下した……超流動が起こるぞ! 退避せよ!」

 それが、リーダーをあずかったラストマンの最後の叫びとなった。

 いきなり濁流だくりゅうのようになって室内を埋めた『水』によって、ラストマンは全身をそれに押しつぶされていった。

 あまりの温度差で電子回路内に破損と結露けつろしょうじ、そして何より、常温核融合炉で動くラストマンから『常温』を奪ったことで、一瞬にして動作が停止していったのである。

 ラストマンを襲ったのは、彼らが予想したとおり、液体ヘリウムだった。

 -269度(ファノンのものは-271度)にまで凍らせたヘリウムは、自然界では見せることのない現象を示すのである。

 まず、液体ヘリウムは、周囲が少しぐらい熱くても、しばらく低温を続けるのである。

 ひとたび生まれれば、冷たい水よりはるかに長く、その場に居残るのだ。

 そして、超流動ヘリウムの真価は、もう一つある――

「リーダーHC-L002から通信が消えた。どうやら超流動のために、屋内の部隊は全滅したようだ」

 屋根に登っていたラストマンが、立ち上がって、大通りを見下ろした。

 そこでは、家からあふれた超流動ヘリウムが、通りにまでこぼれ出して周囲を水浸しにしていた。

 そこらじゅうから、あまりの温度差のためにだろう、何枚かの宝石窓が割れていく際に、パリッ、パキンッと、凄まじい音を響かせていた。

「なんということだ……超流動は……超流動ヘリウムなら、ここも安全ではない」

 ラストマンがそうつぶやいた時、だった。

 屋根のかわらの隅から、その超流動ヘリウムが、さながらこけが地面から岩間に這い出るかのように、ラストマンの元まで登ってきたのである。

「総員、セントデルタ外まで退避……!」

「退避方法を計算する……無理だ……逃げ場は、ない」

 ラストマンは呆然ぼうぜんと立ったまま、迫り来る超流動ヘリウムによって、五体をまるまる食い尽くされていった。

 ――これこそ、超流動現象のもうひとつの特徴だった。

 超流動体は、粘性がゼロになる。

 簡単にいえば、液体にひとたび動きを加えれば、壁などを生物のようにい回る現象だ。

 人知を超えたラストマンを倒すには、法則を超えた攻撃を仕掛けないかぎり、それは不可能だ、と踏んだからこその、ファノンの策だった(ファノンはなるべく、セントデルタの街を無傷で残したいのもあった。わざわざ超流動などせずとも、たとえば、液体水素や酸素をそこらに発生させて、セントデルタごと爆破するなり、あるいは『ヘリウムの術』で街を丸ごと更地さらちにする、という選択肢もあったが、ファノンが、人々の生活する場所を奪いたくなかったがゆえの、この戦法だったのである)。

「だが……超弦の子は、街だけをこれらでおおい尽くしたに過ぎない。われらの手勢は、森にも展開している。森の部隊への対策はあるまい。それに、超弦の子の居場所は、すでにマスターの元へと送信済みだ……この勝負、われわれの勝ちだ」

 膝まで凍らされつつあるラストマンは、オフライン化しつつある自我の最後の瞬間に、そう勝利宣言を残していった……。

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